チート勇者は悪くない
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
最初に、空がわずかに軽くなった瞬間を、誰も覚えてはいない。
ただ、後になって人々は口々に語った。
――すべては、勇者が現れてからおかしくなったのだと。
「おおおおっ!! 見ろよ、この魔法!!」
快晴の空を背景に、青年が高らかに笑っていた。
カズヤ。
異世界から召喚された“勇者”の名だ。
王城の儀式の間で行われたそれは、あまりにも典型的だった。
魔法陣。詠唱する魔導師たち。神託を告げる巫女。涙ぐむ王女。
魔王討伐という大義。
そして――定番の、チート能力。
青年は掌を軽く開く。
「《創造魔法》」
その一言で、空間が震えた。
直後、空中に巨大な影が出現する。
全長三百メートルにも及ぶ鋼鉄の塊。
鈍く光る装甲、整然と並ぶ砲門、唸りを上げるジェット機関。
この世界に存在しないはずの文明の結晶――戦艦。
それが“無から”生み出された。
だが、当の本人はただ笑う。
「やべぇ……マジでなんでも出せるじゃん!」
さらに彼は続ける。
「《無限アイテムボックス》」
空間が裂け、闇が口を開いた。
そこから溢れ出すのは、財宝だった。
金貨、宝石、ミスリル、オリハルコン。
希少な食材、伝説の生物の素材、あらゆる薬品。
まるで滝のように、無尽蔵に世界へと吐き出される。
地面が黄金に埋まり、空がきらめきで曇る。
人々は歓喜した。
飢餓は消え失せた。
貧富の差は意味をなくし、争いは止まり、病は癒えた。
冬に凍える者もいなければ、魔物に怯える必要もない。
誰もが夢見た理想郷。
それが、現実として訪れたのだ。
――最初のうちは。
数カ月が過ぎた頃。
王立魔導院の奥深く、薄暗い観測室で、老学者ベルドが震える声で呟いた。
「……重力が、弱くなっている?」
若い弟子が手元の測定具を確認しながら答える。
「はい。落下速度が〇・〇二%低下しています」
「誤差ではないのか?」
「検証は三度行いました。すべて同じ結果です」
ベルドは黙り込む。
弟子はさらに紙束を差し出した。
「もう一つ。大地の総質量が増加しています」
「増加……?」
その言葉の意味を、理解した瞬間だった。
部屋の空気が凍りつく。
勇者が生み出した物質。
その総量。
それは、確かに“世界に存在している”。
消えず、失われず、ただ蓄積されている。
誰かが、掠れた声で言った。
「……まさか」
この世界にもまた、逃れられない理がある。
質量保存の法則。
本来、物を作るとは、材料を別の形に変える行為でしかない。
だが勇者の力は、その前提を破壊していた。
完全な無から。
物質を。
エネルギーを。
質量そのものを。
生み出している。
「星が……重くなっている」
「はい」
「どれほどだ」
弟子は答えるまで、わずかに躊躇した。
「勇者召喚以降、推定〇・四%」
それは、星規模においては致命的な変化だった。
異変は、静かに、だが確実に広がっていった。
海面は上昇し、沿岸都市は水に沈む。
潮の満ち引きは狂い、巨大な津波が予測不能に発生する。
地殻は軋み、大地は裂け、火山が目覚める。
嵐は激しさを増し、気温は乱れ、季節の概念すら曖昧になった。
そして――空。
「月が……近い」
誰かが呟いた。
それは比喩ではなかった。
重力バランスの崩壊により、衛星軌道が歪み始めていたのだ。
夜空に浮かぶ月は、日に日に大きくなる。
美しさと同時に、圧倒的な圧迫感をもって。
さらに問題は終わらない。
星内部の圧力変化。
マントル対流の異常。
自転速度の揺らぎ。
すべてが狂い、すべてが連鎖し、取り返しがつかなくなっていく。
だが――
「よーし! 次は城を百個作ってみるか!」
カズヤは、今日も無邪気に笑っている。
ドゴゴゴゴゴ!!
