第58話「ヒーロー、覚醒す」
「―――全て、お話しいたします。この世界の”本当の姿”を」
私のその静かな言葉に、クラウス様は、ごくりと息を呑んだ。
彼の掴んでいた私の肩から、力が抜ける。
指揮所の片隅に設けられた小さな個室。
蝋燭の頼りない光だけが、三人の顔を揺らめかせている。
外の喧騒が、嘘のように遠く聞こえた。
私は一度、深く息を吸み覚悟を決める。
これは、とてつもない賭けだ。
もし彼が、私たちの言葉を信じなければ、全てが終わる。
私たちは、ただの狂人として捕らえられるかもしれない。
でも。
彼の、あの真実を求める瞳を、信じるしかなかった。
「……この世界は、”物語”なのですわ」
私は静かに語り始めた。
「誰かが作ったお話。そして、私たちは、その中で決められた”役”を演じさせられているだけの”登場人物”に過ぎません」
「……馬鹿な」
クラウス様が、低い声で呻いた。
「何を言って……」
「では、お尋ねしますわ、クラウス様」
私は、彼の言葉を遮った。
「あなたは、”ヒーロー”でしょう?」
「……なに?」
「正義感が強く完璧主義で、いずれ”ヒロイン”であるリリアーナ様と恋に落ちる、この物語の中心人物」
「そして、わたくしは”悪役令嬢”。ヒロインをいじめ、ヒーローに断罪される、ただそれだけのために存在する役」
「その”脚本”が、あなたにもわたくしにも与えられているのですわ」
「……貴様、私を惑わそうとしているのか!」
クラウス様の声が荒らげられる。
「そんな戯言、信じられると思うか!」
「信じられないでしょうね」
静かに口を開いたのは、それまで黙っていたノエルだった。
「でも、君はもう見てしまったはずだ。この世界の”綻び”を」
「……っ!」
ノエルの言葉に、クラウス様が息を呑む。
「君が見た、あの村。あれは”バグ”だよ」
「”脚本”から外れたイレギュラーな出来事が起きすぎたせいで、世界の一部が正常に機能しなくなったんだ」
「君が見たのは、この世界が作り物であるという何よりの証拠だ」
ノエルの淡々とした、しかし有無を言わせぬ言葉。
それは、クラウス様の最後の理性を打ち砕くには十分すぎた。
彼はよろめき、壁に手をついた。
その完璧な顔が、信じられないというように絶望に歪んでいる。
「……では、なんだというのだ」
彼の震える声が、静寂に響く。
「あの疫病も……今、起ころうとしている戦争も……全て、”物語”を盛り上げるための筋書きだというのか……? 人々の苦しみも死も、全てが誰かの書いた茶番だと……?」
「……そういうことですわ」
その、あまりにも残酷な真実。
クラウス様の青い瞳から光が消えた。
彼が生涯を懸けて守ろうとしてきた”正義”。
彼が信じてきた”世界”。
その全てが、今、目の前で音を立てて崩れ落ちていく。
数秒間の沈黙。
やがて彼は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや絶望の色はない。
そこにあるのは、静かで冷たい、燃えるような怒りの炎だった。
「……許せない」
地の底から響くような低い声だった。
「人の命を、意志を、尊厳を弄ぶ者がいるというのなら。そいつこそが、私が本当に断罪すべき”悪”だ」
(……勝った)
私は心の中で、小さくガッツポーズをした。
そうだ。
この人なら、そう言うと信じていた。
彼がどんなに脚本に縛られていようとも、その魂の根幹にある”正義”は本物なのだ。
クラウス様は私とノエルに向き直ると、その場で深々と頭を下げた。
「……すまなかった。私は君を誤解していた。そして、どうか教えてほしい。この狂った世界と戦うために、私に何ができる?」
ヒーローが覚醒した。
”脚本”に与えられた偽りの役割を捨て、自らの意志で戦うことを決意した瞬間だった。
「……顔を上げてくださいまし、クラウス様」
私は静かに言った。
「あなたには、やってもらわなければならないことがございますわ」
私とノエルは顔を見合わせた。
そして、私たちの最初の”反逆”計画を彼に語り始めた。
ジークフリート王国の腐敗した将軍と武器商人の繋がりを暴き、情報戦でこの戦争を未然に防ぐという壮大な計画を。
「……なるほど」
全てを聞き終えたクラウス様は、静かに頷いた。
「面白い。実に面白い策だ。私に任せてほしい。ジークフリート王国の穏健派の宰相とは旧知の仲だ。私が直接連絡を取れば、話は早い」
なんと心強い仲間だろうか。
彼が味方になってくれたことで、私たちの作戦の成功率は飛躍的に上がった。
悪役令嬢と謎の少年、そして覚醒したヒーロー。
奇妙で歪な、しかし誰よりも固い絆で結ばれた三人のチームが、今、この瞬間に誕生した。
私たちの本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
しかし、もう何も怖くはなかった。
私たちは、もう一人ではないのだから。




