第十三話 少女と少年は触手と戦う
人魚の少女は三叉の矛を豊に向かって突きつけた。
巨大な半人半竜の姿に変身した豊の上半身にも満たない姿であったが、先程と同じ水の奔流を直撃して無事で済むとは思えない。
人魚の口は歌を歌うかのように開かれ、三叉の矛は真珠色に輝いていく。
(俺達に攻撃してきているけど……多分、彼女は敵じゃない気がする)
(だがこのままではやられるぞ!)
一つの体の中で豊とケイアの思考が交錯している間に、人魚の呪文の詠唱は終わりに近づき、巨大な水の塊が顕現した。
豊は無我夢中でかっと口を開くと、眼前に迫った水塊に向かって長く咆哮した。
轟雷の如き咆哮は人魚の呪文を打ち消し、水は重力に従って落ちて行く。
呪文が打ち砕かれた人魚は即座に後退し、こちらの様子を窺っている。
(多分あの子は俺達のことを怪物と勘違いしているんじゃないかな)
(しかしあの様子では話を聞いてくれるとは思わんが)
(一度変身解いて、話してみないか?)
(二人そろって溺れ死ぬぞ!)
(だってこの大きさでこの姿だよ!? 怪物に思われても仕方ないよ!)
(こ、この姿は格好良いだろう!?)
豊とケイアの思考が衝突していると、遠く離れた空中で人魚が再度矛を振り上げるのが見えた。
その刹那、海中から鋭い刃のように水が迸り、豊の体を突き刺した。
(っ……!)
水の刃は逆巻いて流れ、半人半竜の体を絡め取る。
奔流に締め上げられた激痛が走り、全身に漲っていた炎のような熱が消えていった。
気がつくと豊の体は宙に放り出され、真っ逆さまに落ちていた。
水面に叩きつけられた衝撃に一瞬気が遠くなったと思うと、口や鼻に海水が流れ込んできた。
必死にもがくも、体は思うように動かず沈んで行く。
突然、海中から巨大な何かがせり上がり、すくい上げられる。豊は気道に入った水に咳き込んだ。
自分をすくい上げたのは赤い鱗に覆われたドラゴンの首だと気づくのには随分時間がかかった。
『ケイア!』
『我の姿が怪物のようだと……』
『ごめん! そういう意味じゃなくて、あの時は変身してたし……』
ケイアの首の上から、心話で必死に言い訳をする。
水面に上がっているのが首から上だけの様子を見ると、ケイアの巨体は不器用に犬掻きをしているようである。
海をほとんど見たことのないドラゴンにとって不利な状況であることには変わりない。
『その事は置いておくとして、陸地に戻るぞ』
『ありがと……』
ケイアが陸地に向かって泳ぎだしたその時、いつの間に移動したのか、豊達の前の水面が波立ち人魚が現れた。
海面からあふれ出す水の上に鎮座するようにして矛を突きつけ、こちらを見下ろしている。
間近で見る人魚は、ぬけるように白い肌と深い青の目をした恐ろしく整った顔立ちをしている。
その美しい口元から、冷酷な声が紡ぎ出される。
「ふぅん……? さっきまでの姿は幻影だったのかしら?」
「ち、違いまゲホッ! 俺達は貴方の敵じゃゲホゲホッ!!」
豊は声を張り上げたものの、先ほど気道に入った水に咳き込んでしまう。
「陸を這いずり回る者どもらしく見苦しいわね、あんな姿を晒しておいて何を言うの?」
「このケイアと俺が契約していて、海の怪物と戦う為に変身してたんだよ!」
豊の言葉に、人魚は表情を強張らせた。
「契約した?」
「そう! 契約してるんだよ! ほらケイアも何か言ってやってよ」
『み、水がっ! 苦しぃ……』
「ふぇっ!?」
豊はそこで初めてケイアの頭が浮きつ沈みつしていることに気がついた。
