第51話「シナリオの反撃」
あの日ノエルと秘密の同盟を結んでから、数日が過ぎた。
私の日常は表向きは何も変わらなかったけれど、その内側は劇的に変化していた。
私の孤独な戦いは終わりを告げたのだ。
今は隣に協力者がいる。
その事実が私の心をどれほど軽くしたことか。
「……それでこの”月光の女王”だけど」
「ああ。君と同じ銀の髪と青い瞳を持つという、伝説の女王だね」
昼下がりの私の部屋。
大きな窓から差し込む柔らかな日差しが、床の絨毯に温かい光の模様を描いている。
表向きは「聖女様が見出した天才孤児への英才教育」という名目の下、私とノエルは机を挟んで向かい合っていた。
もちろんやっていることは世界の謎の解明だ。
私たちはまるで共謀者のように顔を寄せ合い、小さな声で議論を交わす。
それは前世で経験したどんな仕事よりもスリリングで、そして面白い作業だった。
悪役令嬢として破滅するという目標すら、忘れそうになるくらいに。
「この女王の伝説、”空白の百年”以降の書物には一切記述がないんだ」
「まるで存在そのものを歴史から消されたみたいにね」
「ああ。おそらくこの女王こそが”管理者”が隠したい歴史の中心人物なんじゃないかな。彼女の存在そのものが今の世界の”脚本”と矛盾するのかもしれない」
そんな穏やかな時間がいつまでも続くかのように思えた。
しかしこの世界の”管理者”は私たちのそんなささやかな反逆を、許してはくれなかったらしい。
ばたばたばたっ!
突然部屋の外の廊下から、複数の人間が慌ただしく走り回る音が聞こえてきた。
穏やかな午後の屋敷にはあまりにも不釣り合いなその騒がしさに、私とノエルは顔を見合わせた。
「……何かしら?」
「……ただごとじゃないみたいだね」
私たちがドアに耳を澄ませたその時だった。
遠くから騎士団長の切羽詰まった叫び声が聞こえてきたのだ。
「公爵閣下は! 閣下はどちらにおられるか!」
(……お父様を探している?)
私とノエルは頷き合うと、音もなく部屋の扉を少しだけ開けた。
廊下を覗き込むと鎧を鳴らし息を切らした騎士団長が、お父様の執務室の方角へと走っていくのが見えた。
そのいつもは厳格な顔は幽鬼のように真っ青だ。
「……行きましょう」
「ああ」
私たちは後を追うようにこっそりと部屋を抜け出した。
執務室の扉は乱暴に開け放たれている。
中からは緊迫した空気が漏れ出てきていた。
「こ、公爵閣下! 大変です!」
私たちが部屋の入り口から中の様子を伺うと、そこには血相を変えた騎士団長と報告を受け厳しい顔で立ち上がったお父様の姿があった。
「騒がしいぞ! 何事だ!」
「領内の西にあるミラの村で原因不明の熱病が発生!」
「すでに村人の三分の一が高熱で倒れ死者も出ております! 助けを求める村人たちが関所へと殺到しパニック状態に!」
「なっ……!?」
お父様の顔から血の気が引いていく。
原因不明の熱病?
死者?
(……え?)
私の脳裏に前世の記憶がフラッシュバックする。
乙女ゲーム『煌めきのソネット』。
その物語の中に確かにあった。
ヒロインがその聖なる力で領地を襲った謎の疫病を鎮めるというサイドイベントが。
ヒロインの慈悲深さをプレイヤーに印象付けるためのご都合主義的なイベント。
しかしそれは物語のもっと中盤で発生するはずのイベント。
なぜ今このタイミングで……?
「……エリーゼ」
私の隣でノエルが静かに呟いた。
その声は氷のように冷たかった。
「……始まったね」
「え?」
「”シナリオの反撃”だ」
(……シナリオの反撃!?)
