塔への帰還
19、
「えええええ……」
チェターラが、ぼろぼろと涙を流しながら愕然としていると。
父親のアレック・ガルムが、戦車の上から降りてこちらにやってくる途中で、それに気づいた。
飛ぶようにチェターラに駆け寄り、娘の目線を追って原因が少年にあるらしいと知ると、憤怒を抑えられぬという顔で、少年をにらんだ。
チェターラは慌てて、言った。
「あ、お父様! こ、これは、ぐすっ、違うのです、ぐすっ。
うえええええん」
「……む」
アレック・ガルムは少年を問答無用で叩き潰さんばかりに見えたが、娘の声で落ち着きを取り戻したようだった。
「……少なくとも。
娘を助けてくれたことには礼を尽くさねばならぬな」
アレック・ガルムが仏頂面で近づくと、少年のくしゃみがまたひどくなって、何か異国の言葉らしきものを言いながら後ずさった。
「◇×○○……」
「……む?」
アレック・ガルムは立ち止まって考えていたが、少年に言った。
「××□◇」
「……? ○▽?」
少年は、涙が止まらない目をしょぼしょぼさせながら驚いた顔をした。
それから、アレック・ガルムに言葉を返した。アレック・ガルムは、さらに言葉を数言返した。
チェターラは、言った。
「お父様は、この方の言葉がお分かりになるのですか?」
「うむ」
アレック・ガルムは頷いた。
「彼は、香水が苦手のようだ。
好き嫌いではなく。体質らしい」
「体質……」
チェターラは、複雑な気分になった。体質なら仕方ない、などとは考えられなかった。
それに、もしも。もしも香水のせいだけでなく、チェターラの本来のにおいも体質的にダメだったら。救いようもないということになりはしないだろうか。そうならないと言えるだろうか。
父親のアレック・ガルムは少年とさらに話をしていたが、その後、ふと気づいた様子で周囲を見た。
「霧の壁が、崩れてきたようだ」
チェターラがつられて周囲を見ると、確かに、円形の空間を保って周囲を覆っていた霧の壁が、いつの間にか、内側に流れ込んできていた。
まるで、劇場の幕が降りるよう。
あるいは、劇場の明かりが消えるよう。
チェターラたちの視界が霧に覆われるまで、数分も無かった。
チェターラには馴染みのなかった人工の景色が急速に霧に覆われる合間。その中に散らばっていた環状列石が、半透明から、再び元の白灰色の不透明に戻っていくのが見えた。
「元の場所に戻るのやもしれん。
時間か、それとも、少年の死因を取り除いたゆえかは分からぬが」
アレック・ガルムは霧の中で離れないようチェターラを片手でつかんだ後、もう片方の手で、少年の腕を無理矢理むんずと掴んだ。異国の言葉で何か言ったのは、おそらく、「香水のにおいはしばらく我慢していろ」とでも言ったのだろう。
霧の中で、少年の連続くしゃみと鼻水をすする音がした。
この場所に来たときと同じように、景色のすべてが霧に一度覆われた後。
次に霧が晴れると、チェターラたちは、元の魔術師の塔にいた。
「アレック・ガルム様♪ 良かった!
あ、もちろんチェターラちゃんも、ご無事で♪」
魔法陣の外で待っていたらしいローリエが、駆け寄ってきた。
その後ろには。
魔術師クレテックと、くわえタバコのエドガーがいた。
それから。
チェターラたちが別世界にいた間に来たらしく、エドガーと同じ顔のエドマンドが、私兵らしき数名を引き連れて待っていた。
エドマンド王子は、アレック・ガルムがまだ腕を握っている少年を見て、言った。
「その少年が、今回召喚された来訪者だな。
ご苦労だった。後は、自分が引き取ろう」