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第52話「聖女様、陣頭指揮を執る」

(……なんでわたくしがこんな所に)


 私は目の前の地獄のような光景をただ呆然と見つめていた。

 ここはミラの村の入り口に急遽設営された前線指揮所。

 ひっきりなしに伝令の騎士たちがぬかるんだ地面を駆け抜けては状況を報告し、医師たちが血相を変えて薬草をすり潰す音と匂いが立ち込めている。


 テントの奥からは病に苦しむ人々のうめき声と、時折聞こえてくる家族の絶望の泣き声。

 その全ての喧騒と混乱の中心に。

 私、エリーゼ・フォン・ローゼンシュタイン五歳はいた。

 お父様がどこからか持ってきたやけに豪華な天蓋付きの椅子に、ちょこんと座らされて。

 まるで戦場の真ん中にぽつんと置かれた、お姫様の玉座のようだった。

 あまりにも場違いで滑稽な光景。


「エリーゼ様! 村の西側、完全に封鎖完了いたしました!」

「エリーゼ様! 飲み水の配給、開始しております! 領民たち多少の混乱はありましたが、聖女様のご命令と聞き皆従っております!」

「エリーゼ様! 隔離施設の準備が整いました! これより患者の移送を開始します!」


 次から次へと私に向けられる報告。

 その度に周りの大人たちが私に問いかける。

「して聖女様。次のご神託は?」と。

 その瞳にはもはや疑いの色はない。

 ただ絶対的な奇跡への期待だけが、狂信的な光となって宿っていた。


(……ご神託なんてありません! わたくしはただの元会社員です!)


 私の心の悲鳴はもちろん誰にも届かない。

 私のただの衛生知識はもはやこの領地を救うための、「女神のご神託」として絶対的なものとなってしまったのだ。

 断ることも逃げることも許されない。

 私はこの地獄の指揮官に祭り上げられてしまったのだから。


「……エリーゼ」

 私の隣に控えていたノエルが小さな声で囁いた。

 彼は私の”侍童見習い”という名目でごく自然に私の隣にいることが許されていた。

「……君の指示は今のところ的確だ。感染の拡大はこれである程度防げるはず。でもそれだけじゃ足りないかもしれない」


「分かっていますわ」

 私も小さな声で返す。

「この世界の”病”は前世のそれとは少し違うはず。何か”魔法的”な要因が絡んでいる可能性も……」


「……おそらくね。シナリオが強制的に人を殺すために用意した病だ。一筋縄ではいかないはずだ」


 その時だった。

 一人の年老いた医師が私の前に進み出た。

 彼はこの領地で一番の名医と呼ばれているマルクス医師だ。


「……聖女様。僭越ながら申し上げます」

 彼は震える声で、しかしその瞳には専門家としての矜持と疑念の色を浮かべて言った。

「水を沸かす? 病人をただ隔離する? そのようなことで本当にこの病が治まるとは到底思えませぬ!」

「我々は古来より伝わる薬草の調合と治癒魔法こそが最善の道と信じております! どうか我々に治療をお任せいただきたい! 子供の戯言に付き合っている時間はないのです!」


(……出たわね。現場の反発)


 前世の会社員時代に何度も経験した光景だった。

 新しいやり方を導入しようとすると必ず現れる、古いやり方に固執する人々。

 気持ちは分かる。

 分かるけれど今はそんなことを言っている場合ではないのだ。


 私がどう言い返そうか迷ったその時だった。

 私の前にすっとお父様が立ちはだかった。

 その背中はまるで城壁のように大きくそして頼もしかった。


「……黙れ」

 地の底から響くような低い声だった。

 その一言で指揮所の喧騒がぴたりと止んだ。

「マルクス医師。貴殿はエリーゼ様のご神託を疑うというか?」


「ひっ……! い、いえ、しかし科学的な根拠が……!」


「科学だと? このエリーゼがこれまでどれほどの奇跡を起こしてきたか、知らぬわけではあるまい!」

「農業を改革し技術を革新し経済を潤した! その全てがこの子の”神の知恵”によるものだ!」

「貴殿の凝り固まった古い知識と我が娘のご神託、どちらを信じるべきか火を見るより明らかであろう!」


(お父様やめてええええええええっ!)

