来訪者の館
8、
来訪者の館からは、不思議なにおいがしていた。獣臭のようなのだが、それにしては妙に現実感の無いにおい。一秒先、あるいは、一歩でも距離を置けば、すぐに消えてしまいそうな。
館に入ると、一階は獣舎になっていた。
内壁は無く、全体が一つのフロアになっていて、鉄格子の檻で区切られた十三の区画が並んでいた。一つは空っぽだったが、残りの十二の檻にはそれぞれ動物がいた。
馬、熊、象、キリン、巨大な爬虫類、大蛇、猫科の大型動物、大型の猿、大カンガルー、巨大な鹿、甲羅のような皮膚の大型哺乳類、ジャイアントペンギン。
馬は見慣れていたが、それ以外の動物は、チェターラが本でしか見たことがないか、本ですら見たことのない動物だった。
……ペンギンって初めて見ました! あと、あちらの動物は、名前は何でしょうか。あとでお父様に聞いてみましょう。お父様は物知りだから、きっとご存知のはず。
と、チェターラは思った。
どの動物も、人間と同程度かそれ以上の大きさで、一見すると威圧感がありそうに思えた。だが、どういうわけか、どの動物もおとなしく眠っているか、まどろんでいるかで、むしろ存在感が希薄な印象があった。
立ったまま眠っているジャイアントペンギンを眺めていて、チェターラは目をしばたいた。一瞬、まるでペンギンの体が青く透き通って消えかけたような、そんな錯覚があった。
だが驚いて見直すと、ペンギンは変わらずにそこにいた。
一人のメイドが、どうやら餌係らしく、檻の前で手桶から餌を餌箱に移していた。
小柄なそのメイドは、ローリエとチェターラを見て頭を下げた。
「おはようございます」
「おはよう、クローブ♪」と、ローリエ。
「おはようございます」と、チェターラ。「チェターラと申します。今日からメイドになりました。よろしくお願いいたします」
「あ、よろしくお願いします」
と、小柄なクローブはまた頭を下げた。
チェターラはローリエに言った。
「この館には、別世界から召喚された人がお住まいになっているとおっしゃってましたけど……どこにいらっしゃるのですか?」
「召喚された人なら、二階です。
でも、ここにいる動物たちも、別世界から召喚された動物たちです」
ローリエの言葉の後、クローブが説明を続けた。
「えっと、召喚の儀式は不安定で、人間だけを選んで召喚できるようにはなっていないんです。
昔よりは改良されていて、それなりの確率で人間を召喚できるようにはなっているのですけど、でも、約九割は人間ではなく他の動物が召喚されます。
……と、私のお爺ちゃんが言ってました」
「クローブは、召喚の儀式を担当している魔術師クレテックさんのお孫さんなのです」
と、ローリエが付け加えた。
「後で魔術師の塔に行けば、クレテックさんにも会えます。
でもその前に♪ まずはこの館の二階を案内します」
そう言って、ローリエはチェターラをつれて二階への階段に向かおうとした。
クローブが言った。
「あ、今はエドマンド様が二階に……」
そのとき、ちょうど二階から降りてくる姿があった。
「おや?」
双子の王子の一人、エドマンドだった。一階の動物たちのにおいが嫌いなのか、談話室で見たときと同じように鼻にハンカチをあてていた。
「オークの騎士殿の可愛い娘さん。また会ったね。
城の敷地内を見て回ってるのか」
「はい」
チェターラは頭を下げつつ答えた。
それから、この王子様はなぜこの館にいらっしゃっているのだろう、と思った。
疑問が顔に出ていたのか、エドマンドが言った。
「ここで会ったことが意外かい?
兄さんとの口論を聞いて、別世界と関わることに懐疑的な人間だと思われたかな。
自分は、むしろ別世界の知識には貪欲でありたいと思っているよ。それは役に立つものだからね。為政者の一族として、知っておくべきだ。
だから、よくこの館に来る。別世界からの来訪者の話を聞くためにね」
階段を降りて、チェターラたちの横まで来ながら、言った。
「さて、自分は城に戻ろう。
ではまた。
……ああ、アオイ殿は疲れやすいから、あまり長話はさせないように」
アオイ様とはどなたのことでしょう、とチェターラは首をひねった。
「アオイさんは、二階にいる来訪者の女性です」と、ローリエがチェターラに説明した。それから、エドマンドに言った。「はい、軽くチェターラちゃんを紹介するだけの予定です」
頷いた後、エドマンドは館の外に去った。チェターラとローリエとクローブは、一礼してそれを見送った。
チェターラとローリエが階段を上ると、二階には廊下の片側に十三の個室が並んでいた。
「今、二階に住んでいるのはアオイさんお一人です」
「部屋はたくさんあるみたいですけれど……」
「召喚の儀式で増えることがありますから。
部屋はあらかじめ多めに用意してあるのです」
階段を上がったすぐの壁には、棚があって十三個の鍵が並べられていた。それぞれの個室の鍵らしかった。
個室の扉は、覗き窓があり、外側から鍵がかけられるようになっていた。
……まるで、牢屋の扉みたい。
と、チェターラは思った。いや、実際には牢屋というには部屋の内装も廊下の装飾も整えられていたし、鍵もあくまで、いざというときのため用で、普段はかけられていないようだったが。
チェターラとローリエは廊下を進み、一番奥の個室の扉の前に立った。
ローリエが中に声をかけた。
「アオイさん、入ってもよろしいでしょうか」
やや間があって。
内開きの扉が開いた。
透明な、青色の女性が姿を現した。
一方。
来訪者の館の外に出た王子エドマンドは、館の一階から漏れる薄い獣臭が感じられなくなるまで離れた後、立ち止まった。
ハンカチを鼻から離し、深呼吸して空気を何度か吸った。
それから。
周囲に誰の視線も無いことを確認した後で。
城とは反対方向の、魔術師の塔に近い森の中へと向かった。