二十二日目3
公園にやってきたフロシュエルたちは、泉付近のベンチに腰掛けた田辺さんの元へとやってきた。
正直この人からお金を返してもらえる未来が想像できない。
何を言おうとものらりくらりとかわしそうだし、暴力に訴えたところで意味は無いだろう。
どうやって攻略すべきか全く分からない。
ベンチの側ではハトの群れ。
田辺さんはパン屑を時折放り投げながらハトたちと戯れていた。
フロシュエル達が近づくと、気付いた田辺さんが視線を向ける。
人懐っこい柔和な笑みだ。
この笑みをを見るたびにフロシュエルの心は締め付けられる苦しさを覚えるのだった。
「おやおや、本日は何ようですかフロシュエルさん」
「借金の500円を返して頂きに来ました」
「これは困りました。私は既に借金を返済していますよ? 他の誰かと勘違いしておりませんか?」
「いえ。田辺さんで合ってますよ。パンやジュースはお金ではありません。にこにこにっこり金融では物品交換は受け付けておりませんので」
フロシュエルもまた笑顔で返し、二人の笑顔が交錯する。
それを見ていたブエルはふむっと感心した顔になる。
しばしの睨み合いの後、二人は同時に口を開く。
「返してください、穏便に終わりましょう」
「返しましたよ。すでに終わっています」
互いの主張は食い違っている。
そしてコレが交わることは無い。
どちらかが折れ曲がるしかないのである。
どれ程の応酬があっただろうか?
舌戦は息つく暇もないほどに激しさを増し、やがて荒い息を吐いた二人が互いを睨みつけたまま無言で佇む。
しばしの休息を取って再びの舌戦。
綺麗に整えられながらも相手を突き刺す毒が混ざった言葉の刃を突き立てていく。
「なぜ、それ程返したくないのです!」
「愚問ですな。返したモノを返せとはなんという酷い人だ。悪徳金貸しですね」
「言いましたね善人面した詐欺師っ。人を騙してそんなに楽しいですか!」
「……ええ。楽しいですねぇ」
一瞬苦い顔をする田辺さん。しかしすぐに笑顔を張りつかせ楽しげに告げる。
「っ!?」
「あなたのような単純な人が絶望するのは見ていて愉快です」
「田辺さん……そうですか。では、私も意識を切り替えましょう」
不意に、すぅっとフロシュエルから表情が消えた。
何の感情も映さなくなったフロシュエルに、田辺さんばかりかブエルもゾクリと嫌な気配を感じる。
慌ててフロシュエルを凝視するが、堕天するという気配では無かった。
フロシュエルは考えた。
正直これ以上自分だけでは田辺さんには敵わないと理解したから、自分には無い何かが必要になる。
だから、フロシュエルは真似ることにした。
借金取りとして先輩で、あまりにも恐怖の対象になっている小影のデビルスマイル。皮肉屋で言った事の十倍で返して来るドクター城内。あらゆる先手を塞ぎ、相手を追い詰める話し方をするレウコ。彼らを参考にして悪徳業者への思考回路を自身の中に作り上げる。
相手は悪だ。悪魔に魅入られたモノだ。ならばそれ相応の対応が必要である。
なれど堕天してはならない。ぎりぎりを見極める。
「もう一度だけ告げましょう人間」
抑揚の無い声。感情を見せない機械じみた声に田辺さんがごくりと喉を鳴らした。
今、目の前に居るのはなんだ? 彼には理解できなかった。
フロシュエルの容姿をした存在だがフロシュエルではない。
馬鹿で愚鈍で愚直な少女は既に目の前には居ない。
居るのは、そう……全ての感情を排した神の使徒。真なる意味での天使。
「借りた金を現金で返しなさい」
「か、返しませんよ。返し終わったモノをもう一度返してしまっては500円ではなく1000円となってしまいます」
思わず返してしまいそうになった田辺さん。しかしすんでのところで小影からの願いを思い出す。
これもフロシュエルを立派な天使として、他者に騙されないように訓練するため。
失敗を巻き返すために無理難題であってほしい。そう言われたのだ。
だから、どれ程の舌戦であろうとも自分は返してはならない。
「威圧……いや、これは天の御使いとしてのお告げか。流石に人間には耐えられんのでは……」
「いいでしょう、そうなると見越して買っておきました」
フロシュエルは懐からパンとジュースを取り出し田辺さんの座るベンチに置いて行く。
彼がフロシュエルに渡したモノと同じもの。そして残りの小銭。
「私が貰ったモノは返しました。現物で、全て間違いなく、500円きっちりです。さぁ、返して頂けますね、田辺社長? まさか社長ともあろう方が、500円を返すのを渋るのですか?」
「っ。知って、ましたか……」
最後に相手の秘密を知っているという最大級の爆弾を放り込まれ、流石の田辺さんも呻きを洩らす。
「はぁ……わかりました。しかし、今は持ち合せがありません。明日でもよいですか?」
「ホントですか!?」
次の瞬間、笑顔満面のフロシュエルが戻ってきたことでブエルも田辺さんも息を吐く。
今の表情はヤバかった。
おそらく悪行を行う者にとっては天敵に出会った気分になるだろう。
「ええ。では、今日はこの辺で」
すちゃっと手をあげ立ち上がると、田辺さんは去って行く。
「っ! いかん天使見習いッ、奴を逃がすな!」
「え? まさか!?」
慌てて追うフロシュエル。しかし田辺さんは走りだし、公園から逃げてしまう。
公園入口まで追ったフロシュエルだが、田辺さんを見逃してしまった。
「これって、まさか」
「自分で言っただろう、詐欺師だと。ならば明日といいながら逃げるに決まっている」
「田辺さん……」
「諦めるのはまだ早い。今なら追える。明日になれば何処に居るのか分からなくなる、だが、今なら、追えるだろう?」
「……そうですね。行って来ます!」
「うむ。ここで待っている、終わったら戻れ」
田辺さんを追って、フロシュエルは追跡を開始したのだった。