不穏な夜 その一
鵜飼たちが緊急会議を終えてカフェを出てしばらく後、塚原が久し振りに姿を見せた。彼もまた刑事として不審火の捜査で忙しくしており、照を一人にさせてしまっていると寂しそうに言った。
「もうさっさとお縄になれっつうの♪」
とその割にはどことなく嬉しそうにしている塚原に、川瀬はこの人異常気象ではしゃぐタイプだなと内心呆れていた。
「何だか楽しそうに見えるんですが」
「そう? 結構大変なんだよ」
「そうですか。何か飲まれます?」
「今日はカフェオレ頂こうかな」
すっかりここの常連と化している塚原は、メニューを見ることなく注文を済ませる。
「かしこまりました」
川瀬はすっと厨房に引っ込み、入れ替わりでフロントに向かう堀江にひと声掛けた。
「塚原さんいらしてるよ。カフェオレ注文されたから追加があるかも」
「分かった、気にしとく」
二人は脚の情報を共有し、それぞれの持ち場に入る。川瀬はカフェオレを作りながら軽食用のパンの在庫をチェックする。
「今日はデザートの可能性もあるのか」
独り言を呟きながら冷凍庫を開け、塚原の好物であるアイスクリームの在庫を確認する。彼はジャムとアイスクリームを添えたパンケーキがお気に入りで、カフェオレの時はかなりの確率でそれを注文する。
「うん、イケる」
冷蔵庫の中身を見て満足げに頷いた川瀬は、サイフォンで濃いめに抽出したコーヒーと温めた道内産の特濃牛乳を一対一でカップに注ぎ入れる。
それとシュガーポットをトレイに乗せて客に出そうとしたところで、堀江が手のひらサイズのバインダーを片手に厨房に入った。
「追加入ったで、今日はチョコバナナのパンケーキやって。それは俺がするからあと宜しく」
「了解」
川瀬はトレイを堀江に手渡すと、早速厨房台でパンケーキの創作に取り掛かった。
塚原はボヤ騒ぎの一件で一つ気になる事があった。人気の無いという共通項はあるが、燃やせるものが無いはずの場所でもボヤは起こっていた。
『こんな所で?』
と現場近隣の住民が首を傾げているという証言もあり、犯人が事前にそれらを準備しているとも考えられる。そのうち民家を狙い出すかも……この辺りではごく最近の事だが、この騒ぎが勃発したのは二ヶ月程前市の南部に当たる居留地エリアからだった。
年末の間は静かだった。勿論事件は解決していないので交番職員のパトロールや消防の巡回は続けているが、今度はエリアを変えての犯行なので便乗犯の可能性もある。人的被害が出ないうちに……仕事のことが脳裏から離れない塚原の前でカフェオレの香りがふわっと漂った。
「お待たせ致しました、パンケーキの方はもうしばらくお待ちください」
堀江の声に反応して顔を上げ、礼を言って早速カップに口を付けた。
「ん、今日も美味いね」
「ありがとうございます、ごゆっくり……って感じでもないですかね?」
「せめて今はそうしたいところだね、丸二日家に帰れてなくてさ」
塚原はそう言って笑ったが、その表情には疲れが入り混じっていた。
夜もすっかり更けて午後九時に差し掛かる頃、一人の男性が急ぎ足で夜道を歩いていた。幸い雪は止んでおり、久し振りともいえる快晴で星がキラキラと瞬いている。
「しっかし今日もしばれるべ」
一人そんなことを呟きながら目的地に向かっていると、ゴミ袋と火箸を持った二人組の若い男性が道の脇でゴミ拾いをしていた。こんな時間にかい? 彼はその光景に違和感を覚えたが、行為そのものはむしろ良い行いであり声を掛けてよいものか迷いがあった。
「おばんです」
彼の中にある使命感から思い切って声を掛けると、二人組は作業の手を止めて挨拶を返した。その態度に少し安心して精が出ささるねと会話を続けてみる。
「昼間ボランティアでゴミ拾いしてたんです」
「したら商店街でこれ貰いまして」
とポケットからチラシを取り出し彼に見せた。それは商店街の若手有志たちが即興レベルで作ったチラシで、ボヤ騒ぎへの注意喚起が記されていた。
「そうかい。したって掃除するにはちょべっと遅いべ、程々にせんと」
「はい、これで切り上げます」
「ん、無理はなんね。したっけな」
「「したっけ」」
二人組は最後に拾ったゴミを袋に入れてから、男性に一礼してその場を引き上げた。彼はその背中を見送ってから、踵を返して目的地へと急ぐ。あっ時間……そう思った彼はダウンジャケットの袖口に隠れている腕時計で時間を確認すると、速度をさらに早めて夜道を歩き出した。
同じ頃、自宅一階部分に当たる『アウローラ』の店舗事務所に居る嶺山は、睡魔と戦いながら帳簿を付けていた。何しろパン屋の朝は早い、妹の雪路は二階の自室で既に睡眠を摂っている。彼女自身が仕込みの手伝いをする訳ではないのだが、兄と同じ早朝三時に起床して毎朝朝食を作るのが日課となっている。
これ終わらしてさっさと寝よ……そんな事を思いながらこの日最後の気力を振り絞り、ペンを必死に動かして数字記入していく。それでも重くなる瞼が目玉に覆い被さったその時、外で不自然な物音が彼の耳に届く。
「何や?」
気にはなったが、屋根の雪が落ちたことにして再び帳簿に集中する。睡魔が去ったのをいいことに何とか帳簿を付け終え、筆記具を片付けて窓に視線をやると、外の色は時間的にあり得ない色をしていた。一瞬何が起こっているのかが理解出来ず、窓に視線を向けた状態で思考が止まった嶺山は鼻に突いた焦げ臭い匂いでようやっと現状に気付く。
火事か? と思った瞬間住宅となっている二階へ走る。場所的に雪路は恐らく気付いていない、彼は妹の部屋のドアをドンドンと叩いて起きぃ! と大声で呼び掛けた。
『ん……? 何やのぉ?』
睡眠の邪魔をされたと不機嫌そのものの声で応答があった。
「火事や! 貴重品持って外へ出ぃ!」
『へっ! 何でなん?』
「分からんけど外が燃えとる! 取り敢えずこっから離れんと危ないわ!」
その直後ドア越しから雪路の動きを聞き取った嶺山は、自身も一階に降りて思い付くだけの貴重品のみをリュックにまとめていく。その中にはこれまで創作してきたパンの考案レシピノートもあり、彼にとっては命の次に大切なものと言えた。しかしその中の一冊がどこにも見当たらず、事務所内を探し回っても見付からない。
どこや……? とこの日一日の行動を、緊迫した状況の中必死に思い出そうとする。確かそろそろ雛祭り用の新作を……と回顧したところで、店舗厨房に置き忘れていたことを思い出した。そうと分かればとリュックを背負い、まだ火の手が来ていない今のうちに厨房へと走る。ところが二階に繋がっている階段付近で、大きな物音と共にリュックを抱えた雪路が転がり落ちた。
「ユキっ!」
兄の声に反応して立ち上がろうとしているが、足を負傷したのかなかなか上手く立ち上がれないでいた。
「どないしたんやっ!」
「足が動かん……」
雪路は顔をしかめて弱々しく言う。
「荷物貸せ、外出るぞ」
嶺山は妹の救出を優先して二人分のリュックを肩に掛けてから雪路を抱きかかえる。それなりの重さになっているリュック二つと成人女性一人を抱えながらも、それを感じさせぬ機敏な動きで『アウローラ』の脱出を図った。




