禁断の果実は十三の色
多少狂気を孕んだ内容となっておりますので、ご注意ください。
残酷描写等も、直接的な表現は避けておりますが、苦手な方はご注意ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
ギシッ、ギシ……。一歩踏み出すごとに耳障りな音を立てる、古びた木製の階段。
そして私は最後の一段、十三段目に足をかけた。
ギシ……。土埃をかぶった階段は再び軋んだ音を立てて、私という存在を拒絶した。その一番上は、広い。その中央に立って、私は大きく息を吸い込んだ。
ふと、あの果実の甘い香りが、私の鼻腔をくすぐった。懐かしさに、ゆるりと後ろを振り返る。乾いた茶色の蛇が、私の首を絡め取った。
ダンッ! ぐらりと大きく、視界が揺れる。私が最後に見たものは、夕日。十三番目の色。
――一段目、植樹。
「本当に? 約束だよ! 大きくなったら、絶対に私をお嫁さんにしてね!」
目の前の少年は、紫の瞳を柔らかく細めて笑った。
「ああ、約束だ。大きくなったら、絶対にティアをお嫁さんにするよ」
優しげな笑みを崩すことなく彼はそう言って、お揃いの茶色の髪を撫でてくれた。温かい手のひらに、温かい日差し。私はうっとりと目を細めながらも、約束の行方が心に引っかかって、彼を見上げた。
「本当に約束してくれる? 嘘つかない?」
不安げに見上げる私を、彼はより一層温かい笑顔で見つめ返してくれた。
「ああ、絶対だ。……そうだ!」
彼は楽しげな事を思いついたように笑って、駆け出した。
「あっ! 待ってよ!」
「ちょっと待ってて。すぐ戻るから!」
慌てて後を追おうとした私にそう告げて、彼は振り返らずに駆けて行ってしまった。そしてしばらくして、息を切らしながら戻って来る。
「約束の印に、これを一緒に植えよう。この木が大きくなってたくさん実をつけたら、そうしたら、ティアをお嫁さんにしてあげるよ!」
「うん! 約束ね!」
目に見える約束の印に安心した私は、彼と一緒にその木を植えた。
罪の色をした果実がなる、木。幼い日の約束の象徴。優しい紫の記憶。
――二段目、剪定。
「この枝も……切った方がいいな」
彼はそう言って、痩せ細った枝を切り落とした。木の上に立つ彼を見上げる私の息は、白く色づく。見渡す限りの大地と、同じ色。
「ねえ、まだ?」
身を切るような寒さに耐えきれなくなった私は、まだ作業を続けている彼を見上げた。
植樹から十二年。私は、十五の冬を迎えていた。彼は、十七の冬。
「……まあ、こんなところだろう」
器用に木を滑り降りると、彼はのこぎりを足元に落として、私の頬を両手で包み込んだ。
「あったかいな。手がかじかんでひどいんだ」
「真剣にやるからだよ。霜やけになっても知らないよ」
そう答えながらも、私は彼の冷たい両手を、自分の頬と手で包み込む。白い吐息が二つの方向から放たれて、混じり合った。
もどかしい、白い記憶。
――三段目、萌芽。
雪解けの水が、小川を作る。冷たさの残る風に対して、陽射しは柔らかくお揃いの髪に照りつける。
「わあ、芽が出てる! 素敵!」
私は無邪気な笑顔で彼を振り返った。いつもの柔らかい微笑みが返って来る。
「この色、いい色だよな。春が来たなって実感する」
私の隣に立ってその木を見上げる彼を、私は見上げた。紫の瞳に映り込む若葉の色は、無垢でとても美しい。
「綺麗だね!」
そう言って私は、彼の腕に自分の腕を絡めた。
あの色は、幼く無知だった私、裏切りを知らなかった私を、嘲笑う色。緑の記憶。
――四段目、開花。
その木は、満開の花を咲かせた。その木の枝だけ霞がかっているような、淡くけぶる薄桃色。思わず見とれる私の頬を、ふと温かいものが突いた。
「なあに?」
目を上げて問いかける私に、彼が笑う。
「同じ色してる」
そう、彼は、薄く色づいた花々と、上気した私の頬の色を見比べて笑ったのだ。鼓動が一つ、高鳴る。
温かい記憶の、暖かい色。薄桃色の記憶。
――五段目、摘花。
「もったいないね、こんなに綺麗なのに……」
溜息をついて不満気にする私を、彼が優しく宥める。
「仕方ないだろ。こうやって余分な花を摘んでおかないと、実に十分な栄養がいかないんだよ」
彼の言い分が正しいこともわかっているが、どうしても納得がいかない。そんな私の髪に、彼は摘み取った花を編み込んだ。
「ほら、こうやって使えばいいだろ? ……いい香りだ」
少し色濃くなった花、桃色の花を編み込んだ私の髪を、彼が手繰る。陽の光を含んで温かくなっている私の髪に、彼の唇が触れた。
「っ……!」
