戦車
16、
戦車。
別世界の、戦争のための兵器。
陸戦の王。
アレック・ガルムは、別世界から来た来訪者の知識を聞いて知っていた。
来訪者の館に今も住まうアオイからも、聞いたことがあった。
戦車にも種類があるが、姿を現した戦車の特徴は、アオイから聞いたものそのままのようだ。
……ならば、ここはあの女がいた世界か?
別世界の者を召喚するはずが、逆に別世界に来てしまったのか。
速やかに、状況を把握せねばならぬ。
アレック・ガルムは娘の手を握って、いつでも彼女を抱えて走り出せるように油断なく警戒しながら、周囲を見た。
戦車はまだ、こちらに気づいた様子はなかった。
「お父様、霧が晴れてきたみたい、でしょうか?」
「……」
満遍なく景色を覆っていたはずの霧は、いつの間にか、戦車の出現とともに、前方の一点を中心として薄く晴れ始めていた。
だが、もっと広い範囲を眺めると、霧は依然として色濃く。
まるで霧の壁が、周囲を覆っているかのようだった。
「通常の霧ではないな。空気の流れとは別にあるようだ」
……霧の内側は、用意された円形舞台であるかのようだ。
……あるいは、闘技場か。
霧の壁の内側、霧が薄くなった範囲内には。
地面のアスファルトと同じように、人工の建築物の景色が広がっていた。
それはアレック・ガルムには見慣れぬ景色だったが、しかし同時に、かつて見慣れていた様相がその上にあった。
破壊の痕。
戦争の跡。
アスファルトは、爆発に巻き込まれたのか所々ひび割れめくりあがり、建築物は、部分部分が崩れて瓦礫になっていた。
そんな景色の中に、不自然に重なるように、また別の不釣り合いなものが幾つか並んでいるのが見えた。
人の背丈ほどの、石。
半透明の、石。
……魔術師の塔の、魔法陣の上に並んでいた環状列石か。
その形と配置には、見覚えがあった。正確には、魔術師の塔にあったときは半透明ではなかったし、位置も拡大したように広がっていたが。
周囲の様子を素早く把握し、再びアレック・ガルムが戦車を注視したとき。
「! お父様! 人が倒れております!」
娘のチェターラが、そう声をあげた。
人。
戦車の進行方向。ひび割れたアスファルトの地面の上に。
少年。
「別世界の人間、か」
うつ伏せに倒れたまま動かない少年の服装は、遠目で見ても、アレック・ガルムやチェターラのいる世界のものとは違った。
そして。
どうやら戦場に立つ兵士のもののようだ、とアレック・ガルムは見て取った。
目立ちにくい暗色の迷彩服。倒れたときに外れたのか、傍に転がっている金属のヘルメット。
そして、手に持っているのは銃。
彼は、少年兵のようだった。
「あるいは、本来の儀式で召喚されるはずだった者か?」
戦車は、その倒れている少年に向かっていた。
苦もなく、感情もなく、ひき潰すだろう。
召喚の儀式に召喚される者は、例外なく元の世界で死んだ者だという話を思い出した。
少年が倒れている位置は、霧が薄くなった範囲の中心。半透明の環状列石の配置から判断するに、元々の魔法陣の中心にあたる位置。来訪者が現れるはずだった位置。
ならば。
これはもしや、あの少年の死ぬ場面か?
「お父様、あのままではあの子、殺されてしまいます!」
……。
戦車は、まっすぐに少年に向かっていた。まだこちらには気づいていない。こちらから近づかなければ、気づかないまま去っていくかもしれない。少年はひき殺されるだろうが。
だが。
……愛しい娘に、年の近い少年が無惨にひき殺される場景を見せるわけにはいくまい。
「愛しい娘よ。私はあの少年を助ける。
お前は私にしっかりつかまっていろ」
「! はい! 承知いたしました、お父様」
娘を手元から放すのは危惧された。他に危険が無いとも限らなかった。だから、これが一番安全だろう。
そう思い、アレック・ガルムは娘を背中に背負った。
チェターラはしっかりと父親の太い首に腕を回し、なるべく父親の動きの邪魔にならない体勢を心がけながら、しがみついた。
アレック・ガルムは、猛然と戦車へと向かった。