宝物 その一
年の瀬に入りすっかり雪景色となった中、遂に臨月を迎えたまどかは赤岩家で過ごす最後の夜をまったりと過ごしていた。翌日から出産に備えての入院が決まっており、退院と共に角松一家との同居を始める手筈となっている。
「この家ともお別れかぁ。最初来た時は無駄にリフォームされてて居心地悪かったけんど、慣れりゃ寂しく感じるもんだべな」
「んだな、オレもあんのがっちゃさ気に入ってたからそん時は泣いちまったべ」
妹も言葉に村木も頷いた。
「んだんだ、歩くたんびにミシミシいわすん楽しかったのにさ」
「そんで床が抜けたらコントみてえでねえか、んなのそう経験出来ねしたからちょべっと憧れて……」
「冗談でね、んな事態になったらリフォームどころの騒ぎでねえわ。礼は只でさえ歩く音がデカイしたからホントにそうなんでねえか?ってハラハラしてたんだ」
子供のようにはしゃいだ声で思い出話をする村木に香世子が呆れ顔で口を挟む。
「それはそれで面白くねえかい?」
「面白くねえわ、いくらコイツの運動神経を考えても怪我は免れね」
ここの家長である赤岩も渋い表情で現実的な言葉を返す。
「したってお母さんには理解されんかったけど、ここに来れたんは良かったと思うべ。いい病院に当たったし友達も出来たし、それより何より……」
「正と結婚出来たしな」
とまどかの言葉を遮って茶化す村木。
「ちょっと違うけど、そういうことにしといてやる」
彼女にとってはその事も大きかったが、さほど親しくなかった上の兄二人と村木とのコミュニケーションが増えたことが何よりも嬉しかった。末っ子で唯一の女の子だったので三人の兄に可愛がられて育ってきた。ところがその兄たちはそれぞれに馬が合わず、成長するにつれてお互いほとんど口を利かなくなっていた。
各々がケータイを持つようになると、お互いの連絡先も知らず自立を際に顔すら合わさなくなっていった。村木に至っては高校を卒業してここで働くようになってから実家に寄り付かなくなり、十年以上家族揃った事が無い状況が続いている。
それでも自身の妊娠がきっかけで兄三人の間で交流が生まれ、夫である角松の潤滑油的性格が功を奏して今では定期的に連絡を取り合っている。最近次兄英次の妻が無事男の子を出産し、後に続けというエールと共に赤ん坊の画像が毎日のように届けられる。
「災い転じて福となしたんかな?」
「ん? 何かくっちゃったか?」
「いんや何でもね。カヨちゃん、洗いもん手伝うべ」
まどかは食事を終えて空になった食器をまとめて台所に入った。
「今日くらいじっとしときゃいいのに忙しない」
香世子はゆっくり休ませたいと考えて一旦はその申し出を断ったが、まどかはにこやかな表情で首を横に振る。
「変に特別な日にしたくねえんだ、普段通りにしてくんね?」
「分かったよ」
女性陣二人は並んで洗い物を始め、これまでとさほど変化のない日常的な夜は静かに更けていった。
そして翌朝、入荷と配送業務のある赤岩と村木はいつも通り店を空けている。店内は正社員の男性従業員、パートタイムの女性従業員二名、学生アルバイト二名というフルメンバーを揃えての布陣で午前七時からの営業を開始していた。そのお陰で香世子はまどかに付きっきりになる事ができ、角松の迎えを待って病院に向かう準備を整えていた。
「あっ、忘れもんがあるしたから取ってくっペ」
「何? 私が行くよ」
「大丈夫、自分で行けるべ」
まどかはゆっくりと立ち上がり、下腹部を抱えながら自室に向かう。以前は二階の一室を使っていたが、アクシデント等のリスクを減らすため客間として使用していた和室を使用していた。
香世子は姪っ子が戻ってくるのを待ちながら、着替えやらタオルやらを旅行用の大きなバッグに詰め込んでいく。すると予定よりも少し早めに角松が赤岩家に到着し、ごめんください、と言う声が聞こえてきた。
「はぁい、勝手に上がっちまっていいべよ」
「したらお邪魔します。まどかは?」
今やすっかり慣れた感じで角松が居間に入ってくる。
「忘れもんがあるってぬかして部屋に居んべ。じきに戻ってくんでねえかい?」
香世子は最後にアメニティグッズをぽんと乗せてバッグの口を閉める。
「何忘れたんだべかね? それ先に車に積んどきます」
角松は華奢な体型ではあるが、さすが二十代男性なだけあってパンパンに詰まっている旅行用バッグの持ち手ををひょい、っと掴み一度居間を出る。
「まどかぁ、正君来てくれてんべよぉ」
香世子は部屋に居るまどかに聞こえるよう、それなりに声を張って呼び掛けてみるも反応が無い。多分何か見つけたんかい?元々ちょっとした事で脇目に逸れやすい性格をしているので、そう思って少し待ってみても戻ってくる気配すら無い。
「忘れもん見つかんねえのかぁい?」
しゃあねえなぁ……そうぼやきながら立ち上がり、ゆっくりとした足取りで和室へと向かう。
「まどかぁ?」
何の気無しに開け放たれている襖を覗き込んだ香世子は、中の状況を見て一瞬思考が止まる。
「!」
まどかは低めの棚の前で封筒を握り締めて倒れていた。普段から愛用しているクッションの上で倒れているため、物音に気付けなかった不運に罪悪感が心を疼かせる。
「まどかっ!」
固いものに頭をぶつけなかった幸運とも言うべきか、まどかは叔母の声に答えるかのようにうめき声を上げる。呼吸は大きく乱れ、予定日より十日ほど早いのだが陣痛が始まったのか下腹部を抱えて冷や汗をかいている。
「正君来てっからすぐ病院行こ、正君! ちょべっと手ぇ貸して!」
香世子はまどかの体をさすりながら大声で角松を呼ぶと、様子が変わった事に気付いたのかすぐさま部屋に入ってきた。
「陣痛始まったっぽいっ! 病院行こっ!」
「はいっ!」
角松は軽々とまどかを抱えて外に出る。香世子は貴重品の入ったバッグを引っ掴んで角松の後を追う。居間にもう一つ残っていたまどかの私物用バッグは、角松が気を利かせて車に積んでいたようで元あった場所に残っていなかった。
「ばんぺ頼むっ!」
香世子は従業員たちに声を掛け、容態の変わった姪っ子を連れて病院へと急ぐ。