そうだ。
私たちがシナリオから外れた行動を取ったから。
”管理者”が物語を強制的に元のレールに戻そうとしているのだ。
この疫病はそのための強制イベント。
このままでは多くの人が死ぬ。
そして本来のシナリオ通りならやがて現れるヒロイン、リリアーナ様によってこの悲劇は解決されるのだろう。
彼女の”聖女”としての名声を高めるための舞台装置として。
(……なんてこと)
ぞくりと背筋を悪寒が走り抜けた。
私たちの命も領民の命も全ては”物語”を盛り上げるためのただの駒。
そのあまりにも冷徹な事実に私は吐き気を覚えた。
許せない。
断じて許せるはずがない。
「……すぐに医師団を派遣しろ! 街を封鎖しこれ以上の感染拡大を防ぐのだ!」
お父様が的確な指示を飛ばしている。
しかし私は知っている。
それではダメなのだ。
この疫病の本当の正体を。
(……あれは確か汚染された水が原因の伝染病)
前世の知識が頭の中で警鐘を鳴らす。
ゲームの中ではただのイベントだった。
しかし今目の前で現実に人が苦しみ死んでいるのだ。
(……どうするわたくし)
このまま黙っていればシナリオ通り多くの人が死ぬ。
それはローゼンシュタイン家の失態。
私の評判も落ちるかもしれない。
悪役令嬢としては最高の展開。
でも。
(……そんなことできるわけないじゃないの!)
私はぎゅっと拳を握りしめた。
もう以前の私ではない。
私には戦う理由ができたのだ。
この不条理な”物語”と。
人の命を駒のように扱う”管理者”と。
「……お父様!」
私は部屋へと駆け込んだ。
「その病、わたくしに心当たりがございますわ!」
「な、なんだとエリーゼ!?」
私は必死で前世の知識を思い出しながら叫んだ。
その声は五歳の幼女のものとは思えないほど力強くそして必死だった。
「その病にかかった者を全員隔離なさい! 健康な者と決して接触させてはいけません!」
「そして! 領内の全ての井戸を一度使用禁止に! 飲み水は必ず一度沸騰させたお湯を使うようにお触れを出すのです!」
しんと。
その場にいた全員が私を見て固まった。
隔離?
沸騰?
この世界にはまだ”衛生”という概念すら浸透していない。
私の言葉は彼らにとってまるで異世界の呪文のように聞こえただろう。
しかしお父様は違った。
彼は数秒間呆然と私を見つめた後、その目に確かな光を宿した。
それはもはやただの親バカの目ではない。
絶対的な奇跡を信じる信者の目だった。
「……またか」
彼は呟いた。
「また女神様のご神託が下ったか……!」
(違います!)
「全軍に告ぐ!」
お父様の力強い声が響き渡る。
「ただ今よりこの疫病対策の全指揮権は我が娘、エリーゼ・フォン・ローゼンシュタインが執る!」
「エリーゼの”ご神託”を一言一句違えず実行せよ! これは絶対の命令である!」
(だから違うんですってばあああああああっ!)
私の心の悲鳴も虚しくローゼンシュタイン家は一斉に動き出した。
私のただの衛生知識がまたしても「女神のご神託」として、領地を救うための絶対的な命令となってしまったのだ。
部屋の入り口でその一部始終を見ていたノエルが静かに私に近づいてきた。
そして彼にだけ聞こえるように小さな声で囁いた。
その声には初めて確かな戦友への信頼の色が滲んでいた。
「……僕たちの最初の反撃だね」
その言葉に私はこくりと頷いた。
そうだ。
これはただ人を救うだけの行為ではない。
”管理者”が望んだ悲劇のシナリオに対する私たちの明確な”反逆”なのだ。
私の悪役令嬢計画は、もはや跡形もなくなった。
その代わりに私はこの世界の運命そのものと戦うという、とてつもなく厄介で、そして少しだけ胸の躍る新たな役割を手に入れてしまったのだった。




