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オークの娘さん  作者: yamainu
第3話 『オークの娘さん、母の魔法の日記を見る(中編)』
46/51

煙と草木

 25、


 森に入ったとき、後にした野営地の反対側方面からは煙が立ち上っていた。だが、チェターラがそれに気づくことはなかった。

 もし気づいたとしても、ただ昨日の戦闘で燃えたテントやそういったものにまだ火が残っていたのだろうと、そう思っただろう。思い出すだに怖い記憶ではあったけれど、もう忘れてよいものとして考えただろう。

 今、何が燃やされて煙が出ているのか、まったく想像しなかっただろう。

 昨日の夜には戦場のあちらこちらに散らばっていて、今朝にはいつの間にか目にしなくなっていたものがどこへ片づけられどう燃やされたのか、など考えはしなかっただろう。

 そして実際には、煙が立ち上っていることにすら気づかなかった。横に並んで歩いていたレイヤ少年がふと煙の方向に目を向けたときも、つられて背後に目を向けたチェターラの視界は背が高く幅も広いアレック・ガルムがちょうど覆っていて、さらには森の木々がその頭上に既に枝を広げていて、煙は視界から隠されていた。

 いつ見ても頼もしい父親と目が合って信頼の笑みを返してから、前方の深い森に目を戻した。


 ……草木のにおいって、いいですよね! わたくし、とても好きです。

 ……世界はきっと素敵な場所であふれていると、わたくしは思うのです。

 鬱蒼としたたくさんの植物の強いにおいの中を歩いていると、いつの間にかチェターラの気分は上機嫌になっていた。そのにおいを深く吸い込んでいると、自分のにおいなどは自然と気にならなくなっていた。

 黙っているのももったいない気分だったので、辞書を取り出してレイヤ少年に話しかけてみながら歩いた。

 相変わらず単語を一つ一つ探しながらなのでゆったりとした会話だったが、レイヤ少年は森の中を歩くのは不慣れな様子で足下に気をつけながらだったので、そのくらいの会話速度でもお互いにちょうど良かった。

 一時間ほど歩いた頃、ずっとチェターラの肩の上に乗ったままだったアパリアスがチェターラに言った。

「さっさと歩き疲れて音を上げるかと思ってたんだけどさ、おぼこちゃん、あんた意外と体力あるね。

 あとさ、そっちの人間と違って道もない森の中でも歩きなれてるようじゃないか」

「ええ、はい。前にも森を長く歩いたことがありますので。

 それに、わたくしの乳母は草木の精ドライアドでしたので。緑に囲まれているのは落ち着きます」

「乳母? ドライアドが?

 ああ、それであたしらの言葉を覚えたわけかい? しかし珍しいね。あいつら、人間の住んでる土地なんか嫌ってるはずなんだが。

 あんた、どこ育ちさ」

「それは、ええっと……」

 どう答えたものでしょう? お父様には分かってもらえましたけれど、アパリアス伯母様にわたくしの身の上をお話ししても大丈夫でしょうか?

 チェターラは迷っていたが、アレック・ガルムが会話に割って入って言った。

「私が昨夜聞いている。だが短くは説明しにくい。必要になれば後で改めて説明する」

「ああん? ならまあいいけどさ」とアパリアス。

 チェターラは感謝の笑みを父親に見せた。それからアパリアスと今度は別の話をしたり、またレイヤ少年とゆっくりとしたペースの会話に戻ったりした。


 ……。


 話題に出たからだろう、ふと、乳母がいた頃の思い出が頭に浮かんだ。

 最初に思い浮かんだのは今と同じように森を歩いた記憶。物心ついてからずっと傍にいてくれた乳母との生活が終わる間際、異人族の村へ帰る彼女に付き添ってアレック・ガルムと三人で森の中を旅したときのこと。

 そして次に思い浮かんだのはそこからの連想で少しさかのぼって、その旅に出発した前日のこと。

 チェターラからすれば数年前。今いるこの時間からは約十年後にあたるであろう時間の話。

 チェターラとアレック・ガルムが住む町外れの家からさらに道を外れると、ほとんど忘れられた共同墓地があって、母親リクアの墓がそこにあった。

 あまり頻繁に訪れる場所ではなかったが、しばらく旅で離れる前の節目にと、アレック・ガルムとチェターラは乳母と三人でその墓の前に立った。

 アレック・ガルムは言っていた。

「奇妙なものだ。

 妻の心がまだここに埋まっているような気がする。空に還らずに」

 チェターラが父の様子を不思議そうに見守っていると、アレック・ガルムはそれに気づいた。娘に話すべき事柄かどうか少し迷ったようだが、説明してくれた。

「私たち異人族は火葬が習慣だ。

 死者の魂は煙に乗せて空へ還すものだと、そう耳にして育ってきた。だから私たちは亡骸をそのまま土に埋めることはしない。たとえ戦場で争い倒した敵の亡骸であってさえ、時と場が許す限り火にくべる。

 一方、この土地の人間たちは土葬を習慣としている。

 亡骸を燃やすのは、彼らにとっては冒涜とすら考えられるらしい。ゆえに異人族を嫌う原因の一つにもなっていたようだ」

 もっともあくまでこの土地の慣習であって、別世界では私たちと同じように火葬を習慣とする人間たちも多くいるようだが、とアレック・ガルムは付け加えた。

 この話題はアレック・ガルムにとって長く気にかかっている事柄らしく、この時より後の別の機会にも似たような話をしてくれたことがあった。それによれば火葬と土葬の習慣の違いが何から生まれるかは宗教であったり土地の広さであったりと複数の要因が考えられるが、異人族で火葬が一般的になった由来の一つには伝染病などへの対策としての経験則もあったのでは、というような話もしていた。

 いわく、元から多種族が混じっていたり略奪婚でさらに他の種族の生活圏と関わったりなど出入りが流動的な異人族は、歴史の中で悪い病の流入に直面する機会も多く、その対処の一つとして悪病の元をその場に残さないようにと火葬が中心になったのでは、というような話だった。

 もっともこの時はそういった学術的な推論の話はせず、ただ妻が埋められた墓に目を向けながら言葉を続けた。

「妻の亡骸は、火に燃やされることなく埋められた。

 それが妻の友人たちの願いだった。私も彼らの風習に従うことにした。ここは彼らの土地であり、彼らは妻の友人たちなのだから。彼らがどれだけ手を尽くしてくれたのかも知っている。異論はなかった。

 だがそれは理屈の上の話でもある。火葬を習慣にしてきた私はずっと、妻の身体がそのまま埋められたこの墓に違和感を抱いている」

 会話の間、草木の精で乳母のアサフェティダ・アギは少し離れた場所で不機嫌そうにそっぽを向いていた。

 そんな様子はチェターラには見慣れたものだったので、あまり気にせずアレック・ガルムの横で母親の墓に思いを向けていた。

 墓石の周囲は草木に覆われていて、花が咲いていた。なんとはなしにそれに見惚れて手を伸ばして触ろうとすると、いつの間にかこちらに目を向けていたアサフェティダがその手をつかんで、言った。

「ん……そんな花に触るのはよして。汚れてしまう」


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