破滅の指輪 その1
昼を過ぎた東京の繁華街の道路で、その空間では場違いな黒塗りの高級車が走行している。
その車内には、車を運転している眼鏡を掛けた男性と、後部座席に座る英国人と日本人のハーフである男性、つまりは俺が居た。
俺、ジョン・H・和藤は口を開く。
「しかし、外務省の官僚が依頼とは私どもも初めてです。我々に依頼するのは公安や神社本庁の方々が殆どですから」
運転席の男は少し考え込んでから言った。
「この件は日本の国際関係を著しく激変させる危険性を孕んでいるのです。本来ならいつも通り、その手の管轄である警察や神社の者たちが行くのが常のようですが、これは非常にデリケートな問題ですので私が迎えに行くようにとの上からのお達しでして。私も少しばかりこの方面には精通しているほうなので」
『この方面』とはすなわち、魔導力の蠢く裏の世界の話だ。そこに関わっているとなると、この男はただの外務省の官僚では無いのだろう。
俺の顔に浮かぶ疑問を読み取ったのか、運転手はすぐに答えてくれた。
「残念ですが私の省内での所属は極秘事項でして。まあ、魔術師の知り合いが何人かいることは確かです。……あまり関わりたくない者も多いのですが」
魔術師達には偏屈物が多い。お役人の神経を逆撫でさせるようなことを言う者もいるのだろう。
事件の詳細について訊いてみるか。
「それで、どんな事件が起こったのですか?」
役人は鎮痛な面持ちで、
「申し訳ありませんがそれは『彼女』が来てから報告しろとの厳命でして。お気を悪くされたら申し訳ございません」
助手だけにはほいほいとは話せないということか。まあ、ここで信用できないかもしれない助手が情報をネットでばら撒く可能性だって政府は予想しているのだろう。
思ったよりかなりの厳戒態勢が敷かれているようだ。
「いえ、そちらのお気持ちもお察しします。あいつ本人が来てからの方がいろいろとやりやすいですしね」
「ありがとうございます。ただ言えることは、あなた達のお知り合いがこの事件に巻き込まれています。――正確にはあなた自身の知り合いですか。」
「私の知り合い? 魔術師の知り合いは結構居るからなあ」
思い浮かんだ魔術師の知り合いの顔を片っ端から思い浮かべてみる。
「その人物は私の知り合いでもありまして。私の知る限りかなりの問題児ではありますが、窮地に立たされているとなれば話は別です。どうか我々の共通の知り合いである彼女を救っていただきたい」
男はかなり真面目な口調でそう語った。
「いったいそいつは何をしたのか、ということだけでも聞いて良いでしょうか?」
では端的に、と前置きされ、
「知り合いの魔術師が、あなたたちご専門の魔術業界を揺るがす大発見をしました。しかし、それと同時に大捕り物が起こったばかりか、国際問題まで引き起こしてしまったのです!」
俺達はイギリスから日本へ来た魔術師だ。その技能が認められ、こうして政府から依頼を受けることが多々ある。しかし、ここまで盛りださんな依頼はほとんど無かった。
車が繁華街を抜ける。前方に見える建物は学校。俺たちはあの結構大き目の学校に通う一人の少女を向かえに来たのだ。
早めに頼みますよ、という後ろからの声を聞きながら、車を降りて放課後の学園の中に入っていく。もう二十代後半の身としてはこういう若者たちの楽園はとても懐かしい。高校生達が和気藹々と学校の外へと出て行く中、金髪の少女がもう一人の少女に向かって話し掛けている。何か小さな道具を相手の女の子に見せながら、明朗快活な笑顔で何かを語っている。
「これをこうすると、ほら!」
「うわ~、すごいねシャルちゃん! ねえねえ、どうやったの?」
遠くからだったので金髪の少女が何をしていたのかよく分からなかった。
金髪に気付かれぬよう、彼女から遠く離れた場所への方へ行って迂回し、後ろに回る。少しだけ離れた位置をとり、彼女たちの話を盗み聞く。
「ふっふっふ……ヨウコでも練習すればすぐに出来るようになるわよ。素直に驚いてくれたお礼にもう一回見せてあげるわ」
すると、金髪の少女ことシャルは小さな赤いボールを左手の手の平の上に取り出し、
「では、このボールを消してみます。この白いハンカチをボールの上に被せて……はい、1、2、3!」
ピカッと閃光が走り、隣の少女、ヨウコが少しだけ目をつぶる。
そして次の瞬間、シャルは右手で左手の上に載っている白いハンカチを取り去る。
「じゃあじゃじゃーん! なんと、先ほどの赤い玉は消え去ってしまいましたっ!」
わあーっと驚くヨウコ。
「さらにさらに……」
シャルはヨウコの首の後ろへと手をやり、
「こんな場所から赤い鶴が出てきました! 赤い玉は瞬間移動し、鶴へと姿を変化したのでしたー!」
「きゃあーッ! やっぱりすごーい!」
ヨウコなる少女は興奮しっぱなしだ。
「ホントに種も仕掛けもないみたい! シャルちゃん魔法使いっぽいよ!」
友人に煽てられ、すっかり得意顔になったシャル。
「ふふっありがとう。でも、これは魔術ではなく、奇術なのよ。高等学校までに習う化学や物理、ほんの少しの心理学の応用の結果でまるで魔術のように見えるの」
……やばい。これはかなりまずいぞ……。
何がまずいかって、彼女の説明だ。
