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昔話 その一

「そう言えば仁君」

 今やすっかり常連客状態となっている塚原が、入り口近くのカウンター席を陣取って昼間からブレンドコーヒーをすすっている。フロント席近くで事務業務をしている堀江は、一度手を止めてから客の方に顔を向けた。

「はい」

「尼崎ミサさんとの馴れ初めってどんな感じだったの?」

「ったく慣れてきたからっておだつんでね」

 と厨房で川瀬のまかない飯を食べに来ていた村木が会話に割って入る。堀江は大丈夫やでと笑顔で村木を窘め、中学生の時ですと答えた。

『礼君、もう要らないの?』

「まだまくらうべさ~」

『だったら飯の途中で席立つんじゃねぇよ』

「したってま~たあんのおサボり刑事がさ~」

 村木は一緒に昼食を摂っていた川瀬と小野坂に呼び戻され、多少不服げに塚原を見やってから奥へと引っ込む。

『それを決めんのは仁だろうが、余計な口出しすんなって』

『したってさ、なしてわざわざ……』

 厨房から漏れ聞こえてくる小野坂と村木の会話に堀江と塚原は苦笑いした。

「まぁ興味本位で聞いてるだけだから差し支えない範囲で」

「いえ今更どうも無いですよ。グレて学校にも行かんとそこらを徘徊しとった時に廃墟の壁に絵を描いてた彼女と出会ったんです、当時から画力が物凄かったんはよう覚えてますね」

「へぇ」

 塚原はコーヒーを啜りながらもその話に興味津々と言った感じで堀江を見つめている。

「彼女もグレてたの?」

「と言うよりは馴染めんかったみたいなんです。学校行くんはイヤ、かと言ってご両親を嫌うてた訳ではなかったみたいですけど家に居っても息が詰まる、絵さえ描ければ何でも良かったって」

「あ~、相当もがいてたんだ。んですぐに仲良く……」

 塚原の言葉に堀江は首を横に振った。

「はなりませんでしたね。今思えばただのやっかみやったんですけど、最初の頃は難癖付けたり彼女の絵に黒のカラースプレー吹っ掛けたりしてました」

 俺絵心無くて。堀江はそう言って苦笑いを浮かべた。

「廃墟に絵を描くのもアレだけど、人様の力作を汚すのは頂けないなぁ。仁君って案外好きな子いじめるタイプだったの?」

「そんな事はないんですけど彼女に対してはそうでしたね、当時は無自覚でやってました」

 堀江は中学時代の気持ちを思い出し、自然と表情も緩む。

「で、どうやって親しくなってったの?」

 塚原は塚原で人様の恋バナをニヤニヤしながら聞いており、話の続きをせがむ。

「そうですね……本人にそのつもりは無かったらしいんですが、彼女が描いた西洋風の女性像を見た時に神々しさを感じて。当時からクリスチャンやったんで俺の中で聖母マリアを彷彿とさせてしまったみたいで、呆然と立ち尽くして何も出来ませんでした。その後からだったと思います、彼女とまともに話をするようになったんは」

「そうかい、当時から信仰心はあったんだね」

「と言うより家に居るんが苦痛やったんです。父親とは元からそりが合いませんでしたし、母親……言うても後妻さんで口なんてほとんど聞いた事無いですから。水曜の勉強会と日曜のミサは死んだ実母の影響で何も考えんと通うてました」

「きっと似てる何かを感じたんだろうね、尼崎家も確か……近所の教会から出てくるのを何度か見かけた事があってさ」

「えぇ、クリスチャンです。会話の糸口もそこからでした。それと重なるようにあなたとお会いして、徐々につるんどった連中とも段々疎遠になりました」

 堀江はそう言って塚原の顔を見る。『君の居場所はそこ?』この言葉は当時からずっと耳に残っており、服役中もその言葉を胸に過去の過ちを悔い、反省し、亡くなった恋人を弔って生きていく原動力ともなっていた。

「それで一気の盛り上がって……」

「いえいえ結構時間掛かりましたよ。どっちもか素直に気持ち晒せるタイプやないですし、引き合うたり反発したりでなかなか……付き合うようになるまでに一年近くかかったと思います、中学卒業するくらいの時期でしたから。

  ミサと出逢えた事でこっからどう生きていこかとか、彼女とつり合えるええ男になったろとか真剣に考えるようになりました。ただ学校に行って勉強しよういう思考には行き着きませんでしたけど」

「それは別にいいんじゃない? 人生設計なんて人の数だけある訳だし、学歴なんて社会に出てしまえば大した武器じゃないからね。それに高校からなら後でも勉強出来るし、その気になってからでも十分間に合うよ」

「えぇ。当時は何を取ってもミサの事しか頭にありませんでした、中卒自体に後悔はありません……すみません、甘い話どころかちょっと重うなりましたね」

「いや、なかなか聞き応えのある話だね。って事は働き出したの?」

「はい、歳ごまかして居酒でバイトしてた時に町工場の社長さんと知り合いまして。ちょうど人手が欲しかったみたいで『ウチで働いてみぃひんか?』ってお誘いを受けて、二年弱社員として働いてました」

「仁君……ちょいちょい頂けない事してんだね、それ法に触れるから」

 刑事としてはちょっと……と塚原は頭を掻く。

「まぁ……今思えばそこそこの悪ガキやったみたいですね。当時は周囲がそんなんばっかやったんで無自覚でしたけど。

  彼女も絵を描く仕事をするって決めてから学校に通うようになって、美術系の高校を選んでそこでは友達もちゃんと出来て。寂しさで縋り合うてた頃よりも充実して幸せでした、ご両親も寛容過ぎるういか何と言うかすんなり許して頂けたんで」

「多分君らの頑張りをちゃんと見てらしたんじゃないかな、何より娘であるミサさんを立ち直らせてくれたって感謝の思いが大きいと思うよ」

 塚原はコーヒーを飲み干して腕時計に視線をやる。

「そろそろ時間だ、続きはまた今度聞かせて」

 彼はそう言い残し、代金を支払っていそいそと店を出て行った。それを見計らったかの様に村木がひょこっと顔を出し、せわしないべと毒吐いている。

「しっかも自分の話はしねえんだべな、相変わらず」

「人の話聞く方が好きなんちがう?」

「にしたって職業病レベルだべアレ。多少マシにはなったにしたって尋問てえかゲスいてえか」

 村木はぶちぶちと文句を垂れているが、一時期ほどの嫌悪感は無くなったようで口ほどギスギスしたものは感じられない。

「まぁええがな、それよりお昼ちゃんと食べたん?」

「ん、オレも店に戻んべ」

 したっけ。村木も裏口から出て行き、『赤岩青果店』へと戻る。

「アイツも十分忙しないだろ」

 村木の背中を見送った小野坂はため息と共に本音をこぼす。その一言がツボにはまった堀江はつい吹き出してしまった。

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