里帰り その一
二月に入り、一年で最も雪深くなるこの時期は気温も氷点下の日が続いて里見の体調はなかなか安定しなかった。創作活動も滞って食事も部屋で食べることが多くなっている。体質的に細身ではあったが、更に痩せて腕は少しの衝撃でぽっきりと折れそうなほどになっていた。宿泊客の健康状態が気になる根田は日に日に近付く帰省の準備に手が付かない。
「交通手段だけは押さえとけ」
今は同居人となる鵜飼に言われてようやっと新幹線の往復チケットを買った。良い機会だから一度は乗ってみようとは思っていたが、どうにも帰省そのものが気乗りしない。しかし両親との約束である以上守らないと仕事を辞めさせられるのではという不安も少なからずあった。
根田の実家は財界人や政界の有名人が親類の中にいる比較的裕福な家庭環境で育った。父親は一流企業の役員、母親は爵位付きの家柄で育った筋金入りのお嬢様であった。四年前に他界した兄の順は国家公務員、世間で言うところの所謂エリート官僚だった。
そんな兄も背中を見、両親にも兄を見習いなさいと言われてきた彼は物心付いた頃から英才教育を受けてきた。受験戦争を勝ち上がってお金持ちの子が通う私立の幼稚園に入り、勉強漬けの幼少期を過ごした。更には学習塾、英会話スクール、習い事も複数掛け持ちしており、放課後や学校帰りに友達と遊んだ記憶がほとんど無い。
根田自身も兄ほどではなかったが学校の成績はかなり優秀だった。生徒会長を歴任したこともあり、中学、高校の卒業式は在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞を任されるほどだった。大学に入っても優秀な学生として一目置かれ、専攻する学部の教授にも贔屓にされていた。
二十歳の時の兄が他界した。突然の事故死で両親の落胆振りは凄まじかった。家庭の中から表情と音が消え、色まで失われていく状況下でカラーコーディネートの資格を取得して本格的に色の勉強を進めていた。
ところが両親は【兄のような】息子になることを望んでいた。国家公務員もしくは名の通った一流企業といった【立派な肩書き】を持つことを期待された。その時期から自分自身を殺して兄と同じ国家公務員を目指すようになる、兄を見習う生き方をするために。恒常的に行われる躾の中にそれが含まれていたので何の疑問も持たなかった根田は、見えなくなった順の背中を追いかけて就職活動にも精を出した。
『君ほど優秀な学生であれば複数の内定が貰えるよ』
周囲の者たちは口を揃えてそう言った。ところが何の為に兄を見習うのか? 兄は本当にそれを望んでいるのか? 国家公務員という職種に自分は向いているのか? そもそも根田自身がそれを望んでいるのか? 考えれば考えるほど思考が蟻地獄に陥り、山のようなお祈り定型文入りの不採用通知が彼の元に届けられた。蓋を開けてみれば内定はゼロ、大学院に進むか就職浪人の道しか残されていなかった。
教授や友人には院の進学を進められたが、初めて味わう大きな挫折に心が折れて体も動かなくなっていた。結局就職できぬまま大学は卒業生したが、両親には失望され友人だと思っていた取り巻きや当時交際していた恋人も離れていった。
気付けば誰にも相手にされなくなっていた。良家の生まれで成績優秀、見てくれもさほど悪くなく周囲にはいつも誰かがいる環境下に身を置いていたので初めて味わう孤独だった。自分は何のために生きているのか? この世で生きる存在価値はあるのか? そんなことを考える日々が続いて生きているのが恐ろしかった。
人の目が恐い。外に出るのが恐い。引きこもりニート状態が一年近く続き間もなく年の瀬を迎えるある日、急に思い立って兄順の部屋にこっそり入ってアルバムを開いた。写真の中の彼はいつもたくさんの友人知己に囲まれ、その中心で笑顔を振りまいていた。
これまでの根田であれば羨望の眼差してその光景を見ていたのだが、この時はいつもと違って見えた。顔の表情筋を強張らせて笑顔を作り、ほとんどの写真で目が笑っていなかった。何をさせても標準以上の成果を出す兄には周囲の期待も大きかったのかも知れない……幼少期から過大とも言える期待を肩に背負っていた兄の苦悩を初めて感じ取ったような気がした根田は、一見楽しそうにしている集合写真に涙をこぼした。
視界が滲む中でもページをめくり、兄の足跡を辿り続けていくと白銀の海辺が映された写真の視線が止まった。兄の順、兄の友人、根田の幼馴染、根田の四人でカウントダウンと初日の出を見るために赴いた時の集合写真だった。当時根田は高校二年生で大学受験を翌年に控えていたので両親には反対された。
『時として息抜きが必要なんだ、人生は案外休めないものなんだから』
受験が終わればでいいじゃないか、大人になってからでいいじゃないかと食い下がる両親に対し根気良く説得してようやく旅行を認めえもらえたのだった。今思えば兄との旅行はこれが最期となり、何かに掻き立てられた根田はその日のうちに自宅を飛び出していた。
始めての一人旅だったが旅をしている感覚はほとんど無かった。道すがらの観光地に寄ることもせず、食事もコンビニ弁当で済ませた。数日掛けて最北端の岬に到着すると同じ目的の人たちがたくさん集まっていたが、人への恐怖心が抜け切れずその輪の中に入ることができずにいた。
引っ込み思案状態の根田に対して彼らは親切だった。その場だけの出会いだったが、食べ物やお酒を分けてくれたりして久し振りに人の温もりに触れた気がした。前回は兄も友人もいたので、二度見る光景なのに全くの別物に感じられた。カウントダウンを祝い、道中で購入したテントを張って夜を明かした。初日の出は悪天候で望めなかったが、何物にも得がたい体験をして空っぽだった気力が漲ったように感じた。
帰りも数日掛けて帰宅するつもりだったが、北海道をほぼ縦断しているうちにまだ帰りたくないという思いが湧き上がる。折角だから色んな所に寄ってみようと立ち寄った場所の一つが箱館だったのだが、宿泊施設がことごとく満室で野宿せざるを得ない状況に追い込まれた。
これまでの根田であればどうしようと悩んでいたところだが、この経験のお陰か背負っているテントを張ろうと思い立って空き地を探す。暖の代わりにカイロを買い込んで食事も先に済ませ、住宅地から少し離れている公園を見つけてテントを張り始めたところで近所のクリーニング店を経営している鵜飼と出会って『オクトゴーヌ』の存在を知った。




