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第49話「シナリオの綻び」

 その日の午後。

 ローゼンシュタイン家の壮麗な玄関ホールは、奇妙でしかしどこか厳粛な緊張感に包まれていた。

 ずらりと二列に並んだメイドと執事たち。

 その視線の先にはたった一人ぽつんと立つ、小さな少年。

 使い古された、しかし清潔な服を身にまとったノエルだった。


「おお、君がエリーゼが見出したという天才か!」

 お父様が満面の笑みで、ノエルの肩をバンバンと叩く。

 そのあまりの勢いにノエルの小さな体がぐらりと揺れたが、彼は決して倒れはしなかった。

 ただ静かにその衝撃を受け止めている。


「まあ、なんて利発そうなんでしょう。その瞳の奥に深い知性が宿っているのが分かりますわ」

 お母様もうっとりとした表情でノエルを見つめている。

「エリーゼは本当に人を見る目がおありになるのね」


(だから違いますってば……!)


 私は少し離れた場所からその地獄のような歓迎式典を眺めていた。

 私の”協力者召喚計画”は家族の盛大な勘違いという全面的なバックアップを得て、完璧な形で成功してしまった。

 ノエルは今日から表向きは私の”侍童見習い”として、この屋敷で暮らすことになったのだ。

 もちろん本当の目的は二人でこの世界の”シナリオの綻び”を見つけ出すこと。

 私たちの壮大な反逆計画の始まりだ。


「さあノエル君。今日からここが君の家だ。何一つ不自由はさせん。遠慮なく過ごしてくれ。君はもう我らの家族の一員なのだからな」

「……ありがとうございます。公爵閣下。身に余る光栄です」


 ノエルは大人びた口調で深々と一礼した。

 そのあまりにも落ち着き払った態度に、お父様はさらに感心したように何度も頷いている。

 全てが順調に進んでいる。

 進みすぎていて逆に怖いくらいに。



 その日の夜。

 月の光だけが静かに差し込む私の部屋。

 私はベッドの上で眠ったふりをしながら、全神経を耳に集中させていた。

 こん、こん。

 約束の合図。

 窓を軽く叩く小さな音。


 私はそろりとベッドを抜け出すと、音を立てないように窓を開けた。

 そこには闇に溶け込むようにノエルが立っていた。

 昼間のみすぼらしい服ではなく、屋敷で用意された上質な、しかし飾り気のないシャツとズボンを身につけている。


「……遅い」

「……仕方ないだろう。メイドたちの夜の見回りが終わるのを待っていたんだ。君のところの使用人たちはやけに念入りだからな」


 私たちは小さな声で囁き合う。

 まるで秘密基地に集まる子供のように。

 いややっていることはこの世界の運命を左右しかねない、とんでもないことなのだけれど。


「それで、準備はいいかしら?」

「ああ。いつでも」


 私たちは頷き合うと音もなく部屋を抜け出した。

 目指すは屋敷の西棟にある大書庫。

 そこにはローゼンシュタイン家が何代にも渡って集めてきた、膨大な量の書物が眠っているはずだ。


 深夜の屋敷は静まり返っていた。

 壁にかけられた肖像画の先祖たちが、まるで私たちの悪事を咎めるようにじっとこちらを見ているかのようだ。

 私の心臓がどきどきと高鳴る。

 しかしそれは恐怖からではなかった。

 むしろこれから始まる冒険への、ほんの少しの高揚感からだった。

 一人じゃない。

 その事実が私を強くしていた。


 やがて私たちは目的の大書庫の前にたどり着いた。

 見上げるほど大きな観音開きの扉。

 昼間でも薄暗いこの場所は夜にはまるで巨大な怪物の口のように見えた。


「……鍵は?」

「もちろん、準備済みよ」


 私は懐から一本の小さな鍵を取り出した。

 お父様の書斎からこっそり拝借してきた合鍵だ。

 これも悪役令嬢としての重要なスキルの一つ。

 まさかこんな形で役立つとは思わなかったけれど。


 ぎいと。

 重い扉が軋む音が静寂に響き渡る。

 私たちは息を呑んでその中へと足を踏み入れた。


 そこに広がっていたのはまさに圧巻の光景だった。

 床から天井まで壁一面を埋め尽くす本、本、本。

 革の匂いと古い紙の匂いが混じり合った独特の空気が、私たちの鼻をくすぐる。

 高い高いアーチ状の窓から月の光が差し込み、無数の本の背表紙を幻想的に照らし出していた。


「……すごい」

 思わずといったようにノエルが呟いた。

 そのいつもは無表情な顔にわずかな興奮の色が浮かんでいる。

「これだけの知識がここに……」


「ええ。これなら何か見つかるかもしれないわね」


 私たちはそれぞれ魔法のランプに小さな灯りを灯すと、手分けして書物を探し始めた。

 ノエルが言っていた「シナリオの綻び」。

 この国の歴史に関する古い記録。

 何か不自然な記述があるはずだ。


 しかしその作業は想像を絶するほど困難なものだった。

 本の数が多すぎるのだ。

 何から手をつけていいのかすら分からない。

 まるで広大な砂漠の中からたった一粒の砂金を探すような、途方もない作業だった。


「……だめだわ。これじゃあ夜が明けてしまう」

 数時間が経った頃、私はうんざりしたようにため息をついた。


「……いや」

 その時、部屋の隅で一冊の分厚い本を読んでいたノエルが静かに言った。

 その声は確信に満ちていた。

「……あったかもしれない」


「え?」


 私は彼の元へと駆け寄った。

 彼が指差していたのはひどく古びた革張りの年代記だった。

 その中の一節。

 インクがかすれてほとんど読めなくなりかけているそのページに、こう書かれていた。


『―――大いなる”災厄”が全てを飲み込み、歴史は一度途絶えた。我らが初代国王アウグストゥス一世が再びこの地に光をもたらすまでの百年間は、”空白の時代”として語り継がれている』


「……空白の百年?」

 私は眉をひそめた。

「そんな話、授業で習ったかしら?」


「おかしいんだ」

 ノエルは静かに言った。

 その瞳は獲物を見つけた狩人のように鋭く輝いている。

「この本だけじゃない。他のどの歴史書もこの”空白の百年”については全く同じ記述しかない。まるで誰かが意図的に情報を消したみたいに」


(……意図的に消した?)


 私の背筋をぞくりと悪寒が走り抜けた。

 そうだ。

 これこそが「綻び」だ。

 この不自然な歴史の断絶。

 この”空白の百年”に一体何があったのか。

 それこそがこの世界の”管理者”に繋がる最初の、手がかりなのかもしれない。


 私とノエルは顔を見合わせた。

 ランプの頼りない光の中で互いの瞳に同じ決意の色が浮かんでいるのが分かった。

 私たちの戦いは今この静かな書庫の片隅で、静かにその幕を開けたのだった。

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