第7話「悪役令嬢、従者をいじめる」
美の女神。
もう、笑うしかなかった。
(わたくしの悪役計画、完全に詰んでるじゃない……)
領地を豊かにし、技術を発展させ、経済を回し、学問の扉を開き、果ては芸術に革命まで起こしてしまった。
やることなすこと全てが、私の意図とは真逆の結果を生む。
もはや、何をすれば嫌われるのか、皆目見当もつかない。
(大きなことをしようとするから、ダメなのかしら)
私の行動が、なぜか壮大なスケールで解釈されてしまうのが問題なのだ。
ならば、もっと個人的で、もっと些細で、もっと陰湿な悪事を働けばいい。
そうよ、”いじめ”よ!
悪役令嬢の基本中の基本じゃない!
これまでは、家族や使用人といった、私に絶対的な好意を向けてくる相手ばかりだったのが敗因だ。
次は、もっと対等な立場の、同年代の子供をターゲットにすればいい。
子供は、大人よりもずっと残酷で、正直だもの。
私の性根の悪さに、きっとすぐに気づいてくれるはず!
◇
「エリーゼ、お前に遊び相手を紹介しよう」
まるで私の心を見透かしたかのように、お父様が執務室に一人の少年を連れてきた。
「今日からお前の従者兼、遊び相手となる、フェリックス君だ」
私の前に立ったのは、私と同じくらいの歳の、真面目そうな顔立ちの少年だった。
緊張しているのか、その背筋はピンと伸びている。
燃えるような赤い髪と、強い意志を宿した翠の瞳が印象的だ。
「フェリックス・マーテルと申します! 本日より、エリーゼお嬢様にお仕えできること、光栄の至りにございます!」
ハキハキとした声で、彼は深々と頭を下げた。
騎士の家系の出身らしく、礼儀作法は完璧だ。
(……ふふふ、決めたわ)
ターゲット、発見。
この真面目そうな少年を、心身ともにいたぶり尽くし、泣いて逃げ出すように仕向けてやる!
そうすれば、「従者をいじめて追い出した性悪令嬢」という、輝かしい悪名が手に入るはずよ!
「よろしくてよ、フェリックス」
私は、女王様のように顎をしゃくって言った。
「せいぜい、わたくしを楽しませなさいな」
私の悪役令嬢計画、新章の幕開けである。
◇
「フェリックス! まずは、わたくしのために、あそこの川から一番”綺麗”な石を拾ってきなさい!」
早速、私はフェリックスに理不尽な命令を下した。
綺麗、なんていう曖昧な基準。
どんな石を持ってきても、「こんなものじゃないわ!」と突き返して、彼を困らせてやる算段だ。
「はっ! かしこまりました!」
フェリックスは、元気よく返事をすると、川に向かって駆け出していった。
(せいぜい、泥んこになって苦労するがいいわ)
しかし、しばらくして戻ってきたフェリックスは、泥だらけどころか、目をキラキラと輝かせていた。
「お嬢様! お持ちいたしました!」
彼が差し出したのは、ただの石ではなかった。
ずっしりと重く、鈍い黄金色に輝く、歪な塊。
(……これ、もしかして)
「川底で、ひときわ美しく輝いておりました! これこそ、お嬢様がお求めの”綺麗”な石かと!」
それは、どう見ても、天然の金塊だった。
しかも、子供の頭ほどの大きさがある。
「……で、でかしたわ、フェリックス」
「はっ! お褒めに預かり光栄です!」
私の理不尽な命令は、なぜかローゼンシュタイン家の財政をさらに潤す結果に終わってしまった。
◇
「フェリックス! あなた、剣の腕には自信があるのかしら?」
次の日、私は訓練場で木剣を振るうフェリックスに声をかけた。
「はい! 父より、マーテル家流剣術を叩き込まれております!」
「ふん、見せてごらんなさい」
フェリックスは、力強い太刀筋で素振りを披露する。
なるほど、なかなかの腕前だ。
(でも、悪役令嬢たるもの、これを認めちゃダメよね!)
私は、わざとらしく鼻で笑ってやった。
「なんですの、そのへっぴり腰は。そんな剣では、わたくしの髪の一筋も切れませんわよ」
「もっと、こう……腰を入れて、鋭く振るのよ!」
私は、前世で少しだけかじった剣道の知識を思い出しながら、見様見真似で木剣を構え、素振りを見せた。
完全に、素人のデタラメな動きだ。
騎士の家系の彼から見れば、笑いものだろう。
しかし。
「……なっ!」
フェリックスは、私の動きに目を見開き、息を呑んだ。
「な、なんと効率的な体の使い方……! 無駄が一切ない!」
「最小限の動きで、最大限の威力を引き出す……これが、真の剣術!」
(え、そうなの?)
「お嬢様! 恐れながら、今の御剣技、もう一度拝見させていただけますでしょうか!?」
「こ、こうかしら?」
「素晴らしい! まさに神速! このフェリックス、生涯をかけて、お嬢様の剣を極めてみせまする!」
私のデタラメな剣道もどきは、なぜかこの世界では革新的な剣術として解釈され、フェリックスは私の最初の弟子(剣術の)になってしまった。
◇
「お嬢様、危ない!」
ある日の午後、庭を散歩していると、フェリックスが突然、私を突き飛ばした。
ドッシャーン!
直後、すぐそばの地面に、植木鉢が落下して粉々に砕け散った。
どうやら、窓辺に置いてあったものが、風で落ちたらしい。
(……今のは、チャンスだったんじゃない?)
私が彼を突き飛ばして、危険から救う。
そうすれば、恩を売れる……じゃなくて!
私が彼を突き飛ばして、怪我をさせる。
そうすれば、私の非道さが際立ったはず!
「フェリックス! よくもわたくしを突き飛ばしたわね!」
私は、ここぞとばかりに彼を睨みつけた。
「申し訳ございません! ですが、お嬢様にお怪我がなくて、何より……」
「うるさい! あなたのせいで、ドレスが汚れてしまったじゃない!」
「罰として、あなたには今日一日、食事抜きを命じますわ!」
どうだ!
命の恩人に対して、この仕打ち!
これぞ外道! これぞ悪役令嬢!
しかし、フェリックスは私の言葉に、ハッと目を見開くと、その場に跪いた。
「……お嬢様。ありがとうございます」
「は?」
「今の私は、お嬢様をお守りできたという安堵感で、完全に油断しておりました」
「そんな私を、お嬢様は”罰”という形で、戒めてくださったのですね!」
「このフェリックス、お嬢様の深いお考えに、感服いたしました! このご恩は、一生忘れません!」
(……もう、ダメだ、この子)
私のいじめは、一つも彼には届いていなかった。
それどころか、彼の忠誠心は、日に日に狂信的なレベルにまで高まっている。
「エリーゼは、もう自分の騎士団を作り始めたようだな」
遠くからその様子を見ていたお父様が、満足そうに頷いているのが見えた。
私の悪役令嬢への道は、忠実な騎士(と思い込んでいる少年)を一人、増やすだけに終わったのだった。