二十日目8
「ニスロクさん、ずいぶん楽しそうですね」
「うむ。いい。すばらしい。このスーパーマーケットというのは宝の山ではないか!」
ニスロクにとって野菜や肉など食材の宝庫であるスーパーマーケットはまさに天国のような場所らしい。
あっちにふらふら大根が特価だと!? こっちにふらふら生きたカニも売っているのか!?
そして手持ちの金を見て歯噛みする。
「くぅ、人間界、なんと魅惑の多い世界か……」
「ちょ、ニスロクさんこんな所で四つん這いにならないでくださいっ!?」
周囲の主婦に視線を向けられ慌てるフロシュエル。気付いていないニスロクは四つん這いで買い切れない食材の宝庫を見上げ、悲嘆に暮れていた。
「と、とにかく、この世界の食材を手に入れるんでしょう。吟味しましょう。ほら、立って立って」
「……仕方ありません。此度はこの金で買えるだけに留めましょう。ブエル様からも金を使わずに奪い取ると天使に目を付けられると言われてますからね、今はまだ穏便に行きましょう」
「今はまだ!? ちょ。ニスロクさん絶対ダメですからね!?」
「安心せよ。ブエル様の元に居る間は郷に従うさ」
安心できない言葉を告げて、ニスロクは食材選びを始める。
「何を作るんです?」
「まずはここにあるレシピ通りに作ろうか。食材がどのようなものか調べねばな」
「レシピ……あ、それでしたら先に本屋さんに行った方が良かったですね」
「本? なぜそんな場所に行った方がいいのだね?」
「レシピ本っていうのがあるんですよ。人間さんが考えた料理のレシピが……」
「バカな!? 人間は料理のレシピを公開しているというのか!? なんと、なんという……我々魔族は秘匿ぐせがあるというのに。レシピとは考えつくか相手から盗むくらいだと思っていたが、そうなのか。行こう、是非……いや、今は金がない。くぅ、なんと不条理な世界か。魔界であれば力づくで奪えば片付くというのに」
魔界は弱肉強食。人間界は金銭優先。金がなければ何もできない世の中だ。
いや、別に自然に生きればそれはそれで生活苦にはならないんだけど、流石にお金を一円も使わず生きるには日本はシビア過ぎた。
「今日はとりあえず基本で行こう。タマネギ、ニンジン、ジャガイモに肉を買って……」
「カレーですね!」
「肉じゃがをアレンジで作ってみよう」
「待ってください。いきなりアレンジは危険ですっ」
「ふっ。プロとしてただ言われるまま作るのは性に合わんのよ」
暴走を始めたニスロクがなにやら別の食材を買い物籠へと入れて行く。
フロシュエルが慌てて止めるが止まるはずも無く、ニスロクは使える金額ギリギリまで食材を買い漁り会計を済ませてしまった。
「な、なんで肉じゃがに牛乳とかリンゴがいるんですか!?」
「ふ、アレンジだからな」
絶対ヤバい。フロシュエルは焦ったが、よくよく考えれば料理をしたところで食べなければいいのだ。
そもそも料理を出来るかどうかはわからないわけだし……
小影が台所を貸し渡す可能性も低い訳だし……
いろいろと言い訳を考えニスロクの料理を見なかったことにする。
ニスロクは早く料理したいようで、さぁ帰ろう、今帰ろうと帰宅を促し始める。
案内する場所もあまりないのでフロシュエルも仕方なく自宅へ戻ることにしたのだった。
家に戻ったニスロクは早速台所に向かう。そこには小影の母が帰宅しており、夕食の準備をしようとしているところだった。
運が悪いというべきか、ニスロクが食事を作らせてほしいと頼み込む。ブエルの知り合いということもあり、戸惑った母親は、しかし流石小影の母というべきか、今晩の食事をニスロクに任せ、仕事に向かってしまった。
キッチンの使い方を教わったニスロクは部下のウコバク達と共に食材の解体に取り掛かる。
心配だったので側で見ていたフロシュエル。手際の良さに感心しつつも、普通は入れない筈の食材をフライパンで炒め出した時にはちょっと焦った。
しかし溢れる匂いは空腹を誘うものであり、美味しい料理が出来上がる予感を覚えずにはいられない。
鍋に牛乳が投下された。
あっと思わず声を出したフロシュエルだが、牛乳を止める術はなかった。
「ここで秘薬を……」
「ひぃぃ!?」
鍋の中身が白から緑に。熱を加えながらかき混ぜると、さらに毒々しい色合いへと変化していく。
「ちょ、なんか青くなってません!?」
「ふむ。ちょっと胡椒が足りんかな?」
「待って、胡椒以前の問題ですよね!?」
「よし、すりおろしたリンゴを投入するか」
「いやーっ。なんで赤くなるんですか!?」
「最後にこいつだ」
「ぎゃーっ、虹色ぉぉぉ!?」
しばしば上がるフロシュエルの叫びは、ハニエルにもブエルにも届くことは無く、ニスロクのアレンジ肉じゃがが完成した。