命を宿す その二
村木が赤岩からの連絡で一目散に自宅兼店舗に舞い戻る。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさぁい」
赤岩の妻である香世子は、普段と変わらない調子で帰宅した甥っ子を迎え入れた。
「“まどか”は?」
「お風呂入ってんべぇ」
彼女は独特のおっとりした口調で受け答えをする。村木は電話で聞いている内容と彼女の態度が違いすぎて、少しばかり解せないと言いたげな表情を見せた。
「アイツ妊娠してるって……」
「んだぁ、二十五週目だってさ。お腹もでっかくなり始めてる」
村木にしてみれば衝撃的な話なのに、香世子の口から紡がれる言霊には緊張が全く感じられない。
「えっ? なしてだ?」
「なしてぇ? こかれても男の方とセックスしたからっしょ?」
「いや、そういう事でねくて」
欲しい答えが返ってこないことでイライラする村木は、どう納得してよいものかと思案しているところに別の部屋から赤岩が姿を見せた。
「そのイライラ、“まどか”にぶつけんでねえぞ」
「したってさ、いきなり妊娠てなしてだ?」
「しゃあないべ、デキたもんとやかくぬかすでね。本人は産んで育てるって決めてるしたから尊重してやるべきだ」
「それは構わんしたって、父親にあたる男は何してんだ?」
「別れたってこいてる。詳しい事は俺にも分からん」
赤岩は“まどか”という女性の選択を受け入れる心づもりの様子で、その事に関する異論は勿論無い。しかし彼の頭の中にはいくつかの『なして?』が癖のように涌いてきて、それを解決しておかないと気持ち悪くて仕方が無い。
「仕事は?」
「辞めた、ぬかしてる」
「親にはくっちゃってんのかい? まぁ物別れしてそうだけどさ」
その問いには赤岩も困った表情を見せてまぁなと答える。
「さっき姉さんに電話したら『もうちょびっとなりふり考えれ』とさ」
「それしかぬかす事ねえのかい? したっけ兄貴らは?」
「カズアキんとこは転勤さ決まってわやにしてるらしくてな、ヒデツグんとこは本人が出張で留守だったんだと。あそこも嫁さん身重したっけ、さすがにこけんかったとさ」
「二人とも家庭があるしたからしゃあないかぁ」
村木は諦め口調でそう言った。
「まぁ小樽に居たしたから近くの札幌を頼るんは普通の事だべ」
「問題は姉さんだべ」
赤岩は一つため息を吐くと、お風呂いただきましたぁ! 女性の明るい声が響き渡る。キッチンに居た香世子が風呂場へと走っていったので赤岩が代わりにキッチンに入った。
ここ『赤岩青果店』を訪ねた“まどか”という名の妊婦は村木の二つ年下の妹で、専門学校を卒業して小樽の観光名所で土産物屋の販売スタッフとして働いていた。彼女は幼少期から男の子たちとよく遊ぶお転婆娘で、すぐ上の兄である村木とは気が合い仲が良かった。その性格が一時期ヤンチャな方向に進行して両親とは事ある毎に衝突を繰り返していた。
彼らからしてみれば一人娘ということもあってか何とかおしとやかに育てたかったようなのだが、社交的で逞しい彼女は人に好かれて友達も多かった。時折すっとんきょうな行動を起こして周囲を困惑させる事もあるのだが、村木は兄としてそんな妹が可愛くもあり誇らしくも思っていた。
この日から村木まどかはこの街での生活をスタートさせ、早速店の手伝いをするようになった。販売員としての経験を活かし、社交的な性格の彼女は従業員にも常連客にも好かれてすぐ生活にも馴染んでいく。表向きは元気そうにしていたが、それでも顔色がすぐれないのを気遣う香世子は何かと世話を焼き、病院へも付き添っている。
「私妊娠検診の経験さ殆ど無いしたって、どうも時間が長いような気もするんだべねぇ」
かつて二度妊娠したものの、週の浅いうちに流産していた彼女は不思議そうに首を傾げた。
「本人は何て?」
「『至って順調!』ってこいてる。踏み込んで聞いたらかえって警戒されそうでさぁ」
この話は赤岩夫妻の間で留めておく事にし、二人は姪っ子からのアクションを待つ事にした。
「カヨちゃん、どっか美味いパン屋さん、知らないかい? 」
まどかは小さい頃からパンが大好きで、徒歩圏内で行けるパン屋が無いためか禁断症状にも似た感じでパンを欲していた。しかもスーパーやコンビニで売っている物ではなく、パン屋の物をという妙なこだわりを持っている。
「したら『アウローラ』が良いんでないかい?四月にオープンしたばっかししたって、今じゃ『パーネ』よか人気あんべぇ」
「『パーネ』の評判ここんとこがた落ちだべ、小樽でも専らの噂だ」
こしあんパン好きだったんだけどなぁ……まどかはこれも時代の流れかと少し寂しそうに呟いた。
「『パーネ』はどうする?」
「止めとく、不味いんならまくらいたくね」
「まぁ方向も違うしさぁ、ついでに『オクトゴーヌ』にも行ってみるかい?」
「『オクトゴーヌ』? 何だそれ?」
「教会近くのペンションだ、従業員さんは全員二十代のイケメン揃いだべぇ」
イケメン揃い……妊婦とは言え独身でお年頃のまどかは「オクトゴーヌ」に興味津々だ。この日は日曜日、女性陣は休日となっているので朝から路面電車に乗って出掛ける事にする。
「街の雰囲気だいぶ変わってんべ」
まどかは八年振りに散策する街を楽しそうに見回している。
「新幹線開通のお蔭だべさ、久し振りに活気付いてる」
ずっとこうだと良いけど……永らくの不景気を見てきている香世子にとっても地元の活性は喜ばしいことだった。




