魔法陣の内側
15、
「!」
アレック・ガルムは、愛しい娘が螺旋通路の手すりから落ちるのを見ると、トラシには一瞬たりとも構わず、そちらに突進した。
ゴブリンのトラシは、それを追おうとする素振りを一瞬見せた。だが周囲の様子を見ると、踏みとどまった。
魔法陣の線に沿って燃える黄色の炎は、地面を揺らしながら燃え続け、周囲の空気に月色の陽炎を揺らめかせていた。揺らめく陽炎のせいで、まるで揺れる液体の中にいるように、自分の足元すら揺らいで見えていた。
「聞イテイタ話ト違ウナ。
タダ、別世界ノ者ガ呼ビ出サレルダケノ魔法ダト聞イテイタガ……」
揺らめく月色の陽炎に満ちつつある魔法陣の中にいると、ピリピリくるようなエネルギーの充満が感じられた。トラシは眉をしかめ、警戒し、いったん魔法陣の外に出た。
アレック・ガルムは、落ちてきたチェターラを受け止めた。
「お、お父様、ありがとうございます」
「構わぬ。愛しい娘よ」
だが、その場所は魔法陣の内側で。
月色の陽炎に、空気が歪んでいた。
「あの、景色がぐにゃぐにゃと歪んでおりますけど、これが召喚の儀式なのでしょうか?」
「いや。通常とは違うようだ。
……む!?」
「わっ!?」
咄嗟に、アレック・ガルムは娘を抱きかかえ直し、かばった。
その瞬間、何か、ドオン、と、空間が開くような音がした。
揺らめく月色の陽炎が、視界の遙か上、塔の上空の開放口まで高く立ち上って。
あったはずの足下の地面が無くなるような感覚があって。
何か、かいだことの無いにおいの空気の中に落ち込むような感覚があった。
「おい、くそっ、どうなってやがる!?」
と、魔法陣の外で成り行きを見守っていたエドガーが言った。
隣では、魔術師クレテックが唖然として目の前の光景を見つめていた。
反対側の、高い位置の螺旋通路の踊り場では、ローリエが心配して眼下の光景を見ていた。
魔法陣の上は、揺れる月色の陽炎のせいで、正しく姿を結ぶものが何も無かった。環状列石のみが、辛うじて、目を凝らせば見分けられるような気がした。
その陽炎に覆われた魔法陣の、内側のはずの場所で。
けれどチェターラとアレック・ガルムは、全く違う景色の、奇妙な場所にいた。
一瞬前までは、月色の陽炎に揺らめく魔術師の塔の景色だったはず。なのに今は、周囲にあるのは霧だった。そして、霧の中にぼんやりと見える景色は明らかに、それまでいた塔の景色とは違っていた。
「……愛しい娘よ。立てるか?
地面に降ろすぞ」
「あ、はい。ええ、大丈夫です。わたくし、立てます」
抱きかかえられたままだったチェターラは、丁寧に地面に降ろされた。
固い地面。
チェターラには、馴染みのない地面。
自然な地面とは違う。石畳とも違う。継ぎ目のない、灰色の人工の地面。
戸惑って、チェターラは隣に立つ父親に目を向けた。
父親のアレック・ガルムは、その地面に対して、つぶやいた。
「アスファルトの地面……か……?」
あすふぁると?
それはなんでしょうか、とチェターラが声をかける間もなく。
少し離れた霧の中から、その固い地面を削って移動する耳障りな音を伴った、巨大な物体の姿が見えた。
巨大な物体。
巨大な鉄の塊。
地面を削って回転する、無限軌道。覆帯。
前部には、巨大な角のような一本砲塔。
アレック・ガルムは、それを見て言った。
「戦車、だと?」