母の話と父のノート
2、
城への道すがら、父親のアレック・ガルムはチェターラに母親の話をした。これまでにも何度かしたことのある話。
その話の影には、当時の戦争の暗い色があった。
アレック・ガルムが彼女に出会ったのは、十三年前。
今はアレック・ガルムが仕え、当時は母親のリクアが仕えていたメルシアという国は、戦争の最中にあった。
野心家で知られていたペンダ王はその四半世紀以上前から近隣の諸国と勢力争いを続けていて、当時も、隣国のデイラ王国と争いの真っ最中だった。そして、その人間の国家同士の争いを利用しあるいは利用される形で、オークを含む異人族の軍が、報酬次第でメルシアのペンダ王に手を貸し、あるいはデイラ王国に手を貸す形で戦場に顔を出していた。
戦争の終局の少し手前の時期。
異人族の軍はデイラ王国に手を貸して、メルシアと戦っていた。
アレック・ガルムとリクアの二人は、そんな戦場で出会った。
だから、それは周囲を見れば血のにおいのする話。
詳細を語るなら、鉄火のにおいのする話。
ただ、アレック・ガルムは娘にそういった戦争の部分を詳しくは話さなかった。
娘のチェターラの側も、もしも詳細を話されたところで、あまり実感は無かった。チェターラが物心つく頃には戦争の時代は一段落して、曲がりなりにも平和な時節に入っていたからだ。
……半日後の未来には、チェターラは父と母が出会った時代を実感をもってよく知ることになる。
だが、このときはまだ、それは遠い過去の話。
だから、気にしていたのは父親と母親のロマンスの部分だけ。
「その頃、お父様はまだ人間の言葉はよくご存じなかったのですよね?」
「片言、といったところだ」
「それでも、お母様と想いを通じることができたのですよね……」
……お父様にできたのなら、娘のわたくしにもできるでしょうか。
そう考えたが、娘のチェターラが想像するに父親は昔から頭が良かったに違いないと思えたので、自分が簡単に同じことができるとはどうにも思えなかった。
それに、昨日知った別世界の少年の言葉は片言どころか一言すら分からない。
チェターラが物憂げな顔をしていると、父親のアレック・ガルムはその顔をじっと見ていた後、唐突に言った。
「異人族の言葉を、お前はまだ覚えているか?」
「え? ええ、はい。一応は」
今よりもっと小さい頃、チェターラの家にはオークの村から来ていた乳母がいて、彼女は異人族の言葉しかしゃべれなかったので、自然と、チェターラも彼女と話すときには異人の言葉を覚えてしゃべっていた。
今ではその乳母は村へと帰ってしまい、異人族の言葉を日常で使うことはすっかりなくなってしまったが、なんとか、まだ思い出せた。
「愛しい娘よ。
ならば、これを持て」
「?」
父親から渡されたのは、ノートだった。
ぱらぱらとめくってみると、父親の字で、異人族の言葉がたくさん羅列してあった。
読んでみると。
異人族の言葉で書かれた単語の横に、異人族の文字で書かれたよく分からない言葉が書かれていた。
「辞書だ」
と、父親はチェターラに言った。
「私の記憶する、別世界の言葉だ。
念のために、昨夜、書き留めていたものだ。
あの少年と話をするのに役立つだろう」
「!
お父様、ありがとうございます!」
チェターラは礼を言ったが、アレック・ガルムは複雑そうな顔だった。
「……娘よ。
忠告だ。その辞書のことは他の者には話すな。
お前があの少年の言葉が分かるということは、私と、あの少年と、お前の三人だけが知るようにしておけ」
「はい」
昨日の午後、エドマンド王子がそのことでエドガーの優位に立とうとしていたことを思い出し、チェターラは慎重に頷いた。