(ハードルを! これ以上上げるのは本当にやめてくださいまし!)


 お父様のあまりの剣幕に老医師は真っ青になって、その場にへたり込んでしまった。

 周りの騎士たちも医師たちも改めて私に畏敬の念を込めた視線を向けてくる。

 もう後戻りはできなかった。



「……エリーゼ様!」

 その時また伝令の騎士が駆け込んできた。

 その顔は絶望に染まっていた。

「も、申し上げます! 隔離施設で新たな症状が!」

「病人の体から黒い痣のようなものが浮かび上がり、魔力が急速に失われていくとのことです! 治癒魔法が全く効きません!」


「……なんですって!?」


 黒い痣?

 魔力が失われる?

 そんな症状ゲームにはなかった。

 シナリオが変わった影響?

 それともこれがこの世界の”病”の本当の姿?


(……まずいわ。これじゃあただの衛生管理だけじゃダメだ)


 これはただの伝染病ではない。

 人の生命力そのものである魔力を直接蝕む、呪いのような病だ。

 私の前世の知識だけではもはや対応できない。


 どうする。

 どうすればいい。

 私の頭脳が高速で回転する。

 衛生管理とそして魔力を回復させる何か。

 その二つを組み合わせなければ。

(……待って。確かゲームでは……)

 私の脳裏に前世の記憶が蘇る。

(……そうだわ! ”聖なる涙石”! ヒロインが持っていた、あのご都合主義的なアーティファクト! あれを井戸に投げ入れたら全て解決したんだったわ!)

(……でも、そんなもの今ここにあるわけないじゃないの! あれはあくまで、ゲームのアイテム! シナリオ通りにヒロインが現れるのを待てというの!?)


 現実に人が死んでいるのだ。

 ご都合主義的なアイテムの登場を待っている暇などない。

 何か別の方法を考えなければ。

 この世界の理に合った方法を。


 その時だった。

 私の脳裏に一つの光景が浮かんだ。

 それはリリアーナ様がいつも大切そうに持ち歩いているあの薬草の本。

 そして彼女が私に差し出してくれた手作りのハーブクッキー。


(……あれは)


 そうだわ。

 あのハーブ。

 確かリリアーナ様の故郷にしか自生しない特別な薬草。

 ゲームの中ではただの回復アイテムだったけれど、その説明文にこう書かれていたのを思い出した。


『微量ながら魔力を活性化させる効果を持つ』


 これだ。

 これしかない。


「……お父様!」

 私は椅子から飛び降りて叫んだ。

「リリアーナ様ですわ! 彼女が必要なのです! お父様、急いで彼女を、ここにお呼びくださいまし!」

「そして! 領内の全てのパン屋と菓子屋に伝令を!」

「これからわたくしが指定する”薬草”を入れたクッキーを、大量に焼くのです!」


「……く、クッキーだと……?」


 お父様も周りの大人たちもただ呆然と私を見ている。

 疫病の蔓延するこの地獄の中でなぜクッキー?

 誰もがそう思っただろう。


 しかし私の頭の中にはすでに勝利への道筋が見えていた。

 衛生管理で感染経路を断ち。

 そして魔力を活性化させる薬草入りのクッキーを栄養補給として全ての領民に配る。

 体力と魔力を回復させ、病への抵抗力を高めるのだ。


 それは前世の科学知識とこの世界の魔法の理を融合させた、私だけの”答え”。


「……急いで!」


 私のその必死の叫びにお父様ははっと我に返ると、力強く頷いた。


「……分かった! 全てエリーゼの言う通りにしろ!」

「女神様の新たなご神託だ! 聞いたなお前たち! 全力でクッキーを作るのだ!」


 ”シナリオ”が望んだ悲劇。

 それに対する私の答えは”聖なる涙石”なんかじゃない。

 領民みんなで食べる温かくて甘いクッキー。

 それこそが私の”反逆”の狼煙だった。

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