第41話「悪役令嬢、慈善を施す」
グリム家の失脚から数週間が過ぎた。
私の人生はと言えば。
それはもう、最悪という言葉ですら生温いほどの地獄の日々だった。
(……聖女様、聖女様ってもうやめてええええええっ!)
どこへ行っても向けられる尊敬と畏怖の眼差し。
すれ違うメイドたちは深々と頭を下げ、騎士たちは胸に手を当てて最敬礼。
お父様に至っては私の肖像画を作らせて、屋敷の一番目立つ場所に飾るなどと言い出す始末。
もちろん全力で阻止したけれど。
”国を救った聖女”。
”女神の知恵を持つ幼き救世主”。
そんなあまりにも不名誉で、そして身の毛もよだつような称号が、すっかり私の代名詞として定着してしまったのだ。
(これじゃあ破滅どころか歴史上の偉人として、後世に名を残してしまうじゃないの!)
冗談じゃないわ。
私の夢はあくまで穏やかで平和な追放生活。
銅像にされたり伝記を書かれたりする人生など、まっぴらごめんだった。
どうにかしてこの聖女のイメージを払拭しなければ。
もっとこう、悪役令嬢らしいわがままで自己中心的で腹黒いという評判を、手に入れなければ!
そんな私の焦燥感を見透かしたかのように、ある日の朝食の席でお父様がにこやかに言ったのだ。
「エリーゼ。お前に一つ提案があるのだが」
「……なんでしょうか、お父様」
「近々、領都にある孤児院へ慰問に行ってみてはどうだろうか?」
(……孤児院?)
私の頭上にぴこんと悪魔の電球が灯った。
孤児院への慰問。
いわゆる”慈善事業”。
それは聖女としてのイメージをさらに盤石にする行為。
しかし。
そのやり方を一つ間違えれば。
(……最高の”悪評”を手に入れるチャンスじゃないの!)
そうよ!
わざと嫌々ながら慰問に行き。
貧しい子供たちを見下し蔑み、そしてこれ見よがしに鼻であしらう!
なんという完璧な悪役令嬢ムーブ!
『あの聖女様は結局自分より下の者には冷たい偽善者だった』
そんな噂が広まれば、私の破滅フラグも再び復活するはず!
(いけるわ! いけるじゃないの!)
私の心に再び希望の光が灯った。
私は内心の邪悪な喜びを必死に隠しながら、わざと少し不機嫌そうな顔で答えた。
「……わたくしが、そのような場所に?」
「ああ。領民たちもきっと喜ぶだろう」
「……分かりましたわ。お父様がそこまで仰るのなら」
私はふんと鼻を鳴らして承諾した。
その態度をお父様はいつものように、「照れているのだな」と盛大に勘違いしている。
ふふふ。
見てなさいなお父様。
あなたの可愛い娘がどれほどの”悪”であるかを、その目に焼き付けさせてさしあげますわ!
◇
そして数日後。
私は人生で初めて孤児院という場所に足を踏み入れた。
古い石造りの建物。
中は清潔に保たれているけれど、あちこち修繕の跡が見て取れる。
私を出迎えてくれたのは人の良さそうな院長先生と、そして緊張した面持ちの子供たちだった。
(ふふ……いいわ。いい舞台じゃないの)
私はわざとゆっくりと彼らを値踏みするように見下ろした。
つぎはぎだらけの服。
少し汚れた頬。
私の豪華なドレスとは対照的な、その貧しい姿。
悪役令嬢として見下すには最高のシチュエーションだわ。
「皆様、ようこそおいでくださいました!」
院長先生が深々と頭を下げる。
「聖女様がいらっしゃるとお聞きして、子供たちも皆この日を心待ちに……」
「それで?」
私はその言葉を冷たく遮った。
「わたくしは何をすればよろしいのかしら?」
「え?」
「わたくしは忙しいのですわ。早く終わらせてくださらない?」
どうだ!
このあからさまに面倒くさそうな態度!
これにはさすがの院長先生も少し顔が引きつっている。
よし、いい滑り出しだわ!
「は、はい! もちろんでございます! こちらへどうぞ!」
案内されたのは子供たちが集まる広いホールだった。
そこには私たちが持ってきた”贈り物”が山のように積まれている。
最高級のシルクで作られたドレス。
複雑な仕掛けのついた高価なおもちゃ。
全て私が「貧しい子供には不相応な贅沢品を」とわざと選んだものだ。
もちろんそれもお父様には、「子供たちに夢を与えたいのだな」と勘違いされたけれど。
私は子供たちを一瞥すると、わざとらしく扇で口元を覆った。
「まあ……。なんてみすぼらしい格好なのかしら」
しんと。
ホールが静まり返る。
子供たちの顔から笑顔が消えた。
院長先生は真っ青になっている。
完璧!
完璧な悪役令嬢ムーブよ!
私は満足感に浸りながら心の中でガッツポーズをした。
さあ泣きなさい!
怖がりなさい!
そして聖女エリーゼは偽善者だったと言いふらしなさい!
しかし。
その時だった。
「……本当だ」
子供たちの輪の中からぽつりと小さな声が聞こえた。
声の主は輪の一番後ろにいた一人の少年だった。
彼は他の子供たちのように怯えても泣いてもいなかった。
ただじっと私を見つめていた。
その黒い瞳は子供とは思えないほど静かで、そして全てを見透かすように深く澄んでいた。
「あなたは、誰?」
その達観したような目に私は思わずそう問いかけていた。
彼は他の子供たちとは明らかに何かが違っていた。
私の完璧な悪役令嬢の演技が、この少年だけには全く通用していないという奇妙な確信があった。
物語は今、私の知らない新たな登場人物と出会おうとしていた。




