第48話「協力者」
「エリーゼ様! どちらにいらっしゃいますかー!」
遠くから聞こえてきたマリーの心配そうな声に、私とノエルははっとして同時に握っていた手を離した。
まるで悪いことをしていた子供のように。
いや実際にこの世界の”管理者”とやらにとっては、これ以上ないほどの”悪いこと”を企んでいたのだけれど。
「……来たみたいだね」
ノエルが静かに呟いた。
その黒い瞳にはもう先ほどの熱はない。
再びあの全てを見透かすような、静かな賢者の瞳に戻っていた。
「……ええ」
私も頷く。
言葉はいらなかった。
私たちはただ顔を見合わせ、そして小さく頷き合った。
今日この日この場所で、この世界で最も孤独な二人の秘密の同盟が結ばれたのだ。
私が東屋を出るとすぐにマリーが息を切らしながら駆け寄ってきた。
「エリーゼ様! こんな所にいらっしゃったのですか! お体が冷えてしまいますわ!」
「……ごめんなさいマリー。少し雨宿りをしていただけですわ」
「まあなんてこと! すぐにお屋敷に戻って、温かいお飲み物を用意いたしますわね!」
マリーに手を引かれながら私は一度だけ振り返った。
ノエルはもうそこにはいなかった。
ただ雨上がりの静かな庭が広がっているだけ。
まるで先ほどまでの出来事が全て夢だったかのように。
しかし私の手にはまだ、彼と手を握り合ったあの固い感触が確かに残っていた。
◇
その夜。
私は自分の部屋のベッドの上で一人、これからのことを考えていた。
心の中にあった重い鉛のような恐怖は消え去っていた。
その代わりにそこには今まで感じたことのない、小さな、しかし確かな”希望”の炎が灯っていた。
初めて見つけた同類。
初めて出会った理解者。
私はもう一人じゃない。
しかし感傷に浸っている場合ではなかった。
問題は山積みだ。
まずどうやってノエルと連絡を取り合うか。
そしてどうやってローゼンシュタイン家の書庫に彼を招き入れるか。
私が一人で古文書を漁っていても怪しまれるだけだ。
あの異常なまでの知識と洞察力を持つ、彼の協力が絶対に必要。
(……名目が必要ね)
そうだわ。
あの少年をごく自然にこの屋敷に引き入れるための、完璧な”言い訳”が。
そしてその言い訳はもちろんこの世界の”登場人物”たちが、納得するようなものでなければならない。
つまり”聖女様”らしい、慈悲深く、そして深遠なお考えに満ち溢れた言い訳が。
私の悪役令嬢としての知恵と、前世の会社員としてのプレゼン能力が今試される時!
数時間後。
私は完璧な計画を練り上げると、満足げに頷いた。
◇
翌日の朝食。
私はわざと少し思い詰めたような顔で、お父様の前に立った。
「……お父様。一つお願いがございますの」
「ん? どうしたんだエリーゼ。改まって」
私は芝居がかったため息を一つくと、悲しそうな瞳で窓の外を見つめた。
「昨日孤児院に伺って、わたくし深く考えさせられましたの」
「……ほう?」
「あそこにいる子供たち。彼らの中にはもしかしたら未来のアルフレッドのような天才や、フェリックスのような忠実な騎士が埋もれているやもしれません」
「それをただ貧しいという理由だけで才能を開花させる機会すら与えられないのは、ローゼンシュタイン家の、そしてこの国の大きな損失ではないでしょうか」
しんと。
食堂が静まり返る。
お父様もお母様もただぽかんと口を開けて、私を見ている。
(よし、食いついたわね!)
私は続ける。
「つきましてはわたくし決めましたわ」
「試験的に孤児院の中から一人、特に見込みのありそうな子供を選び、わたくしの直々の”侍童見習い”としてこの屋敷に招き入れたいと思いますの」
「……じ、侍童見習い、だと……?」
お父様が震える声で聞き返した。
「ええ」
私はにっこりと聖女スマイルを浮かべた。
「もちろん、見習いですから難しい仕事はさせませんわ。まずは、わたくしのそばで貴族の作法や教養を学ばせるのです」
「わたくしが直接、彼を導いて差し上げます。いずれ彼が立派な侍従として、この家を支える人材となるように」
どうだ!
この完璧なプレゼンテーション!
聖女としての慈悲深さをアピールしつつ、しっかり と自分の目的(二人きりで密談する時間と場所を確保する)も達成する!
これなら誰も文句は言えないはず!
数秒間の沈黙。
そして。
「……おお……!」
お父様が椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がった。
その瞳にはもはや涙が溢れている。
「おおエリーゼ! なんということだ! なんという素晴らしい考えなのだ!」
「ただ物を与えるだけの慈善ではない! 機会を与える! 教育を施す! それこそが真の貴族の務め!」
「父さんは感動した! お前はやはり真の聖女だ!」
「まああなた……! エリーゼ……!」
お母様もハンカチで目頭を押さえている。
(……よし、チョロかったわね)
こうして私の”協力者召喚計画”は家族の盛大な勘違いという、全面的なバックアップを得て完璧な形で承認されたのだった。
その日の午後。
私は再び孤児院のホールに立っていた。
ずらりと並んだ子供たちの中から私はゆっくりと一人を選び出す。
そして一番後ろで静かに本を読んでいたあの少年の前で足を止めると、高らかに宣言した。
「……あなたに決めましたわ」
ノエルはゆっくりと顔を上げた。
その黒い瞳がわずかに見開かれる。
その瞳に「まさかこんな方法で来るとは」と書いてあった。
私は彼にだけ聞こえるように小さな声で囁いた。
「これからよろしくてよ。……協力者さん」
こうして私の初めてのそして唯一の協力者は、”聖女様に見出された天才孤児”という最高の隠れ蓑を手に入れて、ローゼンシュタイン家の屋敷へと足を踏み入れることになったのだった。




