三日目1
日記帳を書き終えて、フロシュエルはうんと背伸びをした。
朝の陽ざしを浴びたせいか、今日も頑張ろう。という気分になってきた。
昨日の散々な結果はリセットされて新たなる一日を始めよう。そんな思いで部屋を出た。
「さぁっ、今日は気合いを入れて行きますよっ!」
三日目ともなると行動パターンに戸惑いがなくなっていて、ゆっくりと着替えて食事をしにダイニングルームへと降りて行く。
小影はすでに学校へ行く準備を終えていて、玄関で靴を履いているところだった。
「あれ? ちょっと早いですね」
「ああ、うん、ちょい人に会ってから学校に行くからね。電話したりでいろいろ大変なのよ。戸締りよろしく。鍵はかけなくていいよ、もうすぐ母さん帰ってくるから」
「お母さんいたんですか? 一人暮らしだと思ってました」
「婦人会で旅行行ってたんだよ。ったく、もう二、三年行っときゃいいのにね」
靴を履き終えた小影は急いで家を出て行ってしまった。
簡単な食事をして、家を出る。
言われたとおり鍵はかけないでおいた。
少々防犯面が心配になってくるが、家主がいいと言うのならばいいのだろう。
多少不安はあったがフロシュエルは小出さんの家へと向かうことにした。
別に小影の家専用の自宅警備員でもないのだし、フロシュエルが心配するだけ無駄だろう。
小出さんの家に着く。
外から二階の窓を見ると、カーテンが布かれており、その隙間から視線を感じた。
いる。今までは気付かなかったけれど、いるのだ。
気配を感じる。息を殺しフロシュエルを見つめる気配が。
「さぁて、どうするかな?」
正攻法では意味がない。かといって何かを行うにもやるべき事が浮かばない。
いや、今のフロシュエルの固まった頭では思いつかないだけだ。
しばらく家の前で唸っていたものの、このままここに居ても意味はないと思い直し、日にちもあるので本日は放置の方向で、明日に回す事にした。
急ぐ必要はないのだ。相手は籠城しているようなものなのだから。
一つ一つ、いろいろと試そう。今回は、早めに家に帰って方法を考えるに留めることにした。
「そうだ。田辺さんに聞いてみよう。うん、他の人の案を聞くのも一つの手ですよね」
一応、一度だけチャイムを押してみる。
けれどやっぱり出てくる気配は無い。
踵を返して路地の角で気配を消して待ってみる。
しかし、昨日で警戒を強めたらしく、小出さんが外出することはなかった。
一時間程粘り、バロックさんのいるアパートへ向うフロシュエルだった。
フロシュエルが消えてしばらく。恐る恐る家から出てきた小出さんは、いそいそと外出すると、近くのスーパーへと向うのだった。これから一週間の食材を買いだめする腹積もりである。
バロックさんの脱出地点は今のところ三つ。
どこか一つに見切りを付けるのは得策ではないだろう。
ではどうするか。
考えたフロシュエルは、チャイムを押す。
現れたバロックさんが部屋に戻るのを見て、大空へと舞い上がった。
試験とはいえ姿を隠せとは言われていない。
ならばこそ、天使としてのアドヴァンテージを使わせてもらう。
見られたらアウトかもしれないが、見られなければ屋上に上がったところで変な女としか思われない。問題は、天使である事を知られるといろいろと問題が生じることをフロシュエル自身が全く考えに無いことであろう。
隠れて覗き見ていたファニキエルは沈痛な面持ちで人払いの結界を張り巡らせるのだった。
フォローする彼にとってはこの程度の行動でも頭痛の種である。
アパートの屋根に飛び乗ったフロシュエルは、全てを見回せる位置に降り立ち、バロックさんの動向を探る。
「今度は正面玄関からですか、でも、させませんっ」
玄関から現れたバロックさん向け、思い切り飛び降りる。
人よりも頑丈な天使だからこそできる荒技だ。
空から迫るフロシュエルに、バロックさんは気付かない。
ただただ走り、にやけた笑みで後ろを振り返り、絶句。
両手を広げ、目の前に近づくフロシュエル。
バロックさんは必死に速度を上げる。
「ぬおおおおおおおおっ!?」
もう少し、あと少し、一センチ……
そして、地面に激突するフロシュエル。
バロックさんは数メートル走り、再び背後を振り向き安堵する。
止まることなくそのまま逃げ切ってしまった。
しばらく、フロシュエルは立ち上がれなかった。
一度試した以上、この方法はもう通用しないだろう。
一センチの距離が、とても遠く感じる。羽を使って滑空してしまえば楽ではあるが、それでは天使憲法に違反する。コスプレと思われる分にはいいのだが、人に天使だと知られてはいけないのだ。
それでも、少しだけ、確信した。
バロックさんを捕まえることは、可能だと。
やれる。きっとあとちょっとの工夫でなんとかできる。
思いを胸に、フロシュエルは立ち上がる。
昨日は借金の返済は全て無理。なんて思っていたが、全然違う。
むしろ、この試験はちょっとの創意工夫で突破できる。本当に試験を通るための試験なのだ。
フロシュエルの根本からを鍛え直す訓練であるとも言えた。