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第45話「悪役令嬢、密かに探る」

 がたん、ごとん。

 馬車が石畳の上を進む単調な振動がやけに心地よかった。

 揺りかごに揺られているかのようで、いっそこのまま眠ってしまいたい。

 そうすればあるいは、目が覚めた時には全てが悪い夢だったと思えるかもしれない。

 前世の自分の狭いアパートのベッドの上で。

 そんな叶うはずもない現実逃避の思考だけが、私の真っ白になった頭の中をぐるぐると巡っていた。


『あなたは本当は、子供じゃないんでしょう?』


 あの静かな声が耳の奥で何度も何度も反響する。

 論破されたのだ。

 完膚なきまでに。

 私の必死で作り上げた”悪役令嬢エリーゼ”という虚像は、あのたった一人の少年の前でいとも簡単に剥がされてしまった。

 まるで薄っぺらい紙のお面のように。


(……なんなのよあの子)


 私の隣に座っているお父様が心配そうに私の顔を覗き込んでいるのが、視界の片隅に映る。

 しかし今の私にはそれに、取り繕う気力すら残されてはいなかった。


「……エリーゼ」

 お父様がそっと私の肩に手を置いた。

「……すまなかったな。父さんが無理にあのような場所に連れて行ってしまったばかりに」


(……え?)


「無理もない。お前は今まで我らの愛情に包まれて、何不自由なく育ってきたのだからな」

「あの孤児院の子供たちの貧しい暮らしぶりを目の当たりにして、心を痛めているのだろう。その優しさ故に」


(……違います)

(断じて違います、お父様)


 私が心を痛めているのは貧しい子供たちのことではない。

 私の秘密がバレたかもしれないという個人的な恐怖のせいだ。

 しかしそんな自己中心的な本音を言えるはずもなく。

 私はただ力なく首を横に振った。


 その仕草をお父様はまた盛大に勘違いしたらしい。

 その瞳に悲しみとそして静かな怒りの色が浮かぶ。


「……そうか。あのノエルとか言ったか。あの無礼な小僧の言葉が許せないのだな」

「分かるぞ。分かる。お前の高潔な精神をあのような子供の戯言で汚されたのだ。父さんも腹が立って仕方がない」

「今から引き返して院長に厳しく言いつけて……」


「いいえ!」

 私は思わずといったように叫んでいた。

「その必要はありませんわ!」


「……エリーゼ?」


(危ない、危ない……!)


 今あの孤児院に戻られてお父様がノエルに何かしたら、余計な騒ぎになる。

 そうなればあの少年が何を口走るか分かったものではない。

 彼は危険すぎる。

 彼の口から再びあの言葉が発せられることだけは、絶対に避けなければならない。

 今はとにかく事を荒立てずに、静かに時が過ぎるのを待つしかないのだ。


「……わたくしはただ、少し疲れただけですわ」

 私はかろうじてそう言い繕った。

「帰りましょう。お屋敷に」


「……そうか。分かった」


 お父様は私のその力ない言葉を、「優しい娘の深遠な配慮」と解釈したようだった。

 もはやこの勘違いの連鎖からは決して逃れることはできないらしい。

 諦めのため息が喉の奥で、鉛のように重くなった。



 屋敷に戻るや否や。

 私は自分の部屋に閉じこもると、すぐに一人の人物を呼びつけた。


「……フェリックス」

「はっ。お呼びでございますか、エリーゼ様」


 影のように現れた私の忠実な従者。

 私は彼に他の誰にも聞こえないよう声を潜めて命じた。

 その声は自分でも驚くほど冷たくそして硬質だった。


「……あなたに極秘の任務を与えますわ」

「極秘任務ですと……!?」

 フェリックスの瞳がキラリと輝いた。

 その顔には「ついにこの時が!」と書いてある。

 また何か壮大な勘違いをしている顔だ。

 しかし今はそれを訂正している余裕はない。


「ええ。領都の孤児院にいる”ノエル”という少年」

「……はい」


「その少年の全てを調べなさい」

「……全てと申しますと?」


「生まれた場所、両親の有無、孤児院に来るまでの経緯、普段の生活態度、交友関係……」

 私は一息に言った。

 その一つ一つの言葉に私の恐怖と焦りが滲み出るのを感じた。

「そう、文字通り”全て”よ。どんな些細な情報でもいい。彼の息遣い一つ見逃さないで。全てわたくしに報告なさい」


 これはただの調査ではない。

 私の生命線を左右する最重要機密事項なのだ。

 あの少年が何者なのか。

 それを知らなければ私は安心して眠ることすらできない。

 彼は私の存在そのものを脅かす、唯一の脅威なのだから。


 私のそのあまりにも真剣で切羽詰まった様子に、フェリックスはゴクリと息を呑んだ。

 そして次の瞬間。

 彼の顔には全てを理解したというような、深い深い感銘の色が浮かんでいた。


(……ああ、またその顔ね)


「……かしこまりました」

 フェリックスはその場で恭しく片膝をついた。

 その瞳はもはやただの従者のものではない。

 主君の深遠な意図を理解した腹心の騎士のそれだった。

「さすがはエリーゼ様。やはりあの少年の”非凡な才”にお気づきになられたのですね」


(……は?)


「あの子供たちの中でただ一人。エリーゼ様の”本質”を見抜こうとしたあの恐るべき洞察力」

「あのような才能を市井に埋もれさせておくのはこの国の損失。今のうちにご自分の手元に引き入れ、次代を担う懐刀として育てようとお考えなのですね!」

「なんと深いお考え……! なんと壮大な計画……! このフェリックス、感動で身が震えます!」


(違います! 全くこれっぽっちも違いますから!)

(わたくしはただ自分の秘密を守るために、敵の正体を探ろうとしているだけなのよ! 懐刀じゃなくて脅威なのよ!)


 私の心の悲鳴はもちろん彼には届かない。

 私の恐怖から生まれた調査命令はこの忠実すぎる従者によって、「未来への壮大な投資」へと見事に変換されてしまった。


「このフェリックス、必ずやエリーゼ様のご期待に応えてみせます!」


 そう力強く誓うとフェリックスは、影のように再び部屋から姿を消した。

 その背中には主君の壮大な計画の一端を担うという、誇りと使命感が満ち溢れていた。


 一人残された部屋で私は、ただがっくりと肩を落とすことしかできなかった。

 私の秘密の探り合いは始まった瞬間から、すでに勘違いのレールの上に乗せられてしまったらしい。

 私の明日はどっちだ。

 もはや誰にも分からなかった。

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