第8話「悪役令嬢、敵に塩を送る」
(もう、わたくしの周りには、わたくしを悪く思う人間が一人もいない……)
忠犬ならぬ忠臣と化したフェリックスに、甲斐甲斐しく世話を焼かれながら、私は遠い目をした。
私の悪役令嬢計画は、もはや個人をターゲットにしても無意味だと証明されてしまった。
私の悪意は、彼らの持つ”エリーゼ様フィルター”によって、すべて慈悲や深謀遠慮に変換されてしまうのだ。
(こうなったら、発想を逆転させるしかないわ!)
味方を攻撃してダメなら、敵を利すればいい。
そうよ! 敵対する相手に、わざと利益を与えてやるのよ!
自分の家の不利益になるよう立ち回り、ライバルを勝たせる。
これぞ、”裏切り”!
一族に対する、最も許されざる背信行為!
これなら、いくらお父様でも「よくやった!」とはならないはず。
「この裏切り者め!」と、勘当してくれるに違いないわ!
(ふふふ……最高の悪事じゃない)
幸い、このローゼンシュタイン家には、うってつけの敵がいる。
それは、グリム家。
我が家と勢力を二分する公爵家であり、事あるごとに対立している、不倶戴天の敵だ。
ゲームでも、当主のヴィクトール・フォン・グリムは、エリーゼを陥れようと様々な策を弄する、わかりやすい悪役だった。
ターゲットは、あなたよ、ヴィクトール!
わたくしが、あなたを勝たせてあげる!
◇
「……ふむ。またグリム家が、いちゃもんをつけてきたか」
夕食の席で、お父様が苦々しい顔で呟いた。
「はい。我が領地で産出される魔導鉱石の独占販売権について、王家へ横槍を入れてきたようです」
お兄様が、冷静に報告する。
「『ローゼンシュタイン家による市場の独占は、国の経済を不安定にする』などと、もっともらしい理由をつけているようですが」
「要は、我が家の利益が気に食わないだけだろう。浅ましいことだ」
(これよ!)
私の耳が、ピクリと動いた。
魔導鉱石の販売権。
これが、今の両家の最大の懸案事項らしい。
(この商談、グリム家に譲ってしまえばいいのよ!)
そうすれば、ローゼンシュタイン家は莫大な利益を失い、お父様は面目を潰される。
そして、その原因が、愛娘である私の”うっかり”だったら……?
考えただけで、笑いがこみ上げてくるわ。
◇
その夜、私は再びお父様の書斎に忍び込んだ。
机の上には、王家へ提出する予定の、魔導鉱石の販売計画書が置かれている。
(これね!)
計画書には、鉱石の産出量や品質、予想される利益などが、びっしりと書き込まれていた。
難しい数字が並んでいるけれど、要は「うちの鉱石はこんなにすごくて、国にもこんだけ儲けさせますよ」というアピール文書だ。
(この数字を、めちゃくちゃにしてやればいいのよ!)
私はペンを手に取ると、子供の拙い文字で、計画書に追記を始めた。
産出量の数字の隣に、「でも、たまにしかとれないかも?」。
品質保証の欄に、「たまに、ただの石ころがまざってます!」。
予想利益の項目には、「ぜんぶウソだったら、ごめんなさい!」。
どうだ!
この計画書がいかに信用できないものか、一目瞭然でしょう!
こんなものを提出すれば、王家も呆れて、グリム家に販売権を与えてくれるに違いないわ!
完璧な妨害工作を終え、私は満足して自室に戻った。
◇
数日後。
王城から戻ってきたお父様とお兄様の顔は、なぜか晴れやかだった。
(あれ? おかしいわね……)
商談に敗れたはずなのに、落ち込んでいる様子がまるでない。
むしろ、何か大きな仕事を成し遂げたような、達成感に満ち溢れている。
「エリーゼ!」
私を見つけたお父様が、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「お前のおかげだ! グリム家を、完膚なきまでに叩き潰すことができたぞ!」
「……は?」
(え、なんで?)
私の頭は、真っ白になった。
叩き潰す? グリム家を?
お兄様が、興奮気味に解説してくれた。
「エリーゼ、お前が計画書に書いてくれた、あの”追記”が決め手になったんだ」
「我々は最初、あれが何なのか分からなかった。だが、提出直前に気づいたんだ。あれは、グリム家が仕掛けてくるであろう、”揺さぶり”への完璧なカウンターだったのだと!」
(……何ですって?)
「案の定、会議の場で、ヴィクトール卿はこう主張した。『ローゼンシュタインの報告は誇張だ! 産出量は不安定で、品質も保証できないはずだ!』とね」
「そこで父上が、お前の追記を見せたんだ。『我が娘ですら、この程度の懸念は予測しております』とな」
「さらに、『このリスクを差し引いても、我が家の計画は、グリム家のものを遥かに凌駕する』と続けた」
「結果、ヴィクトール卿の主張は、まるで子供のいちゃもんのように聞こえ、王家の方々の失笑を買うことになった」
「グリム家の信用は失墜し、販売権は、満場一致で我が家のものとなったよ」
(そん……な……)
私の書いた、ただの落書き。
それが、高度な情報戦を制する、神の一手になってしまったというの?
「エリーゼ、お前には”未来”が見えているのか?」
お父様が、畏敬の念のこもった瞳で、私を見つめている。
「敵の動きを完璧に読み、その裏をかく……お前は、恐るべき”戦略の女神”だ!」
新しい称号が、また一つ、増えた。
もはや、敵に塩を送ることすら、許されない。
私の悪役令嬢への道は、八方塞がりだった。