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第39話「ヴィクトールの失脚」

 王城の玉座の間。

 その荘厳な空間はまるで氷水でも満たされているかのように、冷たく張り詰めた空気に支配されていた。

 磨き上げられた大理石の床にずらりと並ぶ近衛騎士たち。

 壁に掲げられた歴代国王の肖像画。

 その全てがこれから始まる断罪の儀式を、静かに見守っているかのようだった。


 玉座には国王アウグストゥス陛下が深く腰掛けている。

 その表情からは何の感情も読み取れない。

 ただその鋭い鷲のような瞳だけが、眼下にひざまずく二つの貴族の当主を冷徹に見下ろしていた。


 一人は我が父アルベルト・フォン・ローゼンシュタイン公爵。

 そしてもう一人はヴィクトール・フォン・グリム伯爵。

 私もお父様の隣でできるだけ小さくなって、ひざまずいていた。

 心臓がばくばくとうるさい。

 しかしそれは恐怖からではなかった。

 むしろ逆。

 この絶望的な状況に対するほんのわずかな、しかし確かな”期待”からだった。


(もしかしたらまだ間に合うかもしれない……!)


 確かにグリム家の犯行の証拠は揃ってしまった。

 しかし相手は大貴族。

 もしかしたら陛下が温情をかけてこの件を不問に付すという可能性も、ゼロではない。

 そうなれば!

 わたくしの濡れ衣は晴れないまま!

 めでたく破滅エンドへと一直線!


(お願い陛下! 空気を読んで! わたくしを断罪してちょうだい!)


 私の心の悲痛な祈りが届くはずもなく。

 冷たく重い声が玉座の間を支配した。


「―――ではこれより、裁きを始める」


 陛下のその一言で、私の儚い希望は打ち砕かれた。


「まずローゼンシュタイン公。其方の言い分を聞こう」

「はっ」


 お父様は静かに立ち上がると、事前に用意していた数々の証拠品を侍従へと手渡した。


「先日より我が領地を騒がせておりました一連の事件。その黒幕はヴィクトール・フォン・グリム伯爵、その人であると確信しております」

「こちらがその証拠。伯爵が雇ったならず者どもの自白調書。そして彼らが所持していたグリム家の紋章入りの短剣にございます」


 ヴィクトールがぎろりとお父様を睨みつける。

 しかしお父様は少しも動じない。


「さらに決定的なのがこちら」

 お父様が合図をするとアルフレッド君が進み出て、一枚の羊皮紙を陛下に掲げた。

「我が家の天才魔道具師アルフレッドが分析いたしました、インクの成分鑑定結果にございます」

「グリム伯が証拠として提出した”指示書”のインクと、我が娘エリーゼが普段使用しているインクは全くの別物であると証明されました」


「……なんと」

 陛下が初めて興味深そうに、身を乗り出した。


「嘘だ!」

 それまで黙っていたヴィクトールがついに叫んだ。

「全て嘘だ! ローゼンシュタインの捏造だ!」

「その魔道具師とやらが鑑定結果を改ざんしたに決まっている!」


「見苦しいぞ、グリム伯」

 お父様が冷たく言い放つ。


「何が見苦しいか! 貴様こそ己の娘の罪を隠蔽するために、我がグリム家に罪をなすりつけようとしているのだろう!」

「聖女などと持て囃されてはいるが、あの小娘の腹の中は真っ黒だ! 全てはあの化け物が仕組んだこと!」


(そうです! その通りですわ伯爵!)

(もっと言って! もっとわたくしを貶めてちょうだい!)


 私は内心で全力でヴィクトールにエールを送った。

 しかしその彼の最後の悪あがきを打ち砕いたのは、静かだが誰よりも重い一言だった。


「―――グリム伯の仰ることは事実ではございません」


 声の主はクラウス・フォン・シュミット様だった。

 彼は静かに一歩前に出ると、陛下に深々と一礼した。


「私も王家の名代として独自に調査を進めておりました」

「そして今朝方一つの確証を得ました。グリム伯が王都の裏社会に生きる”筆跡のアーガス”と呼ばれる凄腕の偽造屋と、密会していたという確たる証言を」


「なっ……!?」

 ヴィクトールの顔から血の気が引いていく。


「その偽造屋の隠れ家からはエリーゼ嬢の筆跡を模倣するために使われたであろう、大量の練習用の羊皮紙が発見されております」

「これでもまだ捏造だと仰るか?」


 クラウス様の氷の視線がヴィクトールを射抜く。

 もはや誰もが固唾を飲んでその光景を見守っていた。

 ヴィクトールはわなわなと震え、もはや言葉にならないうめき声を上げるだけだった。


 勝負は決した。


「……もうよい」

 陛下の静かな一言が、玉座の間に響き渡った。

「ヴィクトール・フォン・グリム」

「は、はい……」


「其方の罪、断じて許されるものではない」

「よって其方の伯爵位を剥奪。グリム家の領地は全て王家が没収の上、管理下に置く」

「其方自身は生涯、王都の一角にある塔に幽閉されるものと心得よ」


 それは貴族にとって死よりも重い判決だった。

 家の断絶。

 名誉の失墜。

 完全なる敗北。


「そ、そんな……! お待ちください陛下!」

 ヴィクトールは這いつくばって玉座に向かおうとするが、近衛騎士に両脇を固められあっけなく引きずられていく。

「おのれローゼンシュタイン! エリーゼ! あの化け物めえええええっ!」


 彼の呪詛のような叫び声が玉座の間に虚しく響き渡り、やがて聞こえなくなった。


(……ああ)


 終わった。

 本当に全て終わってしまった。

 私の輝かしい破滅への道が。

 私の穏やかで平和な断罪エンドへの夢が。

 完璧に完全に跡形もなく消え去ってしまった。


「……よくやった、ローゼンシュタイン公」

 陛下の労いの言葉が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえる。


「これも全ては我が娘エリーゼの機転のおかげにございます」

 お父様が誇らしげに私の頭を撫でた。


「うむ。聞いたぞ。あの”インク”の一件。そして”おとり捜査”の発案。まことそなたの娘は女神の知恵を持つという噂は、真であったか」


(だから違うんですってば……!)


 私の心の悲鳴はもちろん誰にも届かない。

 こうしてローゼンシュタイン家を貶めようとしたグリム家の陰謀は完全に打ち砕かれた。

 そしてその最大の功労者として私の名前は、”国を救った聖女”として王国の歴史にまた一つ不本意な伝説を刻みつけてしまったのだった。


 私が望んだのは”失脚”する未来。

 しかし現実は敵を”失脚”させる未来。

 どこでどう間違えてしまったのか。

 もはや私には何も分からなかった。

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