俺が慌てていると、シャルを眺めていた生徒達もいっぱい寄ってきた。
「すげー!」
「おっ、留学生のフォード嬢がまた何かやってるぞ!」
やんややんやと人が集まる。
シャルはますます喜び、
「おおっ、いっぱい人がやってきたわね! では――」
シャルは息をため、
「レディース、エンド、ジェントルメーン!!」
「私、シャルロット・フォードがこれより奇術をお見せしましょう!」
周囲に集まった数十人に向かって呼びかけた。
彼女のこれからの台詞次第ではすぐに止めなければならない。
こっそりと彼女の後ろ近くへと接近する。
「奇術には研究資金が必要となります。つきましては、ほんの少々の見物料を――って、うわ、ジョン!?」
「実に楽しそうだな、シャル」
俺はなるべく暗い声で呼びかけた。
「誰だ、あの男」
「あの人も外国人なのかな?」
周囲の学生たちがざわつき始める。
お役人さんが言っていた通り、早めに切り上げねば……。
「ジョ、ジョン。いや、これはただの遊びって感じで……」
ふうっ、とおれはため息をつき、彼女の耳元でこっそりと、
「お前に依頼が入った。まさかの外務省からの申し出だ。気合を入れていくぞ」
「政府からの依頼? なんでまた!?」
「依頼内容は車の中でするらしい。俺も詳しくはまだ聞いていないんだ。早く来い」
話が終わると、俺は車の方向へと歩く。
シャルは周囲の学友たちへ
「ごっめーん! マジックショーまた今度ということでっ!」
「二度とないと思え」
ぼそり、とした俺のつぶやきが聞こえたのか、シャルは身体を縮込ませて歩き出した。
二人で学外から出た。帰路へつく学生たちから離れてシャルに話し掛ける。
「お前、分かっているだろうが、あれは詐欺だ。神社本庁や英国国教会にしょっぴかれるぞ」
「い、いや、あれはほんのおふざけのつもりでさ~」
先程の彼女の『マジック』。あれはマグネシウムの化学作用や心理的盲点をついた物体移動、赤い玉と赤い鶴の両方を用意していました~などという奇術などでは無い。魔導力という世界の根源的エネルギーを用いて発動させる神の業、魔術だ。
「巷で起こる魔術犯罪をマスコミや一般人向けに『科学的視点』から隠蔽することを生業とするお前が、自分の魔術を自分で隠蔽するなんて……」
そう。世界には魔術と呼ばれる、一般人には秘匿された術式が存在する。科学と違い、目に見えないエネルギーとして大気中に存在する魔導力を用いれば、どんな不可能犯罪もやってのけることも出来る厄介な技術。拳銃よりも危険なこの神の業を取り締まるために、日本では神社本庁や宮内庁。我らが祖国イギリスでは英国国教会。そして全ての元締めとしてバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の教皇庁が常に目を光らせてこの技法を監視している。
だが、それでも監視の目を掻い潜り、魔術を犯罪に応用する不届きものが現れる。
例えば、密室空間の中。魔法で火を起こして魔術師が人間を焼き殺し、空間転移魔法で部屋から脱出したとする。(ちなみに転移魔法は魔術師の間でも非常に高度な術式であるため、使える術者もそんなに居ないのだが……)警察はこんな事件はお手上げだ。
そこで、日本では神社本庁が出てきて、事件の全容を解明し、犯人を捕らえる。
しかし、魔法を使って殺したなんてマスコミに説明出来るわけがない。裁判所は魔術の存在を知っている場合もあるが、魔術を証拠品提出として認めても、裁判の経過記録は一般に公表されるし、法務省配下の検察庁が事情を知っていても、弁護士はあくまで民間人だ。魔術の存在を明らかにするわけにはいかない。
そこで、神社本庁の人間は物理的に可能な殺人トリックをでっちあげ、被告人にも嘘の証拠品、証言を認めさせ、法廷に持ち込む。被告人も罪を認めている場合がほとんどなので、皆でグルになって事件の全容を塗り替えるのだ。
そして裁判所は魔術ではなく、あくまで科学的現象で引き起こされた事件として判決を下し、被告人は刑に服することとなる。マスコミには密室トリックと傍目には分からないような発火装置を使った殺人事件として公表され、事件の本当の捜査資料は神社本庁や警察庁の闇の奥へと保管されることとなる。
そんな隠蔽工作に加担するのが俺達のような魔術師だ。
なにせ本庁の魔術師達にとっては、殺人事件の解決ではなく、多くの場合、暴走した魔術師犯罪者を魔術を使って取り押さえたり、妖怪や悪魔を祓うのが本来の仕事だ。隙の無い隠蔽工作をするのは本来専門では無い。警察だって魔術に詳しいやつはあまり居ないし、そもそも公安は犯罪の隠蔽工作や操作を積極的にはしたがらない。
俺達は推理小説の探偵と助手のように現場へと赴き、事件の全容を理解し、その後嘘の名推理をして事件を塗り替えるのだ。
「まあまあ、魔が差しただけだから。ほら、凄惨な事件ばっか目の当たりにしていた刑事が影響されて犯罪に手を染めてしまう、みたいな」
「まったく。次やったら本国に報告するぞ」
「うわー……そ、それだけは勘弁っ」
そして、日本へ留学に来ている英国の魔導貴族、シャルロット・フォードは当代髄一の隠蔽探偵であり、
俺、ジョン・H・和藤はその助手なのであった。