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第十六話 少女と少年は若干すれ違う(後編)

豊は暫くアスファルトの上にくずおれていたが、やがてケイアのいない部屋にふらふらと戻った。

左手首の腕時計――契約の証――に触れ、ケイアの心に語りかける。

『ケイア、戻って来てよ』

『我の事なら心配はいらぬ』

『そんな事言ったって心配だよ』

『すまない……今は独りにしてくれないか』

ぷっつりとケイアの声は聞こえなくなった。心で会話すると言えども、これでは電話の様だなと豊は思った。


『エコー、聞こえる?』

豊の腕時計が微かに深い青に輝いた。エコーの澄んだ声がすぐに脳裏に聞こえてくる。

『ええ、聞こえましてよ。三名様入りまーす!……い、今のは何でもないわよ?』

『あ、バイト中ならやめるね』

『大して支障はないわ、何でもお話しなさい』

豊は事の顛末をかいつまんで説明した。

『何だ、そんな事……』

エコーからは心なしか笑いを堪えている様な雰囲気が伝わってきた。

『そんな事って言ってもこっちは本気なんだよ!ケイアはエコーみたいにヒトとの暮らしに慣れてないんだよ!?』

『貴方達二人ともお子ちゃまね。じきに何とかなるわよ』

『な……?』

『ま、何とかならなかったらその時はこの私に相談なさい』

エコーの声もぷっつりと聞こえなくなると、豊はもうこれはただの電話だなと思っていた。


翌朝、豊はいつもと同じ様にアルバイトに行った。

今までにない程時間が経つのが遅く感じられたが、ようやく休憩時間になり、豊はロッカールームの椅子にだらりと腰掛けた。

同じ時間に休憩に入っている同僚は喫煙所に行っているのか、独りきりである。


(もしかして、ケイアはずっと前から俺に気を遣ってたのかな……)

初めて会った日から抱きつかれたり、同じ布団で寝たりして思い上がっていたのかも知れないと豊は思った。

共に変身してケイアの事を知っているつもりになっていたが、本来は荒野に暮らしていたドラゴンである。

「アイオーン」なる存在とは言え、豊は普段はただの人間である。普通の人と同じような関係をドラゴンと築けるのだろうかと煩悶する。

故郷を救う為に戦っているドラゴンを、自分を好いてくれる女の子として見ていなかったと言えば嘘になるかも知れないと思う。

彼女とはもう戦いのパートナーとして会う事しか出来ないのだろうか。

「はぁ……」

誰もいないロッカールームで、豊はため息をついた。


閉園の音楽が流れ、豊はほっとしながら水槽の脇を通り抜ける。

爬虫類展示コーナーを横切ろうとした時、バシャンと水音が響いた。

すぐそばの水槽で大きなワニが水に浸かっていた。

鱗に覆われた爬虫類は、長い鼻面を水面に浮かせてのんびりと泳いでいる。

普段ならばその迫力に怖気づく所だが、今日の豊はまじまじとワニを見つめてしまった。

ケイアには全然似てないなと思った。

(顎の辺りは近いけど、ケイアの鱗はもっとサラサラしてたし、尻尾も長くて綺麗だった。脚はもっとしなやかだし、大きくて立派な翼があるし、それに……)

優しい顔をしていた、と思う。


重い足取りで帰路につき、アパートの前まで来た時には辺りは既に暗くなっていた。

誰もいないはずの部屋の鍵を開けると、煌々と明かりがついていた。

「おかえり、豊!」

「おお、おかえりユタカ」

姉とドラゴンの少女が豊を出迎える。

「へ、へえええぇっ!?」


「半休が取れてねー、嬉しくて来ちゃったんだ」

腰が抜けそうになっていた豊がようやく卓に着くと、(けい)は嬉々として話しかけてくる。

「そのな、部屋の鍵を返しに来たところで、丁度姉上殿がいらっしゃったのだ」

ケイアは少し恥ずかしそうに言うと、夕食の支度をしに台所へ行った。

「姉ちゃん……」

「ケイアちゃんの事、黙ってたんだね」

「ごめん……」

怒涛の叱責を覚悟した豊に、慧はあははと笑った。

思わず目を見開くと、慧は微笑んで続けた。

「部屋に入ったら女の子がいた時はびっくりしたけど……あの子、悪い子じゃないじゃない」

「うん……」

「他に行く所ないんでしょ?だったら暫く泊めてあげなよ」

「え?」

幼い頃のようにきょとんとしている豊に、慧はきっぱりとした声で言う。

「豊ももう大きくなったもんね。良い事と悪い事の区別くらいつくでしょ」

信じられない程の言葉だった。

「私の生きがいは豊だから。豊が元気にしててくれれば、それが一番だよ」

「そんな、俺なんか生きがいになんてしないで」

ううん、と慧はかぶりを振った。

「せめて豊が大人になるまで、ね?」

豊は両親が亡くなった時の事を思い出した。

大学に入学したばかりだった慧は、生きる目的を失ったかのように毎日泣いていた。小学生の豊は黙ってそばにいる事しか出来なかった。

葬儀から暫く経ったある日、慧は赤くなった目をぬぐうと、両親のいなくなった日以来初めて豊に微笑んで言った。

「私には豊がいるから、頑張る」

その時の顔を思い出して胸が苦しくなったが、何も言えなかった。


慧は夕食を終えると直ぐに帰っていった。

引きとめようとすると、姉は穏やかな表情で言った。

「まだまだ忙しいし、元気そうな顔を見て安心したから。ケイアちゃんと仲良くするのよ?」

じゃあ、と別れて隣を見ると、ケイアは去って行く慧の後姿に深く礼をしていた。


慧が去った後の部屋で二人は、暫く何も話せなかった。と言うより、豊は話せなかった。

沈黙を破ったのは、ケイアだった。

「……鍵を返しに来たのは本当だった」

豊が言葉に詰まっていると、ケイアが意を決したように尋ねた。

「昨日はあんな事を言ってしまったが……共に暮らしても良いのか?」

「悪い訳ないよ……そりゃあ最初はちょっと驚いたけど」

豊は笑って答える。

「その……我は自分で思っていたよりも普通のヒトの様に振舞えぬと知った。これからもユタカに苦労を強いるかも知れぬ」

ケイアは少し視線を下に逸らしていたが、直ぐにいつもの様に真っ直ぐに豊を見据えて言った。

「だが、エコーが海のそばにいたいのと同じ様に、我はユタカのそばにいたいのだ」

「……分かった」

お互いそれ以上の言葉は出てこなかったが、今度の沈黙は温かかった。


その夜、ケイアと同じ布団に入った豊は久しぶりに寝付けなかった。

ケイアも同じように眠れないでいる気がするのは、気の所為だろうかと思った。

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