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第23話「ヒーロー、手を差し伸べる」

(……いやああああああああああああっ!)


 私の喉の奥から、無言の、しかし魂の底からの絶叫が迸った。

 こっちに来るな!

 来るんじゃないわよ、この物語の中心人物たち!

 わたくしは壁! 壁の花なの! 背景の一部なの!

 あなたたちのキラキラした恋愛物語の邪魔をするつもりは、毛頭ないのよ!

 だからお願いだから、わたくしを巻き込まないで!


 しかし私の心の叫びなど、神にすら届きはしない。

 リリアーナ様とクラウス様は、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、まっすぐに私の目の前へとやってきた。

 周囲の貴族たちの視線が、もはや好奇心を通り越して、凶器のような鋭さで突き刺さる。

 肌がぴりぴりと痛い。


「エリーゼ様! 今宵、またお会いできて、本当に嬉しいですわ!」


 リリアーナ様の鈴を転がすような可憐な声が、私の鼓膜を優しく、そして残酷に揺らした。

 その天使のような笑顔。

 しかし今の私には、地獄の閻魔大王の微笑みにしか見えなかった。


「先日助けていただいたお礼もまだきちんとできておりませんでしたのに、またお会いできて本当に嬉しいですわ」


(やめて! その純粋な瞳で、わたくしを見ないで!)

(わたくしはあなたのこと、突き飛ばそうとしてたのよ!? 助けたのは完全に事故なのよ!?)


 私の内面の葛藤など露知らず。

 隣にいたお母様が、優雅に微笑んだ。


「まあ、リリアーナ様。ご丁寧にありがとうございます。エリーゼもきっと喜んでおりますわ」


(喜んでません! 絶望しております!)


 私の心の声と現実の乖離が、もはや天と地ほどに開いていく。

 そんな地獄の茶番劇の中で、ただ一人。

 クラウス・フォン・シュミットだけが、冷徹な観察者の視線を崩さずにいた。

 彼は無言のまま私に一礼すると、そのアイスブルーの瞳でじろりと、私の頭のてっぺんからつま先までを、値踏みするように見下ろした。


(ひっ……!)


 怖い!

 この人、やっぱりわたくしのこと、完全に疑ってる!

 ”解明すべき謎”として分析してる!

 やめて、そんなレントゲンのような目で見ないでちょうだい!

 わたくしの腹黒い魂胆が、全部透けてしまうわ!


 私が恐怖のあまり硬直していると、クラウス様は静かに口を開いた。

 その声は、まるで真冬の湖のように、冷たく澄んでいた。


「……エリーゼ嬢」


「は、はいぃっ!?」


 思わず裏返った声が出た。

 しまった、と口を押さえるも、もう遅い。

 彼の完璧な眉が、ほんのわずかにぴくりと動いたのを、私は見逃さなかった。

 絶対に今、内心で馬鹿にしたわね!?


 しかし彼は、そんな私の動揺など意にも介さず、淡々と言葉を続けた。


「今宵の貴女は、ひどく”静か”だ」

「領地でお会いした時の、あの嵐のような奔放さはどこへ行ったのかな?」


(……性格悪い! このヒーロー様、めちゃくちゃ性格悪いわ!)


 わざとよ! わざとわたくしが答えに窮するようなことを、言っているのよ!

 ここで下手に反論すれば、「やはり、本性を隠していたか」と思われる。

 かといって黙っていれば、「図星か」と思われる。

 完璧な詰みだった。


 私の額に、じわりと冷や汗が浮かぶ。

 どうする、わたくし! どう切り返すのが、悪役令嬢として正解なの!?


 しかしその究極の選択を私に迫る前に、氷の貴公子はさらに追い討ちをかけてきた。

 すっ、と。

 彼が白い手袋に包まれた、その美しい手を私の目の前に差し出したのだ。


「……え?」


 何?

 握手?

 いや、違う。

 この形は、まさか。


「一曲、お相手願えるかな?」


 にこりともせずに。

 まるでそれが決定事項であるかのように。

 彼は言った。


 しんと。

 私と彼の周りだけ、空気が凍りついたかのようだった。

 周囲の貴族たちが息を呑む気配がする。

 あのクラウス・フォン・シュミットが! 女性に興味がないことで有名な、あの氷の貴公子が! 自ら五歳の幼女をダンスに誘ったのだ!

 それは天地がひっくり返るほどの、衝撃的な事件だった。


(……いやあああああああああああああああああああああっ!?)


 私の心の中は、もはや絶叫の嵐だった。

 ダンス!?

 わたくしと!?

 無理無理無理無理、絶対に無理!

 そもそもわたくし、ダンスなんてまともに習ったこともないのよ!

 前世は盆踊りくらいしか、踊ったことないわよ!

 そんなわたくしが、この完璧超人と踊るですって!?

 公開処刑以外の何物でもないじゃないの!


「まあ、クラウス様がエリーゼを……!」

「光栄ですわ、エリーゼ!」


 隣でお母様が、感激したように声を上ずらせている。

 お父様も満更でもないという顔で、にこにこと頷いている。

 逃げ道はない。

 完全に塞がれた。


 私は震える声で、最後の抵抗を試みた。


「わ、わたくしは……その、まだ幼いので、ダンスはあまり得意では……」


 しかしそんなか細い言い訳は、氷の貴公子の前では無力だった。


「問題ない」


 彼は一言そう切り捨てると、私の小さな手を優しく、しかし決して逃がさないという強い意志を持って掴んだ。


「私がリードする」


 その有無を言わせぬ、力強い言葉。

 そして触れた彼の手から伝わってくる、確かな熱。

 私の心臓が、恐怖と絶望と、そしてほんの少しの訳の分からない何かで、大きく跳ね上がった。


 こうして私は、まるで断頭台へと引かれていく罪人のように、この物語のヒーロー様の手によって、きらびやかなダンスフロアへと引きずり出されていくのだった。

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