試験の試験5
気を取り直し、フロシュエルは三件目へと向かった。
井手口さんの家はスライド式のドアだ。
家は木造建築で、屋根の上に取ってつけた様に煙突が立っていた。煙が出ているので人がいるのは明白だ。
呼び鈴を押してしばらく。
「はい、どちらさまですか?」
顔の柔和なおばさんが顔を出す。
この人なら大丈夫そうだと、結論付け、フロシュエルは笑顔で言った。
「あの、井手口さんいらっしゃいますか、えっと夫の方……」
その瞬間、おばさんの顔が一瞬で変わった。
「まさかアンタ、アレの不倫相手かいっ」
「はぇっ!?」
意味がわからず戸惑った瞬間だった。
突然視界が真っ暗になる。
顔面に強烈な痛み。ついで背中に衝撃が来た。
「さっさと帰りなッ! この泥棒猫がッ」
おばさんの声が遠くから聞こえてくる。
一体何が起きたのか、全く分からなかった。
ようやく視界が元に戻ってきたフロシュエルは、自分の身体が地面に転がっていることに気付く。背中は塀に寄り掛かっており、心なし塀がヘコんでいる。
眼がしらの辺りに痛みがある。どうやら何かがぶつかったらしい。
鼻の辺りを拭うと鼻血が裾に付着した。
「これ……もしかして殴られたのでしょうか……」
予想外だった。殴られることだけでなく、玄関口からここまで吹っ飛んできたことも、怒られた理由も全く意味不明だ。初めて感じた暴力的な痛みが後からじくじくとフロシュエルに襲い掛かってくる。痛い。凄く痛い。こんな嫌な思いはもう二度としたくない程の痛みだ。
もう一度この家にトライする気になれなかったフロシュエルは、失意のままに公園に向かった。
公園はただただ広いだけの広場だった。
中央に女神像を配した噴水があり、その周りにベンチが幾つか設置されていた。
南と東には林、いやむしろ森と呼べる程のうっそうとした並木道が存在し、進入禁止という立て札も見える。
園内では幼児が砂場で遊んでいたり、アベックがベンチに腰掛けゆったりしている。
犬を連れた散歩だろうか? 小太りのおばさんが汗を拭きながら歩いている。
ベンチの一つにはお爺さんとお婆さんも座っていて、何故かうんうんうんうんとお婆さんが呟いていた。お爺さんもお爺さんで杖を両手で付いてベンチに腰掛けプルプル震えている。
フロシュエルはそのベンチの一つに腰かけている初老の男性を見つけ近寄った。
「あの、田辺さんですか?」
「はいはい、そうですよ? どちら様ですか」
「あ、はい。私、小影さんの代わりにお金の回収に来ました、フロシュエルです。皆にはフローシュって言われてます」
「おやおや、これはご丁寧に。ああそうだ。良かったらこれ、お近づきのしるしに」
と、渡してきたのはアンパンだった。
「いいんですか?」
「ええ、どうぞどうぞ105円程度のパンですから」
と、田辺さんに隣に座ってくるように促され、フロシュエルは遠慮がちに座ってみた。
「話には聞いてますよ、小影さんの代わりに代理回収していらっしゃるとか」
「はい。そうなんですよ。意気揚々とやってみたんですが、皆さん全然取り合ってくれなくて」
「そりゃあ、そうでしょうねー」
笑顔で青空見つめ、田辺さんは呟く。
「え? 何でですか? 人から借りたんですから、ちゃんと返すべきなんじゃないんですか?」
「そうは言うけどねフローシュさん。人にはそれぞれ理由があるんですよ。お金を借りるっていうのはそれを使わなければいけないことがあったからです。その使うべきモノに使ってしまい、後からお金を貯めてお金を返す。これが金貸しへの返済です。ただ、お金を借りた側は返せない場合もあるんですよ」
「……え?」
「私はこの公園で寝泊まりしていまして、生活に困って五百円を借りました。しかし、生活費に使ってしまい、お金を返す当てが在りません。無い金を返すことはできないんですよ」
「そ、そんなっ」
返す金を持っていない。そんな事実にフロシュエルは愕然とする。
返して貰いに行けば、ちゃんと返して貰えるとばかり思っていた。
けれど相手だってお金を持っているとは限らないのだ。これではお金を返して貰う事など出来はしない。
借金取りの難しさを改めて認識したフロシュエルだった。
田辺さんはため息一つ。フロシュエルに向き直る。
「だから、もう少し待ってはくれませんか。お金は必ず返しますから」
「わ、わかりました。田辺さんを信頼します。ただ、二か月後までにはかならず……」
「ええ。必ずお返ししますよ」
田辺さんに別れを告げ、フロシュエルは次の家へと向かうことにした。
そして、田辺は一人ベンチに座りフロシュエルの後ろ姿を見送る。
「ええ。必ず、お返ししますよ。五百円分きっちりと……」
そんな小さな呟きは、風に流れて消え去って行った。
「良い人そうでよかったです」
どうやら話の分かる相手であった田辺さんが一番最初に借金を返してくれそうだ。
フロシュエルは意気揚々と清水家へと向かっていた。
だが、彼女は未だ知らない。この田辺さんこそが、彼女にとっての最大の難関であることに。