抑えきれない衝動を感じた私の体は、動くと同時に力強い腕に包まれていた。その胸は、水の香りがした。私という木を大きく育ててくれる、水。
摘み取った桃色の花の名は、理性。桃色の記憶。
――六段目、受粉。
記憶は、闇の中。でも、少しも怖くはなかった。温かい腕が、私を強く締め付ける。
私という花を選んだのは、彼。そして、彼という蜜蜂を受け入れたのは、私。
空の果てまでが黒く染まる中、誤った収穫への道、狂気の扉が開かれる。漆黒の記憶。
――七段目、摘果。
「こうやって、余分な実も取ってやらなきゃならないんだ」
私と、彼と、そしてもう一人。私と同じ年の頃の、見知らぬ女の子。彼の説明に、真剣に耳を傾ける。
私と同じ、熱い目で彼を見上げる。私の中で、蒼い炎が燃え上がる。冷たく、心を焼く炎。今まで感じたことのない感情。控えめな少女の瞳と同じ色。
彼女は、二度とやっては来なかった。実りのための犠牲。摘み取ったのは、嫉妬の炎。蒼色の記憶。
――八段目、枝吊り。
支えきれない程の実をつけた枝。それを支えてやれるように、木の幹から紐を張らせる。彼は、そんな作業を行いながら溜息をついた。
「終わったの?」
いつものように笑顔で問いかける私に、彼は冷たく、ああ、と答えた。目を合わせてくれない、彼。そのまま曇り空を見上げて歩き出す。
「あ、待って!」
慌てて追いかけた、私。絡めた腕。振りほどかれる温もり。支え切れないほどの実をつけた枝は、どうなるの? 疑惑の灰色が、私の心に降り積もる。灰色の記憶。
――九段目、嵐。
唸りを上げる風が、窓の外で荒れ狂う。その窓を激しく叩く、強い雨。それよりも激しく私の耳朶を打つ、衝撃の言葉。雷鳴が近く、そして遠くで響く。その冷たい光が、私の目の奥を熱く焼く……。
何故? 何故私を愛せないの? 何故私たちは、結ばれてはいけないと言うの?
いつもは優しい彼の声が、外の雨音をものともせずに、低く私の耳に響いた。そうか、そうだったのか……。
同じ人間を父と母と呼ぶ二人は、結ばれてはならないのだという。
受粉の記憶よりも紫に近い、闇の色。宵闇の記憶。
――十段目、摘葉。
果実が日光を浴びて甘く色づくのを邪魔する葉を、摘む。摘葉は、そういった作業らしい。彼はそう言いながら、器用に枝を登って葉を摘んだ。
そして、私も葉を摘んだ。甘い果実を実らせるために、日光を遮る葉を摘んだ。父と母という、葉を摘んだ。
摘まれた葉は、黒ずんだ緑色をして、萎れた。灰緑の記憶。
――十一段目、試肥。
私は木に肥料をやりに行く途中で、彼が、見知らぬ女性を連れて歩いているのを見た。仲睦まじく腕を組んで歩く二人。明るく笑う声が、私の耳の奥に刺さる。脳の奥までを掻き乱す、赤い衝動……。
私を愛せない理由は、楽園からの追放が恐ろしいから。ねえ、結ばれるのがその人なら、楽園へ行けるの? 神の国への門が、くぐれるの?
裏切りという肥料は、ついに果実を熟させた。収穫を待つ、赤い記憶。
――十二段目、収穫。
ゴトリッ……! 熟した実が、ついに転げ落ちた。ずっとずっと待ち望んだ、収穫。一番欲しかった、果実。
「大好きよ、お兄ちゃん。ずっとずっと、私だけの、お兄ちゃん……」
熟した実に、唇を寄せる。切り口から、真っ赤な滴がいつまでも落ち続ける……。
「そんな怖い顔しないでよ、お兄ちゃん。笑って……。ほら、こんな風に……」
自分の唇が笑みの形になっていることを確認するために、私は指先でそれをなぞった。滴る赤い滴が、口紅のように私の唇を彩る。
「そう、お兄ちゃん。笑って……」
ふふ、と、笑みがこぼれた。燃えるような夕焼け、熟れた果実の甘い香り……。私の笑い声だけがいつまでも響く、紅い空……。
狂気を孕んだ、紅い記憶。
――十三段目、冬眠。
素晴らしい実をつけた木は、眠りについた。
お兄ちゃんという素晴らしい実を刈り取られた後の、私という木。十三の色を持つ禁断の果実を刈り取った後、十三段の階段を登った私は、冬眠した。
最後の記憶は、あの日と同じ夕焼けに浮かぶ、夕日。橙色の記憶。
ああ、私は、幸せでした。
神の国の門は、固く閉ざされている。許されざる楽園を眺めながら、私は地の底へと引きずり込まれて行く。そして、再び収穫の季節を待つ。
こんにちは、霜月璃音です。
以前より構想を練っていた短編がやっと完成しました。りんごの収穫を意識して書いたものだったのですが、いかがでしたか?
もしよろしければ、感想、評価などをお願いいたします。未熟な部分がまだまだあると思いますので、何か気付かれたことをお教えいただければ幸いです。
ここまでお読み下さった皆様、大変ありがとうございました。