大地が隆起し、巨大建築が次々と生まれる。
人々は喝采する。
便利だから。
豊かだから。
苦しみがないから。
誰も、止めない。
止められない。
王国会議。
重苦しい空気の中、ひとりの領主が口を開いた。
「勇者様を、止めるべきです」
ざわめきが広がる。
王は静かに問い返した。
「止めてどうする」
「このままでは、星が崩壊します!」
「証明できるのか?」
言葉が詰まる。
理論はある。兆候もある。
だが、“確定した未来”ではない。
そして何より――勇者は絶対的だった。
奇跡の象徴。
恩恵そのもの。
誰がそれを否定できるのか。
王は淡々と続ける。
「民は勇者を支持している」
「しかし――」
「飢えぬのだぞ?」
静かな一言。
それだけで、議場は沈黙した。
「病でも死なぬ。冬でも凍えぬ。魔物にも怯えぬ」
その現実の前では、すべての危機は“未来の可能性”に過ぎない。
王はゆっくりと目を伏せた。
そして、わずかに笑う。
苦い、諦めを含んだ笑みだった。
「……人はな」
顔を上げる。
「滅びるかもしれぬ未来より、確実に満たされる今日を選ぶ」
誰も、否定できなかった。
だから――
その日もまた、世界は少しだけ重くなった。
***
十年後。
星の重力は、かつての一・八倍に達していた。
もはや「重い」という感覚ではない。
世界そのものが、押し潰そうとしてくる圧力だった。
鳥は、空を飛べなくなった。
羽ばたく前に地面へと叩きつけられる。
森は枯れた。
木々は自重すら支えられず、幹が裂け、低く歪に広がるだけの存在へと変わった。
人間の身体も、例外ではない。
骨が軋み、関節が砕け、内臓が押し潰される。
日常の動作すら死に繋がる世界。
圧死する者が、日々、増え続けた。
……だが、すべてが同じ結末を辿ったわけではない。
「まだ……生きてる……!」
歪んだ大地の上を、四足のように這いながら進む者がいた。
骨密度が異常に増加し、筋肉が重力に適応した人間。
進化か、淘汰か。
いずれにせよ、人は変わり始めていた。
人間ではないものへと。
海もまた、変貌していた。
波は消えた。
風が吹こうが、嵐が来ようが、水面はほとんど揺れない。
すべてが重力に縫い止められているかのように。
代わりに、海面そのものが下がった。
大地が押し縮められ、海水はより低い場所へと流れ落ちていく。
かつての海岸線は、遥か高みにあった崖となっていた。
空もまた、静かに壊れていた。
歪んでいた。
青は濁り、色は鈍る。
夕焼けは、消えた。
光が、大気の中で正常に屈折しない。
ただ暗く、ただ重たい空。
そこに浮かぶ月だけが、不自然に巨大で近い。
そして。
地の底から、終わりの音が響く。
火山。
連鎖噴火。
一つの噴煙が次の火山を刺激し、爆発の連鎖が止まらない。
大地は割れ、炎が噴き出す。
世界そのものが、内側から呻いていた。
限界だった。
すべてが、限界へと達していた。
そしてある日。
空に――亀裂が走った。
誰かが見たのではない。
誰もが見た。
音もなく、しかし確実に。
空という概念そのものに、ひびが入る。
現実が、剥がれる音だった。
物理法則が。
世界の枠組みが。
悲鳴を上げていた。
それでも。
それでも、人は叫ぶ。
「勇者様ぁぁ!! 助けてください!!」
重力に押し潰されながら、声を張り上げる。
その祈りに応じて、声が返る。
「あいよー!」
軽い声だった。
まるで変わらない。
カズヤは笑っていた。
そして、いつものように手をかざす。
「《創造魔法》!」
その瞬間。
空間が裂け、巨大な構造物が出現する。
浮遊都市。
重力に逆らう、巨大な円盤状の建造物。
数万人を収容できる、救済の島。
歓声が上がる。
人々はそれにすがり、登り、生き延びる。
だが。
世界は、また一段、重くなる。
さらに質量が増える。
さらに星が歪む。
さらに均衡が崩れる。
救うたびに、壊れる。
助けるほどに、終わりへ近づく。
それでもカズヤは、やめない。
やめられない。
悪意は、ない。
本当に、ない。
ただ困っている人を助けているだけだ。
便利だから使う。
使えるから使う。
その純粋さこそが、致命的だった。
「……チート主人公は悪くない」
老学者ベルドは、崩れゆく空を見上げながら呟いた。
かつて観測と理論で世界を理解しようとした男は、
今や終焉を見届けるしかない。
「悪いのは――」
視線は空の、そのさらに向こうへ。
この世界の外側へ。
「こんな力を、何の制限もなく」
「因果も、代償も、責任もなく」
「与えてしまった……“物語”そのものだ」
その言葉は、誰にも届かない。
世界は既に、結末へと向かっていた。
そして、最後の日。
星はついに、自らの重みに耐えられなくなった。
それは静かな始まりだった。
だが、次の瞬間。
すべてが崩壊した。
重力崩壊。
海が持ち上がる。
圧縮された水が、反動のように天へと噴き上がる。
大陸が沈む。
自重に耐えきれず、地殻が内部へ崩落する。
空が落ちる。
もはや上下の概念すら曖昧に、あらゆるものが中心へと引きずり込まれる。
そして月。
あまりにも近づきすぎた衛星は、引力に引き裂かれた。
砕ける。
破片となり。
燃えながら、大地へと降り注ぐ。
終わりの流星群。
世界の命日。
人々は、その中で。
何を見たか。
重力に押し潰されながら。
体が潰れ、意識が途切れるその直前。
ただ一つ。
勇者を見た。
「え……?」
カズヤだけが、理解していなかった。
空を見上げ、崩壊する世界を見渡しながら、呆然と立ち尽くす。
「なんで……?」
その声は、本気だった。
彼は知らなかった。
自分が壊していたことに。
気づいていなかった。
「なんで……こんなことに……」
彼はただ。
本当にただ。
皆を幸せにしたかっただけなのだ。
その瞬間。
すべてが収束する。
圧縮。
崩壊。
収束。
星が――潰れた。
林檎のように。
ぐしゃり、と。
「創造系チート」を物理法則側から見た話です。
多くの異世界作品では、「無限収納」「無限生成」「魔力で作成」が便利機能として描かれますが、もし本当に“無から質量が増える”なら、星規模では極めて危険です。
特に怖いのは、主人公に悪意がない点です。
むしろ善人。
だから誰も止められない。
豊かさは即効性があり、破滅は遅効性だからです。
ある意味でこれは、
「技術は悪ではない。しかし制御なき万能は世界を壊す」
というSF的テーマでもあります。




