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第57話「ヒーロー、真実を求める」

 馬上のクラウス・フォン・シュミットは、まるで亡霊に追われているかのようだった。

 彼の脳裏には、あの忌まわしい光景が焼き付いて離れない。


 籠からこぼれ落ちる、真っ赤なリンゴ。

 わっと泣き出す少女。

 退屈そうに欠伸をする衛兵。

 寸分違わず繰り返される、壊れた人形劇。


(……なんだ、あれは)


 彼の完璧な世界が、音を立てて崩れていく。

 自分が信じてきたこの世界の法則が、根底から覆されていくような、底知れない恐怖。

 そして、その狂いの中心にいるのは、間違いなくあの少女だ。


 エリーゼ・フォン・ローゼンシュタイン。

 聖女か、悪女か。

 そのどちらでもない、何か。

 この世界の法則から逸脱した、唯一の存在。


(……彼女に会わなければ)


 真実を知らなければならない。

 たとえそれが、どれほど残酷なものであっても。

 クラウスは馬の腹を、強く蹴った。


 目的地は一つ。

 ローゼンシュタイン家の前線指揮所。

 あの少女がいる場所へ。



 その頃、指揮所では、疫病の好転の報せに、誰もが安堵の息をついていた。

 しかし、それも束の間。

 ジークフリート王国との開戦の危機という、新たな暗雲が、重く垂れ込めていた。


「……それで、エリーゼ」

 お父様が、不安そうな顔で私に尋ねる。

「その『戦わずして勝つ』という策は、本当にあるのだな?」


(ありません!)


 とはもちろん、言えるはずもなく。

 私はただ、こくりと意味ありげに頷いてみせた。

 その時だった。


「クラウス様がお見えになりました!」


 騎士の報告とほぼ同時に、指揮所の入り口の幕が乱暴に開け放たれた。

 そこに立っていたのは、泥だらけの軍服のまま息を切らした、クラウス様だった。

 そのただならぬ雰囲気に、指揮所の空気が一瞬で凍りつく。


「クラウス卿! いったいどうしたというのだ!」

 お父様が驚いて立ち上がる。


 しかしクラウス様は、公爵であるお父様に一瞥もくれることなく、まっすぐに私だけを見つめていた。

 そのアイスブルーの瞳は、これまでに見たこともないほど真剣で、そしてどこか怯えているようにすら見えた。


「……エリーゼ嬢」

 彼は言った。

「少し、二人きりで話をさせていただきたい」


「なっ……! 無礼であろう!」

 お父様が声を荒らげるが、クラウス様は引かなかった。


「緊急の用件です。お願いします、デューク」


 そのあまりの気迫に、お父様は言葉を失ったようだった。

 私は、隣にいるノエルの顔を、ちらりと見た。

ノエルは静かに、私にだけ分かるように、小さく頷いた。


「……分かりましたわ」

 私は静かに立ち上がった。

「こちらへどうぞ」



 指揮所の片隅に設けられた、小さな個室。

 そこには、私とクラウス様、そして私の”侍童見習い”として影のように控えるノエルの、三人だけがいた。

 重い沈黙。

 それを破ったのは、クラウス様だった。

 彼は、まるで告解でもするかのように、ぽつりぽつりと語り始めた。


「……道中、奇妙な村を見た」

「……奇妙な村?」


「ああ。そこでは、時間が狂っていた。いや、時間だけではない。そこにいる人間も、起きる出来事も、全てが……」

 彼はそこで一度言葉を切ると、苦しげに顔を歪めた。

「……全てが、寸分違わず、”繰り返されて”いた」


(…………っ!)


 私の心臓が、大きく跳ねた。

 繰り返される時間?

 まさか、この人……。


「籠からこぼれるリンゴ。少女の泣き声。衛兵の欠伸。数時間経った後も、全く同じ光景が目の前で繰り広げられた。まるで壊れた人形劇のように……あれは現実ではなかった。何かの幻術か、あるいはもっと恐ろしい何かだ」


 そうだ。

 間違いない。

 彼は見てしまったのだ。

 この世界の”バグ”を。

 ”管理者”が作り出した、偽りの世界の綻びを。


 クラウス様は、震える声で続けた。

 その瞳は、もはや私を試すような色ではなかった。

 ただ必死に答えを求める、迷子の子供のような色をしていた。


「……この世界の何かがおかしい。そして、その狂いの中心に君がいると、私の魂が叫んでいる。君は、ただの子供ではない。聖女でも悪女でもない。もっと別の何かだ」


 彼は私の両肩を掴んだ。

 その手は強く、そしてわずかに震えていた。


「頼む、教えてくれ。君は一体、何者なんだ? そして、この狂った世界の真実を、どこまで知っている?」


 ヒーローが”脚本”に疑問を抱き始めた。

 いや、違う。

 彼はもう、気づいているのだ。

 自分が立つ、この”舞台”そのものが偽りであるという可能性に。


 私とノエルは、顔を見合わせた。

 彼の、あまりにもまっすぐな瞳。

 そこに嘘はなかった。

 あるのは、ただ純粋な真実への渇望だけ。


(……信じていいの?)


 この物語の”ヒーロー”を。

 私たちの”協力者”として引き入れても、いいのだろうか。

 それは、あまりにも危険な賭け。

 しかし。


「……彼も気づき始めたみたいだね」

 ノエルが静かに呟いた。

「真実を知る覚悟ができた者にだけ、道は開かれる」


 その言葉に、私は覚悟を決めた。

 そうだ。

 私たちは仲間が必要なのだ。

 この巨大な”物語”と戦うための、仲間が。


「……分かりましたわ」

 私はゆっくりと口を開いた。

「全てお話しいたします。この世界の”本当の姿”を」


 ヒーローが目覚めようとしている。

 それは、”管理者”にとって最大の誤算。

 そして、私たちにとって新たな希望の始まりだった。

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