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決意 その二

 小野坂ははやる気持ちを抑えながらペンションへ戻る途中で、夜中とも朝方とも取れる時間に一人の女性が重い足取りで歩いているのが見えた。

 ユメ? 小野坂は雰囲気で調布とすぐに分かったのだが、念のため速度を落として目を凝らして見る。彼女の表情は少し疲れている風で、彼はハザードランプを点灯させてから車を脇に停めた。

 一方歩道を歩いている調布も車の存在には気付いていたが、大して気に留めていなかった。小野坂はエンジンを切って車を降り、彼女の背中に声を掛ける。

「ユメッ!」

「智?」

 調布は彼の声にピクンと反応し、下向き加減だった顔を上げて足を止める。

「どこ行ってたの?」

 振り返った彼女は大告白をしてしまった気恥ずかしさと、無事に帰ってきた安堵感とが入り交じった表情を浮かべながら車の方へ駆け寄った。小野坂も調布の方へ歩み寄り、二人は車の後部付近で鉢合わせてお互いの顔を見つめ合う。

 小野坂は調布の白く細い腕を掴んで自身の方へ引き寄せると、彼女の体は磁石の様に吸い寄せられてしっかりと抱き留めた。突然の事ににわかパニック状態の調布は戸惑いを隠せなかったが、愛する人に抱き締められている幸せを離したくなくて小野坂の体に腕を巻き付ける。

「初めからこうすりゃ良かったんだ」

 小野坂は調布の茶色い髪を優しく撫でる。

「ゴメン、十年も無視してて」

「仕方無いよ、私があんな事したから」

 調布は小野坂の体に身を委ねて瞳を閉じる。

 もう良いんだ……小野坂は腕の力が緩めて彼女の頬に手を添えると、子供の頃に戻ったかの様に互いのおでこをくっ付け合う。二人にとっていわば儀式みたいなもので、幼い頃からこうして感情を共有してきた。

「俺甲斐性無ぇからこれまでみたいな裕福な生活なんて出来ねぇぞ」

 小野坂はそう言って再び調布の体を抱き締めると、うんと頷いて幸せそうな表情で身を預けた。

「ここを離れるつもりは無いから、ユメは寒がりだから冬は厳しいと思うけど」

「大丈夫よ、でも時々は温めてね」

 その言葉に苦笑いする小野坂だったが、少し間を置いてから分かったと答えた。

「まだあるぞ。仕事の時間が不規則だから一緒に居られない事も多くなる、でも俺この仕事好きだから辞めない」

「智サラリーマン出来ないもん、好きな事は辞めないで」

 調布は小野坂の顔を見上げてクスッと笑った。その微笑みに小野坂の心に刺さっていた棘が少しずつ消えていく。

「それでも良かったら俺の傍に居て欲しい」

 これまでずっと抱え続けてきた黒い塊が、正直な気持ちを吐き出した事で砂糖が溶けるかの様にスッと溶けていった。調布は小野坂の首にしがみついて涙をこぼす。二人は時を取り戻すかの様に体を寄せ合い、まるで祝福するかの様に太陽が優しく照らしていた。


 朝になって二人は共に『オクトゴーヌ』に戻ってきた。調布は客用入口から、小野坂は従業員用入口からペンションの中に入る。フロント業務は川瀬から根田に代わっており、疲れていながらも幸せそうな表情を見せている調布に笑顔を向ける。

「お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました」

「もうじき朝食の時間になりますが……さすがに無理、ですよね?」

 根田はほぼ徹夜状態の客を気遣う。

「いえ、案外お腹空いてしまって。朝食時にモーニングコールだけお願いしても良いですか?」

「かしこまりました」

 彼の返事に安心した調布は、少し休んできますと言って【サルビア】ルームに戻っていく。


 一方の小野坂は事務所のソファで休んでいた堀江と鉢合わせていた。

「お帰り」

「ご迷惑、お掛けしました」

 意外と笑顔で迎え入れるオーナーに小野坂は罰悪そうに頭を下げる。

「まぁやる思てたけどな」

「何だよそれ」

 がっくりと肩を落とす小野坂を見て、怒ってるとでも思てた? と笑う。

「まぁかと言うてお咎めナシいう訳にもいかんから。今日から三日間ベッドメイキングを一人でやってもらうんと、昼の店番も追加でお願い。以上業務連絡終わりっ」

 堀江は小野坂の肩をポンと叩いて厨房へ移動していく。彼は感情的な行動を起こす事は少ないのだが、従業員が普段一番しない仕事を三日間させる命令を出す。以前川瀬が職務放棄した時も、普段する事の無い外の掃き掃除を三日間命じていた。

 何気に怒ってんじゃねぇかよ……小野坂はボソッと毒吐いてから従業員用の手洗い場で顔を洗い、愛用の紫のエプロンを着用する。

『おはようさーん』

 いつもの様にいつもの調子で村木が食材の搬入にやって来る。小野坂も厨房に入り、入荷分の運び入れに大忙しとなっていた。


 客室が空になったのを見計らった小野坂は、せっせとベッドメイキングに勤しんでいる。鵜飼による洗濯物の回収が済むと今度は掃除が待っている。ベッドメイキングと掃除はセットで一つの仕事となっており、軽度のアレルギーがある小野坂はマスクを付けて作業をしていた。

 あぢぃ……昼までには済ませないとランチタイムの接客に間に合わない、そんな時にこんちわ~と呑気そうに姿を見せた鵜飼に少しばかり苛ついてしまう。

「あんれ? 珍し~」

「んなこと無ぇだろ、来たんなら手伝え」

「智さん人使い荒いべ」

 鵜飼は文句を垂れつつも早速手を付けていない部屋を探して作業に入る。そう言えば昨夜職場放棄したとかぬかしてたな……そんな事が頭をよぎるも、黙々とシーツを外してパジャマとタオルをひとまとめにかき集める。

「これって職務放棄のペナルティしょ?」

 鵜飼は一部屋片付け終わったところでひょっこりとドアから顔を出した。

「何でんな事知ってんだよ?」

「したって僕が仁に報せたんだべ、変な時間さ『オクトゴーヌ』ん営業車走ってんだもん」

 あ~……小野坂はどこか余裕顔だった堀江の事を思い出していた。鵜飼はそれ以上の追及はせず、したらさと話題は別の着地点に納まった。

「悌にペナルティ付いたら何させんだろうね」

「ん~、厨房なんじゃねぇの?」

 二人は根田が明らかに苦手にしている仕事を知っているので思わず吹き出した。

「珍記録生まれそう」

「その前に食器が無くなっちまうよ」

 根田に客用の食器を洗わせると必ずと言って良いほど食器を破損させる。先日川瀬のペナルティに伴い久々に洗い物をさせたは良いが、グラス四個、カップ二個、大皿一枚を割ってペナルティよりもそのことで猛省に至る結果となった。

「わざとであそこまで割らないよな? 自分の食器もしょっちゅう割ってるし」

「ってか怪我しねえのが不思議だべ」

「普通に考えればヘマのはずなのに神業な気すらしてくるよ」

「んだ、一緒に買い物行くたんびに食器買ってるべさ」

「食器に変な同情しちまいそうだ」

 二人は無駄話をしながらも作業の手は休める事無く、それからさほど時間をかけずにベッドメイキングは終了した。

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