二十二日目4
駅前までやってくると、ロッカールームに向かう。
いつものロッカーからボストンバッグを手に取ると、足早に去る。
周囲を探すのは追ってきているかもしれない金髪の少女が居ないかどうかの確認だ。
私服姿だが、あの煌めく金髪は何処に居ても大体分かる。
そそくさと人波を掻き分け、公衆トイレに向かうと、個室に籠り着替えを始める。
くたびれた服を乱暴に脱ぎ捨てボストンバッグに入れていたYシャツ、スラックス、スーツを着込む。
最後にネクタイを締めて気持ちを入れ替える。
物乞い田辺は今日を持って行方不明だ。
ここから先はフロシュエルの知らない田辺。そう、田辺社長が会社に出社し続ける日々になる。
もしかしたらこのせいでフロシュエルは試験の試験を失敗するかもしれない。だが、それが自分に課せられた仕事だ。
心を鬼にして自分は詐欺師を演じ切る。
背筋を伸ばし、通路を颯爽と歩く。
駅を後にして街中を歩く。
誰も彼を浮浪者だとは思わない。
風を切るスーツの高級さに振りかえることはあっても、浮浪者への侮蔑に満ちた視線が向かうことは一つも無かった。
自分の会社へと辿り着く。
20階建のビルでこの屋上一つ下の最上階こそが彼が本来居るべき場所であった。
田辺社長は堂々ビルに入る。
フロントの受付嬢が田辺社長に気付いてふかぶか頭を下げた。
「社長、お客様がいらっしゃっております」
「客、ですか?」
「はい。なんでも個人的な知り合いなのだとか」
「はて、面会の予約は無かった筈ですが?」
「秘書の方が社長室にお通ししていましたので不審者ではないようです」
「そうですか。どのような方で?」
「金髪の、可愛らしい方でしたよ」
一瞬で全身から汗が噴き出た。
あり得ない。そんなバカな。確証出来ない焦りにも似た恐怖が湧き起こる。
社長であることは気付かれた。だが、何処に勤めているかなど、分かるはずも……
しかし、もし本当に彼女だとしても、ここでは逃げられない。
こここそが彼にとってのマイホームなのだから。
社長として仕事をしている以上社長室に入らない訳にはいかない。仕事が待っているのだ。
覚悟を、決めよう。
ネクタイを締め直す。
心臓は嫌な位に高鳴っている。緊張というべきか、今まで感じたことの無い嫌な気分でエレベーターへと乗り込む。
ぐんっと重圧を感じエレベーターが動き出す。
全身が急に重くなった気がする。
ここから先に向かいたくない。出来ればこのままエレベーターでずっと上に昇り続けていたい。
だが、無情な到着音が響く。
開かれるドア。20階に辿りついてしまったようだ。
通路を歩く。ゆったりとした歩みは今までの比ではない程に通路が長く感じる。
だが、出来ればずっと辿りつかない方がいい。
それでもやはり、社長室へと辿りついてしまう。
ドアを開く。
まずは秘書たちのいる秘書室。ここを通り抜けて社長室に入るのだ。
秘書たちは一人しか今は居なかった。
自分が居ない間は秘書が全ての事をやっているため忙しなく移動しているのだ。
一応いつ戻って来てもいいようにと、この秘書室に最低一人は常に居る状態ではあるのだが。
「ああ、社長。お客様がいらっしゃっています」
「らしいね……」
「あんな可愛らしい女の子と知り合いだなんて社長、まさか未成年に手を出してないですよね」
「そういうのではありませんから……」
気が重い。
秘書と適当に会話して社長室のドアを開く。
部屋には誰も居なかった。
いや、社長椅子に座って背中を向けている金髪の少女。
その背中から飛び出る羽が椅子の背もたれからはみ出て見える。
間違えようもなかった。どう見ても彼女以外にあり得ない。
そいつは部屋に誰かが入ってきたことに気付き、ゆっくりと椅子を回した。
「お帰りなさい田辺社長」
表情を消したフロシュエルの姿に、ゴクリ、生唾を飲み込む田辺。過呼吸に陥りかけたが、ぎりぎり呼吸を整える。
荒い息を吐きながら心臓を押さえる。
「ふ、フローシュさん、なぜ、ここに?」
「にこにこにっこり金融小影さんの代わりに、借金500円の取り立てに来ました。田辺社長、払って、いただけますね?」
なぜ、ここにいるのか、そんな疑問に答えを返すことなく、フロシュエルは淡々と告げる。
ここでごねたところで意味は無いだろう。
もはや田辺は詰んでいる。
ここで下手にシラを切ってしまえば、隣の部屋に居る秘書から自分が借りた500円すら返そうとしないケチな社長とされてしまうだろう。
流石に演技で自社での評判まで落としたくは無かった。
「はぁ、参りました。まさかここまでいらっしゃるとは」
「さてどうやってでしょうね。これが情報戦という奴でしょうか。実際にやってみると効果の凄さに驚きですよね」
クスリ、不敵に笑うフロシュエル。
田辺さんはかくりと首を倒し溜息を吐くと、財布から500円を取り出し手渡すのであった。