ステップアップ その一
それから数日が経過して客室が空になっているこの日、川瀬はランチタイムのみ『DAIGO』でのアルバイトを入れて既に出掛けている。小野坂は村木と遊びに行く予定を入れていて、少し早い賄い飯を作っている。堀江は暇な時間を利用して溜まった事務処理をしていて、根田は一人どう過ごそうか悩んでいた。
退屈そうにしている年下の先輩を観察していた小野坂は、昼食が出来上がったので二人に声を掛けた。
「ちょっと早いけど、飯食わない?」
「うん、頂くよ」
堀江は途中になっている仕事を一旦片付ける。小野坂は根田が嬉しそうに厨房に入ってきたのを見て、暇なら付いて来るか? と誘う。
「え? 良いんでしょうか?」
「良いって礼なんだからさ。俺もくっつき虫だし」
「そうなんですか? どこへ行く予定なんです?」
「釣り堀。市場のイケダさんも一緒だよ」
幸い知っている人物ばかりだったので根田はすっかり安心する。市場の池田と言う人物は魚の卸商人で、彼らとは一回りほど歳上の男性である。彼は時々『オクトゴーヌ』にも出入りするので言わば顔馴染みになっており、結婚を機に遠洋漁業の漁師から今の仕事に変わったと聞いている。
「俺釣りに興味無ぇから断ったんだけど、『今日は釣り堀だから船酔いの心配は無い』って。相っ変わらず強引なんだよ」
小野坂は面倒臭そうに言ったが、何だかんだ言いながらも親友である村木と遊ぶのは再来してから初めてなので嬉しそうにしている。一方の根田は都会っ子なのもあって釣りの経験が無く、ちょっとしたアウトドア気分で期待に胸を膨らませていた。
昼食を済ませると、池田の車が迎えに来て小野坂と根田は釣り堀へと出掛けて行った。堀江はフロントで事務処理をこなしており、カフェの客も全く来ないので仕事はことのほかはかどっている。
そんな静かな店内に、グレーのスーツを身にまとった少々物々しい男性二人組が来店した。
「いらっしゃいませ」
堀江は過去に触れた事があると思しき人種の訪問に少し表情を固くしたが、どうにか平静を装って声を掛ける。
「あいにく客ではありません」
二人組は胸の内ポケットから警察手帳を取り出して堀江に見せた。
「市警の渡部と申します」
「同じく阪田と申します」
やっぱりそうか……予想が的中してしまい嫌な感情を持ったが、やましいことは無いと二人を見た。
「どのようなご用件でここに?」
堀江は二人の刑事に椅子を勧めたがあっさりと断られ、阪田と言う背の低い刑事が話を切り出した。
「最近、この辺りの治安が悪くなっていると伺いまして」
彼は落ち着きの無い気性なのか店内をうろついている。一方の渡部と言う背の高い刑事は、恐らく歳上なのもあって悠然とした立ち居振舞いを見せていた。
「最近は如何ですか? 治安の方は」
彼は育ちが良いのか、かなり丁寧な口調で訊ねる。
「商店街の若い有志たちがパトロールを始めまして、一時期よりは落ち着いたと思います。小学校からも通達が届きまして、下校時刻に大人が外に出る様にしているんです」
「なるほど、ここも『子供駆け込み場』になってるんですか。西側は色々と対策をなさってるようですね」
二人はこれまでに市内の状況を見て回っていると見えて、渡部は断りを入れて観光地図を抜き取りカウンター席で広げている。
「恥ずかしながら私関西出身で、土地勘があまり無いものでして」
渡部は含みのある視線を堀江に送った。堀江はそうですかとしか答えず、少しの間沈黙が流れる。阪田は店内を一周して戻ると、堀江の前に立って顔を見上げた。
「そう言えば先月、商店街で大立回りしたのって君しょ? 堀江仁さん」
その頃、釣り堀は平日という事もあって閑散としていた。『オクトゴーヌ』からやって来た面々は早速釣りに興じていたのだが、ヤル気の無い小野坂はすぐに飽き、受付の待合室でタバコをふかし始める。しばらくそうして待っていると、根田も待合室にやって来た。
「全然釣れません……」
ビギナーズラックが叶わなかった根田は、小野坂の隣の椅子に座ってうなだれている。
「だろうな、だって魚居ねぇもん」
小野坂は店の人が聞いたら怒りそうな事を平然と言う。根田はハラハラしながら周囲を見回して人が居ないか確認する。受付の奥で一人常駐していたが、こちらの話は聞こえていない様子だ。
「お腹空いていないんでしょうか? お昼過ぎですから」
彼のフォローだか何だかよく分からない受け答えに小野坂は苦笑する。二人は近くに何も無いので仕方無くここでくつろいでおり、窓越しに見える村木と池田の様子を見つめていた。全く釣れなかった二人とは対照的に彼らの方は入れ食い状態で、糸を垂らせばすぐに釣れるので楽しくて仕方が無いと言った様子だった。
「一体何の差なんでしょうか?」
「俺に聞くなよ」
二人はそのまま入れ食いコンビを眺めていたのだが、小野坂は何の脈絡も無く話を切り出した。
「なぁ、もう少し肩の力抜けよ」
「え? 何です? 急にどうしたんですか?」
根田はいきなりそんな事を言われると思っていなかったので、どう答えようか困る。
