第5話「悪役令嬢、教育を施す」
聖女だの、女神だの。
私の意図とは裏腹に、輝かしい称号ばかりが増えていく。
もはや、領地内で私の悪評を立てようとする者など、一人もいなくなってしまった。
(このままじゃ、本当に歴史に名を残す偉人になってしまうわ……!)
それは、断罪からの国外追放という、私のささやかな目標とはあまりにもかけ離れている。
なんとかして、この流れを断ち切らなければ。
(そうだわ! 今までの失敗は、結果的に”人のため”になってしまったのが原因よ)
農業も、技術も、経済も、すべて領民の生活を豊かにしてしまった。
ならば、次は誰の役にも立たない、むしろ害になるようなことをすればいい。
(……教育よ!)
悪役令嬢たるもの、愚かでなければならない。
そして、その愚かさを、周囲にも伝染させてやるのだ!
間違った知識を植え付け、人々を堕落させる。
これぞ、知的な悪役の所業ではないかしら!
(手始めに、わたくし自身が、愚かな生徒になってやるわ!)
まずは、家庭教師を要求し、その授業をめちゃくちゃにしてやろう。
奇声を発したり、質問攻めにして困らせたり、わざと頓珍漢な答えを言ったり……。
そうすれば、私の頭の悪さと性格の悪さが、一度に広まるはずだ。
◇
「お父様! わたくし、勉強がしたいですわ!」
執務室のドアを勢いよく開け放ち、私は高らかに宣言した。
案の定、お父様はペンを取り落とし、目を丸くしている。
「なんですの、その顔は。わたくしだって、勉強くらいしますわよ」
「ただし!」
私はビシッと指を突きつける。
「そこいらの凡庸な教師では、わたくしの知的好奇心は満たせません!」
「この国で一番、変わり者で、教えるのが下手な教師を連れてきなさい!」
どうだ!
最高の教師ではなく、最低の教師を要求する、このわがままっぷり!
普通の子供なら、優しくて物分りの良い先生を望むはず。
私の歪んだ性格が、よく表れていると思わない?
しかし、お父様は私の言葉に、またしても感涙にむせび始めた。
(もう、いい加減にしてほしいわ、この反応)
「おお、エリーゼ! なんという向上心だ!」
「普通の学問では飽き足らず、異端と呼ばれるほどの知識を求めるとは!」
「お前の探究心は、天井知らずだな!」
(だから、そうじゃないのよ……)
「わかった! お前のその気高い志、この父が必ずや叶えてみせよう!」
「国中を探し回り、お前の知性を刺激するに足る、最高の”変人”を見つけ出してやるぞ!」
お父様は、なぜか私の要求を「高尚な知的好奇心の表れ」と解釈し、やる気に満ち溢れている。
私の悪役計画は、またしても出鼻をくじかれた。
◇
数日後。
私の元へ、一人の家庭教師がやってきた。
「……アルフレッドと申します。本日より、お嬢様の教育係を拝命いたしました」
現れたのは、ボサボサの髪に、度の強そうな眼鏡をかけた、ひょろりとした青年だった。
服装はヨレヨレで、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
いかにも、研究室に引きこもっていました、という感じの人物だ。
(ふふん、お父様、なかなか良い人選じゃない)
見るからに気弱そうで、いじめ甲斐がありそうだわ。
よし、早速、授業を妨害して精神的に追い詰めてやる!
「では、お嬢様。本日はまず、簡単な算術から……」
アルフレッドが教科書を開こうとした、その時だった。
「待ちなさい」
私は、彼の手を制した。
「そんな、子供だましのような学問に、興味はありませんわ」
「それよりも、あなたに一つ、質問があるの」
私は、前世で聞きかじった経済学の知識を、子供の素朴な疑問に見せかけてぶつけてみることにした。
「ねえ、アルフレッド。パンの値段って、どうして毎日変わるのかしら?」
「豊作の年は安くなって、不作の年は高くなるのはなぜ?」
「あと、遠い街で流行っているお洋服が、この街で高値で売れるのはどうして?」
どうだ!
5歳の子供がするとは思えない、本質を突いた質問の数々!
こんな面倒な生徒、嫌になるに決まってるわ!
しかし、アルフレッドは、私の質問にきょとんとした後。
その眼鏡の奥の瞳を、カッと見開いた。
「……お嬢様」
彼の声は、興奮に打ち震えていた。
「それは、”需要”と”供給”の法則です!」
「モノの価値は、それ自体が持つ絶対的な価値だけでなく、それを欲しがる人の数と、市場に出回るモノの数によって決定されるのです!」
「なんと! お嬢様は、その歳で、すでに経済の原理原則に気付いておられるというのか!?」
(え、なんかスイッチ入っちゃったんだけど)
アルフレッドは、水を得た魚のように、堰を切ったように語り始めた。
その内容は、私が知っている現代の経済学の基礎理論そのものだった。
この世界では、まだ体系化されていない、最先端の学問らしい。
「素晴らしい! なんという才能! なんという知性!」
「私は、長年この法則について一人で研究してきましたが、誰にも理解されませんでした!」
「ですが、あなた様なら! あなた様なら、私の理論を理解し、さらに発展させることができる!」
アルフレッドは、私の両手をがっしりと掴み、その目をキラキラと輝かせている。
その姿は、まるで長年探し求めていた救世主に出会った狂信者のようだった。
(……あれ? 私、この人をとっちめるんじゃなかったっけ?)
私のささやかな授業妨害計画は、一人の天才学者を狂喜させ、この世界に新たな学問の扉を開かせる、とんでもないきっかけとなってしまった。
私のあだ名リストに、「叡智の探究者」が加わるまで、あと数日のことである。
誤字報告くださった方ありがとうございました。