「とにかく俺達は君に何かする気は全くない!だからその武器を下ろして!」
人魚はどこか上の空のような表情をして豊達を見下ろしている。
『ケイア、人間の姿になって! そしたら俺が助けられると思うから!』
『ぐふっ……あいつが武器を収めるまでは……』
『そんなこと言ってたら溺れるよ!!』
融通の利かないケイアと豊が心話していると、人魚は悲鳴に近い声を漏らした。
「そんな……そんなことがあり得るの? お前のような陸の生き物が、アイオーン?!」
「えーと、そうだよ! 俺はこのドラゴンの、ケイアのアイオーンだ!」
矛を持つ人魚の手がかすかに震えたような気がした時だった。
豊の足元のケイアの首が完全に海の中に沈みこんだ。
無数の触手がケイアの体を絡み取り、海中に引きずり込んでいる。
先に襲ってきた触手より数倍は大きいようだ。
『ケイア!!』
海中でドラゴンの巨体は徐々に薄れ、半人半竜の少女の姿に変わっていった。
触手はケイアの体を容赦なく絡み取り、ケイアの体はほとんど見えなくなっている。
豊は一度水面で深く息を吸うと、勢いをつけて潜る。
『ユタカ……くるな……っ』
ケイアの心の声が途切れ途切れに聞こえる。
オルトロスと対峙した時のように豊の腕は通常以上の力で水を掻いて深く潜っていく。
ケイアを絡み取った触手を掴んで掻き分けようとするが、既に白い肌の一部しか見えない。
(多過ぎる!!)
ケイアの心の声は最早聞こえない。豊の息も限界に近づいている。
力尽きかけた豊の体に触手が伸ばされたその瞬間、突然触手の力が緩みケイアの体が解放された。
真珠色に輝く矛で怪物を突き刺す人魚の姿が海中で揺らめいて見える。
『カリュブディスはお前達の手に余るわ! 行きなさい!』
海中にも関わらず、人魚の声が豊の脳裏に響く。
豊はケイアの手を掴むと、海面へ浮上した。荒い息をつくと、肺に空気が満たされる。
そのままケイアの体を引き上げ、何とか岸辺に泳ぎ着いた。
荒波の向こうで白い光が輝き、何本かの触手が浮上しては海中の標的に襲いかかるのが見える。
「あいつが……助けてくれたのか……」
蒼白になっていたケイアが、声を絞り出す。
人魚の矛が放つ白い光と黒い触手が交戦する高波の向こうから、勇ましい少女の声が響く。
『私はこんな所で負けてられないんだから!』
その刹那、豊とケイアから青い光が溢れ出した。
豊は海中深くを真っ直ぐに突き進んでいた。
長い首、長い尾、逞しい四肢は鱗に覆われている。
ただ、全身は青い光に包まれ、四肢は体にしっかりと沿い、翼は鰭に形を変えていた。
頭頂からは真珠色に輝く長い角が前に向かって長く伸びている。
黒いカリュブディスの巨体が迫っている。
襲いかかる触手を難なく払いのけ、数本を噛み千切った。
震えるカリュブディスに素早く体をぶつけると、怪物はよろめいて黒い霧を噴射した。
黒い霧の奥には、鋸のような歯が並んでいる。
速度を上げてその口を目がけ、白く輝く角を真っ直ぐに突き上げた。
気がつくと、豊は粘液に覆われた何かを掴みながら波間を漂っていた。
黒く巨大なそれがカリュブディスの触手の一部だと分かり思わず手を離すと、黒い霧となって溶けて行った。
穏やかになった波間から、パシャンと音を立ててケイアの顔が浮かび上がった。
続いて長い金髪の少女の顔が浮かび上がる。人魚の少女はケイアを抱きかかえるようにして泳いでいた。
ケイアは目を開くと、人魚の少女に向かって微笑む。
人魚の少女は少し頬を染めると、弁解するような声を上げた。
「べ、別にお前達を助けた訳じゃないんだから!!」