「もしかしたら、この前来てたジュン君に妙な親近感持ってんじゃねぇかと思ってさ」
しかし小野坂は根田の困惑に構わず話を進め、チラッと横目で見た。
「どういう事ですか?」
小野坂の言わんとしている事が根田にはいまいち伝わっていない。やっぱりいいと止めてしまっても良かったが、話を切り出した手前中途半端にするのも気持ち悪くて根田の方に体を向けた。
「誰かの期待に応えようと変に一生懸命になってるところだよ。それってしんどいだろ?」
そうはっきり言われた事で根田の表情が変わる。
「そりゃ一生懸命やりますよ、仕事なんですから。でもボク器用に仕事がこなせないんです。もう半年近く働いてるのに、全然要領掴めなくて自分が嫌になるんです。智さんみたく上手に仕事が出来ないんです」
根田は不機嫌そのものと言った表情で胸に仕舞っていた感情を少しずつ吐き出していく。
「それは俺の方が早く社会に出てるからで、ここ以外でも接客業の経験があるからだよ。それにそんなに器用に生きてきた覚えは無いんだけど」
小野坂はふかさずに放置していたタバコの火をもみ消した。根田はペットボトルを手の中で転がしながら、それをじっと見つめている。
「そうは見えないです。いっつもボクの前を走ってますから。でも時々立ち止まって追い付くのを待ってくれるんです、亡くなった兄もそうでしたから」
そこも重ねてんのかよ? 小野坂は口にこそ出さなかったが、彼が相当のコンプレックスに悩まされているのを知って何も言えなくなる。悪い事したかな? そう思ったが話はそこで終わらなかった。
「兄はボクより五歳年上で、勉強もスポーツも出来てめちゃめちゃ格好良くて、色々教えてくれる優しい人だったんです。それが全然嫌味じゃなくて、ずーっと目標だったんです。でも四年前に交通事故で亡くなって、両親は魂が抜けたみたいになっちゃったんです。ボクも途方に暮れましたけど、兄の分も頑張らないとって自分なりに一生懸命勉強して両親を安心させたかったんです」
根田はペットボトルを改めて握り直す。
「それなのに就活に失敗して親以外に周囲の人たちまで失望させちゃって、自分は兄に比べてダメな人間なんだって考えたら何にも出来なくなってしばらくは外に出られなかったんです。それじゃどんどん落ちぶれる。とにかく自分を変えたくて、最北端の岬の前で初日の出を見た後にこの街に立ち寄った時に『オクトゴーヌ』の再建を手伝っていた頃のマコトさんと知り合ったんです。両親には兄の命日には帰省する事を条件に納得はしてもらっています」
彼はそこまで一気に話すと、喉を潤すため手にしているお茶をひと口飲んだ。
「ゴメン、俺余計な事したな」
小野坂は長話で少し疲れた様子の根田を見る。
「いいんです、話したら何だかスッキリしました」
「そっか」
小野坂は再び窓の外を見ると、村木たちの釣りはまだ続いていた。
「お兄さんの事、尊敬してんだな。俺一人っ子だからその気持ちを持てるのが羨ましい」
彼は窓から根田に視線を移す。
「ハイ、でもボクは兄の様になれなかったんです」
「そんなの当たり前だろ? お前はお兄さんの代わりじゃねぇんだから。兄弟っつったってそれぞれ違う人間なんだし、悌には悌にしか出来ない生き方があるんだよ」
これまで誰にも言われなかった言葉に反応して、根田はゆっくりと顔を上げる。
「ボクにはそれがまだ分かりません」
兄を見習え、兄のようになれと周囲に限らず自身でも重圧を掛けてきた根田には、まだ“自分らしさ”そのものがはてなワードだった。
「悌、今楽しいか?」
「ハイ、楽しいです」
根田は素直にそう言った。小野坂は頷いて今はそれで良いと笑いかけたが、彼の表情は再び曇る。
「でもボク不器用過ぎて……」
「何言ってんだ、器用に立ち回るお前なんか見たくねぇよ」
落ち込む根田に小野坂は苦笑し、結果彼を怒らせる。
「ひどいじゃないですかぁ!」
「別にひどかねぇだろ、上手に生きてる二十代前半の奴の方がよっぽど嫌だよ」
本気で起こる年下の先輩の様子が可笑しくて、小野坂は珍しくくしゃくしゃな笑顔を見せる。
「オレもヤだねぇ、そういう奴。したってみったくねえべ」
釣りを一段落させた向けたが話に割って入る。そして根田の隣の椅子に座ると、ニヤニヤしながら小野坂をチラ見した。
「それにな悌、智はんな器用な男でね。すーぐ勘違いするし、生意気なくせに繊細だし」
「うっせぇよ、てめぇ」
村木の冷やかし混じりの言い方に小野坂はカチンときて睨み付ける。根田は仕事で見る後輩の話とは思えず、ホントですか? と訊ねる。
「あー♪ 今でこそカッコ付けてっけどさ、最初の頃は仕事の覚えが遅くてよぉく怒られてたんだべぇ」
村木の暴露に小野坂はため息を一つ吐いて呆れた表情を見せる。
「お前だって大して人の事言えねぇだろうが」
そう言い返したところでポケットに入れていたケータイがブルブルと震え出す。画面を見るとペンションからの着信だったので、すぐに通話ボタンを押した。




