第42話「謎の少年、ノエル」
私の問いかけに少年はゆっくりと子供たちの輪から一歩前に出た。
その所作には何のためらいもない。
まるで最初からそこに彼以外の誰もいなかったかのように、ごく自然に。
「……ノエル」
少年は静かにそう名乗った。
その声は他の子供たちのように上ずっても震えてもいなかった。
ただ淡々と事実だけを告げるかのように。
「……そう、ノエルというのね」
(……なんなのよこの子)
私の脳内は混乱していた。
怯えなさいよ!
泣きなさいよ!
なんでそんな平然としているのよ!
私の悪役令嬢としての威厳がこのたった一人の子供の前で、粉々に打ち砕かれようとしているじゃないの!
計画が狂ってしまう!
「へえ、面白い名前ですこと」
私はわざと嘲笑うように言った。
平静を取り戻さなければ。
この生意気な小僧のペースに巻き込まれてはダメ。
「クリスマスという意味かしら? おめでたいですわね。あなたのようなみすぼらしい子供には不釣り合いな名前だこと」
しかしノエルと名乗った少年は少しも動じなかった。
それどころか彼は私の言葉をまるで意味の分からない外国語でも聞くかのように聞き流すと、静かにそしてはっきりと言ったのだ。
それは私の心の一番柔らかい部分を的確に抉る、刃のような言葉だった。
「……あなたは聖女様なんかじゃないんだね」
「……なんですって?」
そのあまりにも直接的な言葉に私は一瞬息を呑んだ。
院長先生が隣で「こ、こらノエル! なんて失礼なことを! 聖女様にお詫びなさい!」と真っ青になって叫んでいる。
しかしノエルは私から目を離さない。
(……見抜かれた?)
(まさかこの子、わたくしの本性を見抜いたっていうの!?)
私の心臓がどきりと跳ねた。
だとしたら好都合!
そうよもっと言いなさい!
この聖女様は偽物だとみんなの前で暴露しておしまいなさい!
私の破滅への手助けをしてくれるというのなら、歓迎してさしあげますわ!
しかし続いた彼の言葉は、私のちっぽけな期待など遥かに超えるものだった。
「だってあなたの瞳は少しも笑っていないもの」
「……え?」
「あなたは聖女様みたいに優しくもない。でも本当に意地悪な人の目もしていない」
「あなたはただ……」
ノエルはそこで一度言葉を切ると、不思議そうに首を小さく傾げた。
まるで答えの分からない数式を解いている学者のように。
「……とても困っているように見える」
(…………)
……こまっている?
わたくしが?
何に?
どうして?
私の脳内は完全にフリーズした。
この少年は何を言っているの?
私の完璧な悪役令嬢の演技のどこをどう見たら、「困っている」なんて感想が出てくるというのよ。
意味が分からない。
全く理解ができない。
「……ふん、馬鹿なことを」
私は必死に平静を装った。
動揺を悟られてはいけない。
「わたくしが困るですって? 笑わせないでくださる?」
「わたくしはただあなたたちのそのみすぼらしい姿が、不愉快なだけですわ」
私はダメ押しのように贈り物の中から一つ、最も高価そうな宝石がちりばめられた人形を取り上げると、ノエルの目の前に突きつけた。
その人形の青いガラスの瞳が、虚ろに私を見つめ返す。
「ほら、これが欲しいのでしょう?」
「ええ、あげるわ。感謝なさいな」
そして彼が手を伸ばしかけたその瞬間。
私はわざとそ人形をぱっと手を離して床に落とした。
がしゃん、と嫌な音がして人形の美しい陶器の顔に、無残なひびが入る。
まるで私の心のようだ、と一瞬思った。
「あら、ごめんなさいな。手が滑ってしまいましたわ」
どうだ!
これぞ悪役令嬢の十八番!
人の心を踏みにじる非道の極み!
これにはさすがのこの生意気な小僧も、泣き出すに違いないわ!
さあ絶望なさい!
しかし。
ノエルはただ静かに床に落ちた人形を一瞥すると、再び私の顔を見上げた。
その瞳には悲しみも怒りもなかった。
ただ深い深い憐憫のような色が浮かんでいるだけだった。
まるで道端で怪我をした小鳥を見るかのような、そんな目だった。
「……やっぱり」
彼はぽつりと呟いた。
それは確信に満ちた声だった。
「あなたは本当はこんなこと、したくないんだね」
(…………え?)
私の心臓が大きく軋んだ。
まるで見えない手でぎゅっと掴まれたかのように。
この少年は。
このたった八歳の少年は。
私の心の奥の奥。
誰にも見せたことのない本当の姿を。
この世界に来てからずっと隠し続けてきた、”ただのしがない会社員だった弱い自分”を見ている。
私の完璧な悪役令嬢計画は、このたった一人の謎の少年の前で、その意味を完全に失ってしまったのだった。




