第44話「秘密の探り合い」
ぴたりと。
私の足が床に縫い付けられたように止まった。
全身の血が急速に冷えていく感覚。
頭の中が真っ白になる。
周りの音が全て消え去り、ただ自分の心臓の音だけがどくどくと大きく大きく、耳の奥で響いていた。
まるで教会の鐘のように、私の終焉を告げている。
『あなたは本当は、子供じゃないんでしょう?』
その静かな言葉が私の脳内で何度も何度も反響する。
それは問いかけの形をした断罪の刃だった。
私のこの世界で生きていくための全てを根底から覆しかねない、あまりにも鋭くそして重い一撃。
これまで私が必死で築き上げてきた”悪役令嬢エリーゼ”という虚像の城が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
私はまるで錆びついたブリキの人形のように、ぎぎぎとゆっくり音を立てて振り返った。
ノエルは相変わらずの無表情で、ただじっと私を見つめていた。
その瞳はもはや子供のそれではない。
全てを知る賢者のそれだった。
(……どうして)
(どうして、どうして、どうして、どうして!?)
私の脳内は混乱の極みにあった。
この子は誰?
何者なの?
まさかこの子もわたくしと同じ”転生者”?
それともこの世界のシナリオを知る特別な存在?
あるいはこの物語の”バグ”?
それともまさか、この世界を管理する”神”のような何かが遣わした監視者……!?
分からない。
何も分からない。
ただ一つ確かなことは。
私の最大の秘密が。
この世界でただ一人私が抱え続けてきた絶望的な孤独の正体が。
今この名も知らぬ孤児の少年の前で、完全に暴かれようとしているということ。
「の、ノエル! あなた何を言って……!」
院長先生が震える声で何かを言っているが、もはや私の耳には届かない。
「ははは、子供というのは時々面白いことを言うものだな。なあ、エリーゼ」
お父様が困ったように笑っているが、その声もまるで遠い世界の出来事のように聞こえた。
私の世界には今、この少年とわたくし二人しか存在していなかった。
奇妙な腹の探り合い。
言葉のない尋問。
彼の瞳が私に問いかけてくる。
『君は一体誰なんだ? その小さな身体の中にいる本当の君は、誰なんだ?』と。
答えなければ。
何か言わなければ。
ここで動揺を見せれば全てが終わる。
私は必死で脳を回転させた。
悪役令嬢としてこの絶体絶命のピンチを切り抜けるための、最高の一言を。
そうだ、笑うのよ。
悪役令嬢らしく全てを嘲笑うのよ!
「……ふふ」
私の口から漏れたのは乾いた笑い声だった。
「ふふふ……あはははは! あはははははははっ!」
私はわざと大げさに、ホール中に響き渡るほど甲高い声で笑ってみせた。
「面白いことを言うのね、あなたは!」
「え?」
「わたくしが子供ではないですって? では何だというのかしら? あなたの目にはわたくしが齢数百年の魔女か何かにでも見えるのかしら? それとも人の皮を被った悪魔かしら?」
どうだ!
この相手の言葉を逆手に取って馬鹿にしてみせる高等テクニック!
これならただの子供の突拍子もない戯言として流せるはず!
さあ怯えなさい!
この不気味な笑い声に!
しかしノエルは私の必死の演技にも全く動じなかった。
彼はただ静かに首を横に振った。
その瞳には何の感情も浮かんでいない。
「……分からない。でもあなたは、その小さな身体の中にとても大きな何かを隠している」
「それはとても古くて、そしてとても疲れている何かだ」
(…………)
だめだ。
この子には何も通用しない。
小手先の演技など全て見透かされている。
私の心の奥底までその静かな瞳で覗き込んでくる。
”疲れている”。
その一言が私の心の一番柔らかい部分に、深く深く突き刺さった。
どうする。
どうすればいい。
このままでは本当に全てが暴かれてしまう。
私の心がこの少年の前で完全に裸にされてしまう。
(……逃げるしかない)
そう。
今はとにかくこの場から離れるのだ。
そして改めてこの謎の少年について調べる。
彼が何者なのかを知るまでは、下手に動くべきではない。
戦略的撤退よ!
私はすっと立ち上がると、くるりと彼に背を向けた。
そして最後に悪役令嬢としての威厳を振り絞って言い放った。
「……もう飽きましたわ」
「え?」
「こんな薄汚い場所も。あなたのような生意気な小僧とのお喋りも」
「帰りましょうお父様。わたくしお腹が空きましたわ。最高級のお菓子と温かいミルクティーが飲みたい気分ですの」
それは私の精一杯の虚勢だった。
背中に突き刺さるノエルの視線が痛い。
しかし今は決して振り返ってはいけない。
「あ、ああ……。そうか。そうだな」
お父様はまだ状況が飲み込めていないようだったが、私の言葉にこくりと頷いた。
こうして私は逃げるように孤児院を後にした。
私の悪役令嬢計画は史上最悪の形で大失敗に終わった。
悪評を手に入れるどころか私は、自分の最大の秘密を知る”脅威”と出会ってしまったのだ。
馬車に揺られながら私はぐったりと窓の外を眺めていた。
私の心の中は嵐のようだった。
ノエル。
あの少年は一体何者なのか。
そして私はこれからどうすればいいのか。
私の必死で作り上げてきたこの偽りの世界が今、足元から崩れ落ちていくような気がした。
物語は今、私の知らない、そして最も危険なレールの上を走り始めていた。




