オークVS戦車
17、
父親の首は太く、背中はたくましく、熱を持った岩のようで、明らかに危険な状況にも関わらず、チェターラは安心することができた。
いつか、これ以上に安心する背中に出会うことはあるでしょうか?
いいえ、きっとございませんとも。
いつか、わたくしを愛してくれる素敵な未来の恋人には悪いとは思いますけれど。
これ以上の背中はどこにも。
と、チェターラは思った。
チェターラが背中にしがみついた父親のアレック・ガルムは、巨躯に似合わぬ速さで、戦車へと突進した。
戦車の上部が、ぐるりと動き出して、砲塔をこちらに向けようとした。どうやら、こちらに気づいたようだ。
戦車の下部の覆帯も、一度停止したかと思うと、方向転換しようと音を立てて激しく動き出した。ギャリギャリギャリ、と、アスファルトの地面を削る音。
どうやらこちらに突進して、ひき殺そうと考えたようだ。
だが戦車の方向転換が終わる前、上部砲塔の砲口がこちらを向く前に、アレック・ガルムは戦車の真横に移動していた。触れるほど近くに。
巨大な戦車。こうして近づいてみると、覆帯だけで普通の人間の肩近くほどの高さがあった。上部の砲塔は、見上げる位置。
ただしその構造上、アレック・ガルムが来た近距離真横の位置は攻撃されない死角だった。砲口は角度的に向くことはなく、覆帯の関係上、真横に急に移動してくることもない。
戦車の側もそれは分かっているらしく、覆帯をフル稼働して前進、距離を取ろうとした。
アレック・ガルムも巨躯に似合わず速いが、戦車もまた、方向を決定して動き出すと直進速度は速かった。
暴れ馬のよう、と、チェターラは思った。手を伸ばしただけで、弾かれて怪我をしそう。
距離を離される。
と、思った瞬間。
「愛しい娘よ。目を閉じていろ」
アレック・ガルムが、目の前から離れようとした戦車の高速回転する覆帯の継ぎ目、転輪の合間に、真横から棍棒を押し込んだ。
堅い木材が、金属で出来た戦車の覆帯に削られ粉砕される音がして。
咄嗟に目を閉じたチェターラの顔に、木材の粉が当たる感触がした。
大きな破片はアレック・ガルムが防いでくれていたが、小さな破片がいくつか、父親の首にしがみついた手にも当たる感触があった。
激しい音が弱まったので、チェターラは目を開けた。チェターラはてっきり棍棒が戦車の覆帯を破壊したものと思っていたが、覆帯は少し歪みつつも、健在だった。一方の棍棒は、粉々に破壊されて柄だけになっていた。
だが、数瞬、戦車は動きを止めた。
アレック・ガルムの目論見としてはそれで充分だったらしく、スピードを失った戦車の横に取り付くと、素早く、車体の上によじ登った。
チェターラは知るよしもなかったが。アレック・ガルムがアオイやその他の来訪者から得ていた知識と、そして、実際に目の前にした実物の構造から経験則で判断して言うならば。
戦車とは、単体では接近戦には向かない兵器だ。
歴史を見ても、単独行動時に歩兵に取り付かれると有効な攻撃方法が極端に減る。
戦車の真価は、複数で、他の兵種と併せての作戦行動にあるのであって。単独行動では弱点が多い。
戦車とは、そういう兵器。
そして今、周囲は霧の壁に包まれ、戦車の友軍は来る様子もなく。
それでも普通の人間が相手なら優位を保てただろうが、アレック・ガルムは、戦慣れしている上に人間よりも格段に強かった。
アレック・ガルムは砲塔の上まで登ると、すぐ近くにハッチを見つけた。内部につながるであろうハッチ。
腰にさげた蛮刀を手に取ると、そのハッチの継ぎ目に躊躇なく打ち込んだ。蛮刀の先が欠けたが、ハッチの縁が歪んだ。
間髪入れず、その歪みに両手の太い指を差し込むと、オークの人間離れした渾身の力で、こじ開けた。
めきょめきょめきょ。
と、金属が歪む音がして。
開いた。
戦車の中は。
無人。
チェターラは、父親の背中越しにその無人の内部を見た。
てっきり中に人が入っているものと思っていたので、拍子抜けで、きょとんとした。
誰も乗っていないのに、どのように動いていたのでしょう?
ハッチの内部は、人一人がぎりぎりしゃがんで身を縮めてどうにか入れるぐらいの広さ。もちろん、人より大柄なアレック・ガルムはどうやっても入れない。
その空間の全方位に、奇妙な人工の光を放つ機械装置があり、その装置をつなぐ太い血管のような、たくさんのコードが張り巡らされていた。
父親のアレック・ガルムは、その様子に予想がついていたらしく、驚いた様子もなかった。
「アオイという女が言っていた通り、か」
この戦車は、無人の戦車。
無人で動いて人を殺す、人間狩猟機。
状況が飲み込めていないチェターラを背にしたまま、アレック・ガルムは先の欠けた蛮刀を、まっすぐ力任せにハッチの中に投げ入れた。
蛮刀はコード類を切断し、人工の光を放つ装置に深々と突き刺さり、その下の、どうやら重要だった部品までを切断した。
電気のショートが走り、にわかに煙が噴出して、戦車は止まった。
「お父様、終わったのですか?」
チェターラが安心して、父親の首にしがみついていた手をゆるめたとき。
珍しく、父親の慌てた声を聞いた。
「娘よ、まだ私に捕まっていろ!」
その瞬間。
アレック・ガルムが足場にしていた上部砲塔部分が、ぐるりと、断末魔のように、勢いよく回った。アレック・ガルムも、振り回された。
アレック・ガルムは、すぐに右手で砲塔をつかんで体勢を維持し、左手で、自分の首に回された娘の手を掴もうとした。
が。
父親にしがみつく手をゆるめてしまっていたチェターラは、その勢いに、投げ飛ばされた。声をあげる間もなく。
そして、地面に。
戦車はさらに断末魔の叫びのような音を立て、戦車の前の地面に投げ出されたチェターラに向けて、覆帯、無限軌道を回転してその巨体を突進させた。