第十話 柾木豊の運命について
ショッピングモール内のチェーン店のカフェで、豊はウラヌスと向かい合って座っていた。
「君には本当に迷惑をかけてしまっているから、コーヒーおごる位じゃ足りないんだけど」
「いえ、ありがとうございます」
眼鏡の男は長いコートを脱ぐとありふれたスーツを着ており、小さなポニーテールが特徴的ながらもどこから見ても普通の人間のようである。
昨日の神々しい一角獣の面影は微塵もない。
「さて、どこから話したものかなぁ」
ウラヌスはカフェラテを一口すすり、鼻の下に若干髭を作りながら言った。
「端的に言うと、君達は命を狙われているんだ」
「は、はぁ」
とんでもない発言をさらりと言ってのけるウラヌスに、豊は気の抜けた返事を返すことしか出来なかった。
「それって、あの鳥や犬みたいな怪物にですか?」
「そう。どうやら『世界の敵』はアイオーンである君とその契約者を抹消したいようだ」
豊は暫し絶句したが、至って真剣な面持ちの眼鏡の男にようやく問いかけた。
「あの、そもそも『世界の敵』って何なんですか……?」
「んー、じゃあ、世界の在り方から説明しようか」
「この世界は、混沌を切り拓いて創られたと言われている。
混沌は世界の至るところに散らばって、徐々に混沌の影響の濃い領域と少ない領域に分かれていったんだ。
そしてそれぞれの領域に適応した秩序が生まれた。
君が『宇宙』と認識している領域は、混沌の影響が最も少ない領域の一つだ。『世界の果ての果て』と呼ぶヒトもいる」
数日前なら御伽噺か何かと一笑に付すような話だったが、ドラゴンや怪物、目の前にいる一角獣が変身した男を目にした後では受け入れざるを得ない創世の神話だった。
「僕はその世界の『管理者』の一人。
時間と空間を行き来して、秩序の異なる各々の領域の境界を見張る役割を担っている。君達でいうと急に気候の違う土地に別の生物が来て生態系が狂ってしまうのを防ぐ人みたいな感じかな。
君達にドラゴンや一角獣の話が伝わっているのは、領域と領域の管理が緩かった時代の名残だよ」
まぁ僕のミスの所為も結構あるんだけどね……と何やら呟きながらウラヌスは続ける。
「で、例の『世界の敵』はこの世界の『どこでもない所から来た存在』だ」
「ちょっと待って下さい!よく分からなくなってきました!」
豊は常識が追いつかなくなってきた言葉についに声を上げた。
「まぁとりあえず聞いておくれよ。
混沌の性質からすれば予期せぬモノが現れるのは当然のことなんだ。
でも、あの怪物達は世界の秩序も混沌も共に『破壊する』、あり得ない存在だ。
その怪物を生み出している存在が『世界の敵』だ」
「『世界の敵』っていうのは、怪物なんですか?それともヒトなんですか?どこに居るんですか?」
「実はそれすらも良く分かっていない」
「どういうことですか、それ?じゃあ何でそんなモノがいるって分かったんですか?」
動揺する豊に、ウラヌスは少し暗い声で答えた。
「恥ずかしながら僕ら管理者の中に自らの守るべき領域を壊す怪物を招き入れる者達が現れてね……
彼らは皆一様に『デミウルゴスの為に世界を破壊する』と言ったんだ。
その怪物を生み出したデミウルゴスという存在のことを、襲撃を受けたヒト達は『世界の敵』と呼ぶようになった」
「は、はぁ……」
「唯一つ確かなのは、世界を揺るがす存在だということだ」
「最初の標的となったのは、ドラゴンさんのような強いヒト達のいる混沌の影響の大きい領域だった。
領域によっては既に壊滅的だ……
ただ、不思議なことにそうした領域の多くに『アイオーン』の伝説があった
壊された世界を蘇らせ、生けるものと大地に怪物を倒す力を与える存在、世界の果ての果てに居る光。
それがアイオーン。秩序と混沌、領域と領域を繋げるモノ。
彼らはそれに一縷の望みを賭けた。
僕ら管理者は壊された領域のヒト達が領域を超えてアイオーンを探すことに賛同した。
