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第31話「黒い噂」

(……終わった)


 私の輝かしい破滅への道は今、完全に終わった。

 目の前で忠誠を誓う青い髪のヒーロー様によって、木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。


(なんで……どうしてこうなるのよぉ……)


 私の頭の中は真っ白だった。

 ただぐるぐると同じ疑問だけが回り続けている。

 ヒーローが悪役令嬢を守る?

 そんなシナリオ、ゲームのどこにもなかった。

 これはもうバグとかそういうレベルの話じゃない。

 世界の法則が根底から覆ってしまったとしか思えない。


「クラウス様……! そこまでエリーゼのことを……!」


 お父様が感極まった声で、クラウス様の肩を叩いている。


「ああ、エリーゼ様……! クラウス様……!」


 マリーはもはや尊さの許容量を超えたらしく、白目を剥いて気絶している。


 部屋を満たす感動的な空気。

 その中でただ一人。

 私だけが絶望のどん底にいた。


(これからどうすればいいのよ……)


 私の最大の切り札だった”ヒーローによる断罪”というイベントが消滅してしまった。

 それどころかそのヒーロー様が、私の”盾”になるなどと言い出してしまったのだ。

 これではまるでラスボスが勇者のパーティーに加入するようなもの。

 ゲームバランス崩壊もいいところだ。


 私の穏やかで平和な断罪エンドは遥か彼方へと霞んでいく。

 もう私には何も残されてはいなかった。



 その頃、王都の社交界では。

 ある一つの”噂”が、まるで燎原の火のように瞬く間に広まっていた。


「ねえ、お聞きになって?」

「ローゼンシュタイン家の例の事件のことですわよね?」


 煌びやかなシャンデリアが輝く、とある侯爵家のサロン。

 扇子で口元を隠しながら、貴婦人たちがひそひそと囁き合っている。


「なんでもあの魔導通信機を悪用した一連の騒動」

「あれは全てローゼンシュタイン家の”自作自演”だという話ですわ」


「まあ、なんですって!?」


 驚きの声が上がる。

 しかしその瞳には驚きよりも、むしろ下世話な好奇の色が濃く浮かんでいた。


「ご自分たちの発明品がどれほど危険なものかを自ら示し」

「そしてそれを解決することで、自分たちの手腕を誇示するおつもりだったとか」

「全てはあの幼い”聖女様”の筋書き通り……ですって」


「なんて恐ろしい……!」

「あんな小さな子供が、そこまで計算高いなんて」

「聖女などと呼ばれておりますけれど、その腹の中は真っ黒ですのね」


 悪意に満ちた言葉が毒の華のように咲き乱れる。

 つい数日前までエリーゼを”女神”と崇め称賛していたその同じ口が、今は手のひらを返したように彼女を貶めている。


 その醜悪な会話の輪から少し離れた場所で。

 一人の貴婦人が優雅に紅茶を口に運びながら、その様子を静かに眺めていた。

 イザベラ・フォン・グリム。

 その美しい微笑みの裏に氷のような冷酷さを隠した女。


「……ふふ」


 小さく漏れた笑い声は、誰の耳にも届かない。

 彼女がほんの少し蒔いただけの”毒の種”。

 それは愚かな貴族たちの嫉妬と憶測を養分にして、見事に芽吹き育っていた。


(さあ、もっと大きくなさいな)

 イザベラはそっとティーカップを置いた。

(あの忌々しい小娘が築き上げた偽りの名声など、この黒い噂の泥濘に沈めてしまえばいいのですわ)


 彼女の瞳の奥で復讐の暗い炎が静かに揺らめいていた。



 その黒い噂は数日も経たないうちに、ローゼンシュタイン家の領地にも届いた。


「……自作自演、だと……?」


 報告書を読んだお父様の低い声が、執務室に響き渡る。

 その声は怒りのあまり震えていた。


「ふざけるな……! あの子をなんだと心得る!」

「あの子の純粋な善意を……! 我が家の誇りをここまで愚弄するとは!」


 机を叩きつける大きな音に私の小さな体が、びくりと跳ねる。

 私はお父様の向かいのソファで、ただ小さくなってその様子を見ていることしかできなかった。


(……自作自演)


 その言葉の意味を理解した瞬間。

 私の心の中に一筋の光が差した。


(……え? もしかしてこれって……)


 わたくしが事件を起こして、自分で解決したって思われてるの?

 それってつまり。


(わたくしの評判が落ちるってことじゃないのーーーっ!?)


 やった!

 やったわ!

 なんて素晴らしい展開なの!

 ヒーロー様に”盾”になるなんて言われてもう絶望の淵にいたけれど、まだ希望は残っていたのね!


 私の心は一瞬で晴れ渡った。

 そうだわ! このまま噂がどんどん広がればいい!

 ”腹黒い偽聖女”!

 いいじゃないのその称号!

 悪役令嬢として最高の肩書きだわ!


「……許せん」


 その時、私の隣に静かに立っていたクラウス様が、氷のように冷たい声で呟いた。


「この噂の出所は王都。それもかなり身分の高い者たちの間から広まっているようです」

「間違いなく先日貴女様を守ると誓った、私への挑戦でもある」


 彼は私の方をまっすぐに見つめた。

 その青い瞳には燃えるような怒りと、そして揺るぎない決意が宿っていた。


「ご安心ください、エリーゼ様」

「この噂を流した卑劣な黒幕は、必ずやこの私が見つけ出してみせます」


 そのあまりにも真摯で力強い言葉に、私の心は一瞬で凍りついた。


(……え?)


 ……みつけだす?

 この最高の”破滅フラグ”をもたらしてくれた、噂の出所を?

 そしてその黒幕を捕まえて、どうするというの?

 まさか。


(……やめてええええええええええええっ!?)


 私の心からの悲鳴はもちろん、誰にも届かない。

 せっかく手に入れた悪評。

 せっかく掴みかけた破滅への蜘蛛の糸。

 それをこの正義感の塊みたいなヒーロー様が、またしても断ち切ろうとしている。


 私の悪役令嬢計画はもはや私の手を離れ、全く予想もつかない方向へと暴走を始めていた。

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