来訪者
9、
魔術師の塔に近い森の中。
エドマンドが人目に見えない位置で待っていると、しばらくして、近づいてくる人影があった。
「待タセタナ、人間」
人間のものではない、キイキイと甲高い音が混じるような、しゃがれた声。
エドマンドは、鼻にハンカチをあてたまま、その人影に答えた。
「それ以上、近づかないでくれるかな。ゴブリンの勇士殿。
すまないが、自分はあなたのにおいが苦手だ」
ゴブリン。
それは、オークとは類縁の別種族。
そのゴブリンは、人間よりも大柄なアレック・ガルムとは違い、背丈は人間よりも小柄だった。
痩せていて、四肢は、節くれ立った木のようにねじれていた。だが同時に、荒縄のような強靱さも感じられた。
顔は、猿に似ていた。毛に覆われた顔の中で金色の目が爛々と、強い光を放っていた。
エドマンドは彼に言った。
「手早く話を済ませよう。
この距離でも、あなたのにおいは鼻につく」
「フン、不遜ナ奴ダ。貴様ノ父親ヲ思イ出ス」
「誉められたと思っておくよ。
あなたが記憶しているであろう、戦のただ中で勇猛だった頃の父の話は、聞いて尊敬しているから」
「クク、今ノ腑抜ケタ貴様ノ父親デハ、尊敬ニ値シナイカ?
マァ、ソレハイイ。
準備ハ出来テイルカ?」
「ああ。
アオイ殿から、使い方も教わってある。今から教える。
その後は、あなたの仕事だ」
「時間ハ正午、魔術師ノ塔、ダッタナ。
任セテオケ」
ゴブリンは、クククと笑った。
「上手クイッタナラ、アノおーくノ糞野郎ノあれっく・がるむヲ追イ出シテ俺ヲ城ニ雇ウ件、忘レルナヨ?」
「ああ、考えておく」
一方。
来訪者の館。二階。
ローリエに案内された部屋で、チェターラの前に現れたその女性は、眠そうだった。
青く透明な女性、という印象を感じたのは、なんだったのだろう。第一印象で、そう感じた。まるで今にも透明になって消えそうな、そんな印象を受けた。
改めて見れば、透明な人間などいるわけもなかった。普通の女性に見えた。
ただ、その黒髪は、青みを帯びているような気もした。
年は、三十代前半。物憂げな顔。
黙っているその女性に、ローリエが話しかけた。
「アオイさん、今日は新しいメイドを紹介しに来ました。
オークのアレック・ガルム様の娘の、チェターラちゃんです」
「……あのオークさんの?
へえ、見かけは普通の人間なのね」
眠そうな目が、少し興味深そうにチェターラを見た。
「わたくし、チェターラと申します。よろしくお願いいたします」
チェターラが一歩前に出てそう挨拶すると、アオイは鼻をしかめて、少し体をのけぞった。
だが、それはわざとではなかったらしく、言った。
「……ごめんなさい。
あなた、強い香水を使ってるのね。
息子が香水アレルギーだったものだから、私も少し、香水のにおいには神経質になってしまっていて」
それから。
言った。
「もう一度会える機会があるかどうかは分からないけれど、よろしくね」
?
どういうことでしょうか?
チェターラが首をひねっていると、ローリエが言った。
「やはり、お別れが近いということでしょうか?」
「ええ、そう」
?
チェターラがさらに首をひねっていると、アオイは物憂げに笑った。
「あなたは召喚の儀式のことを、よく知らないのね。
今この世界で使われている召喚の儀式は、不安定なものだわ。召喚された者は、いつまでもこの世界にいられるわけじゃないのよ。
一年ほどで、いなくなるの」
「いなくなる? それは、元の世界に戻るのでしょうか?」
「いいえ」
なぜか、寂しげに、笑った。
「……そうね、改めて、誰かに話してみるのもいいかもね。
私自身のことでもあるし、あなたは私の最後になるかもしれない話し相手だし、せっかくだから。
……部屋に入って。座って、お話しましょう」
そして。
チェターラとローリエを部屋に入れて、来客用の椅子に座るようにすすめた後。
彼女は簡単に、自分をこの世界につれてきた召喚の儀式についてのことを話し始めた。