ただ、誰でも良いとはしなかった。領域と領域を渡るには強靭な心の持ち主ではなければ耐えられないから」
豊は「我が光」と呼んだケイアの声を思い出した。
初めて出会った夜にケイアが嬉しそうに抱きついてきた事まで思い出して少し気恥ずかしくなる。
「それで、君がそのアイオーンという訳」
長々と語った世界の歴史をあっさりと締めたウラヌスに、思わず聞き返す。
「いや、俺はただの人間ですよ?!そんな力がある訳がないじゃないですか!」
「だってドラゴンさんと一緒に変身したでしょ?」
そう言われると返す言葉がなく、豊はこくりと頷いた。
「あれこそがドラゴンさんの領域と僕らの領域を繋いだ印だよ。他の管理者からドラゴンさん達の領域が徐々に回復し始めたって伝言も僕は聞いた」
豊は夢で見たケイアの故郷が救われつつあると聞いて、少し安堵する。
「ただ、僕ら管理者の誤算は君がこんなに執拗に襲われることを想定していなかったことだ。
正直に言うとこの領域にあの怪物は手強すぎる。
僕らには境界を固めて怪物の力をほんの少し弱める程度のことしか出来ない。
だから、もっと早く敵のことや戦い方を学ぶ術を教えておくべきだったんだ。幸いドラゴンさんは戦いに慣れているから危ない目に遭っても何とかなったけど……」
ケイアが戦わなければどうなっていたかと思い、豊の背筋はぞくりとした。
「それで、俺はどうすれば……」
「君達のように『世界の敵』に抗うヒト達が無数に居る。だから、少しでも多くのヒトと協力して力を蓄えれば、世界を在るべき姿に戻すことが出来るはずだ」
「ケイアさんみたいな人が他にもいるってことですか?」
ウラヌスはそう、と答えて少し笑った。
「とりあえず、君達には仲間を増やして貰いたい」
「え、それだけですか?」
「うん」
「仲間を探せ、ってことですか?」
「そう」
唖然とする豊の前でウラヌスは残りのカフェラテを飲み干した。
「あ、あの、境界を越えてきた人が分かるなら、直ぐに全員を集合させれば良いじゃないですか。何で俺達が探すんですか」
問題はそこなんだよとウラヌスはうつむいて額を押さえた。
「君の力は強すぎて管理者が引き合わせるのは難しいんだ。僕らの力でも、君のような観測できない存在には干渉出来ない」
「へぇっ?」
「世界を変えうる存在はお互いに引き合う。だから君達の会遇は自然な運命となるはずだ。
それまで、頑張って欲しい」
ウラヌスは顔を上げると、真剣な面持ちで豊を見据えた。
「でも、契約の証の力で、君達は自らの意思で強力な体に変われるようになった。
多分、今以上に強大な存在になっていくと思う。世界を在るべき姿に戻せる日も遠くはないはずだ。
それまでは暫く怪物と戦って貰うことになるけど、僕ら管理者は全力で君達をサポートする。
君みたいな若い人に頼るのは申し訳ないけれど、世界の崩壊を防ぐ為に力を貸して欲しい」
ウラヌスの懇願するような眼差しが、「我に力を貸してはくれないか」と言った時のケイアの瞳と重なった。
「……分かりました」
「ありがとう。本当に……」
世界を守るという重大な任務を受け入れてしまった豊は、それまで飄々として捉え所のなかったウラヌスが初めて自然に微笑むのを見たような気がした。
店を出て、ケイア達と約束したベンチの方へ歩きながら、豊は隣を歩くウラヌスに尋ねた。
「ウラヌスさんは時間を行き来出来るんですよね?未来がどうなるかは分からないんですか?」
うーん、と残念そうな顔をしてウラヌスは答えた。
「僕の存在する時間線は常に分岐し続けるから……そんなに大きな移動は出来ないから、分からない」
予想はしていたものの少し肩を落とした豊の肩をそっと叩いて、ウラヌスは力強い声でこう言った。
「ただ、世界はそんなに簡単になくなるようなものじゃないよ。君達ヒトが存在する限り」
「お待たせー!豊君」
秋乃とケイアの姿を見つけた豊が振り返ると、ウラヌスは既にいなくなっていた。