第55話「女神の神算鬼謀」
「―――その戦、わたくしが止めますわ」
しん、と。
私のその一言で、熱気に満ちていた前線指揮所は、まるで時間が止まってしまったかのように、静まり返った。
誰もが、信じられないというように、私を見ている。
五歳の幼女が、三万の軍勢を止める?
それは、もはや、戯言ですらない。
狂気の沙汰だ。
(……あ)
しまった、と思った時には、もう遅かった。
”管理者”への怒りに任せて、つい心の声がそのまま口から滑り出てしまった。
どうしよう、これ!
なんて言い訳すればいいのよ!
「エ、エリーゼ!?」
最初に我に返ったのは、お父様だった。
その顔は、もはや真っ青を通り越して、真っ白だ。
「お前、何を言っているのだ! 戦は遊びではないのだぞ!」
「分かっていますわ、そんなこと!」
私は、必死で脳を回転させた。
どうする、どう切り抜ける!?
ここで「冗談ですわ」なんて言ったら、せっかく積み上げてきた(くもなかったけれど)、”女神のご神託”の威厳が失墜してしまう。
かといって、本当に戦場に行かされるなんて、まっぴらごめんだった。
そうだわ!
こういう時は、あれよ!
前世で何度も見た、偉い人たちの得意技!
具体的で意味のありそうな、しかしよく聞くと何も言っていない、あの言い回し!
「……お父様」
私は、わざと深く深く、ため息をついてみせた。
「武力で武力に対抗するのは、愚者のすることですわ」
「……なに?」
「戦わずして勝つ。それこそが真の勝利ではありませんこと?」
「敵の刃を交える前に、その戦意をくじく。わたくしには、その”策”がございます、と申しているのです」
どうだ!
この、いかにも天才軍師が言いそうな台詞!
もちろん、具体的な策など何一つないけれど!
しん、と。
指揮所が再び静まり返る。
誰もが、ぽかんと口を開けて、私を見ている。
そして、数秒後。
「…………おお!」
最初に沈黙を破ったのは、お父様だった。
その顔には、もはや心配の色はない。
あるのは、娘の天才的な神算鬼謀に、心の底から感服したという、尊敬の念だった。
「なるほど……! なるほど、エリーゼ! そういうことか!」
「戦わずして勝つ……! 敵の戦意をくじく、だと!?」
「父さんは、ただ軍を動かすことしか考えていなかったというのに、お前はすでにその先の外交戦、心理戦まで見据えていたというのか!」
「なんと恐ろしい子……! まさに女神の神算鬼謀よ!」
(だから、違いますってば!)
私の、ただのハッタリは、この超絶ポジティブ親子によって、「敵の裏をかく天才的な知略」へと、見事に変換されてしまった。
私は、ただこくりと意味ありげに頷いておいた。
その仕草が、またお父様の勘違いを加速させているとも知らずに。
◇
その夜。
屋敷に戻った私は、すぐにノエルを自室に呼びつけた。
もちろん、「侍童見習いとしての夜のお勉強」という、完璧な名目の下で。
「……それで?」
部屋に入ってくるなり、ノエルが呆れたように言った。
「本当に何か策があるのかい? 『戦わずして勝つ』、ご立派な軍師様?」
「うるさいですわね!」
私は、顔を真っ赤にしながら言い返した。
「あるわけないでしょう、そんなもの! あれは、ただのハッタリですわ!」
「だろうね」
ノエルは肩をすくめた。
「それで、どうするんだい? 本当に戦争が始まってしまうよ」
「……分かっていますわ」
私は、ごくりと喉を鳴らした。
ここからが本番だ。
私の唯一の武器。
前世の”ゲーム知識”を使う時。
「……ノエル。ゲームの中で、この戦争イベントはどうやって始まったのか、覚えてる?」
「……確か、ジークフリート王国内のタカ派の将軍が、独断で軍を動かしたんだったかな」
「そう! そして、その将軍は、裏で武器商人から賄賂を受け取っていた!」
「ゲームでは、ヒーローとヒロインが、その不正の証拠を掴んで、ジークフリート王国の穏健派の宰相に密告することで、戦争が回避されるという流れだったわ!」
そうだ。
つまり、敵はジークフリート王国そのものではない。
国を私物化しようとする一部の腐敗した軍人たち。
ならば、私たちのやるべきことは、一つ。
「……なるほどね」
ノエルは、すぐに私の意図を理解したようだった。
「ヒーローたちがやるはずだった”不正の暴露”を、僕たちが先にやってしまう、と」
「ええ!」
私は力強く頷いた。
「アルフレッド君の魔導通信機を使えば、できるはずよ! 遠く離れたジークフリート王国の宰相に、直接情報を送る!」
「タカ派の将軍と武器商人の密会の証拠を掴んで、それを送りつければ……!」
「……面白い」
ノエルの黒い瞳が、キラリと輝いた。
「いいじゃないか、その作戦。僕たちの”反逆”に相応しい」
そうだ。
”管理者”は”戦争”という悲劇のシナリオを用意した。
しかし、私たちはその舞台の上でチャンバラを演じるつもりなど毛頭ない。
私たちは、その舞台の裏側、脚本そのものに干渉する。
情報戦。
それこそが、私たちの戦い方。
「決まりね」
私とノエルは、顔を見合わせた。
その瞳には、同じ色の炎が宿っていた。
私の悪役令嬢計画は、もはや跡形もなくなった。
その代わりに、私は今、この世界の運命そのものを左右する、とてつもない戦争の指揮を執ろうとしている。
それも、たった一人の協力者と、二人きりで。
(……悪役令嬢として破滅するはずだったのに)
(どうして、わたくし、隣国との国際問題に首を突っ込んでるのかしら……?)
どこでどう間違えてしまったのか。
もはや考えるのも億劫だった。
ただ一つ、確かなことは。
私の”物語”は、もう誰にも止められない、ということだけだった。




