第22話「悪役令嬢、舞踏会へ」
(……帰りたい)
きらびやかなシャンデリアの光が私の瞳を容赦なく刺す。
どこからともなく流れてくる、優雅で、しかし今の私には騒音にしか聞こえないワルツの調べ。
高価な香水と料理の匂いが入り混じった、むせ返るような甘い空気。
人々の楽しげな笑い声と衣擦れの音が、波のように押し寄せては引いていく。
ここは王侯貴族たちが集う、社交界の頂点。
王城で開かれる夜の舞踏会。
そして今の私にとっては、処刑台以外の何物でもなかった。
(なんで、わたくしが、こんなところに……)
私は壁際に置かれた豪奢な椅子にちょこんと座り、内心で百回目のため息をついた。
私の両隣には満面の笑みを浮かべたお父様とお母様が、まるで護衛のように陣取っている。
少し離れた場所ではお兄様が、他の貴族たちと談笑しながらも鷹のような鋭い目でこちらを警戒しているのが見えた。
完璧な包囲網だった。
逃げ場はどこにもない。
そもそもの発端は、数日前のこと。
クラウス様に”解明すべき謎”としてロックオンされてしまったあの悪夢のような日から、私は完全に引きこもりを決め込んでいた。
しかしそんな私のささやかな抵抗も、無邪気な(という名の悪魔の)一言によってあっけなく打ち砕かれたのだ。
『あら、エリーゼ。今度の王城の舞踏会には、もちろん出席なさるのでしょう?』
『あなたの素晴らしい噂は、王妃殿下の耳にも届いておりますのよ』
お母様のそのキラキラした言葉を聞いた瞬間、私の脳内は完全にフリーズした。
舞踏会?
あの乙女ゲーム『煌めきのソネット』の中でも、一、二を争う重要イベントじゃないの!
ヒロインとヒーローが運命的なダンスを踊り、恋に落ちるあの胸キュンシーンの舞台!
(そんな場所に、悪役令嬢がノコノコと出かけていって、どうするのよ!)
私の役割は壁の花として二人を妬ましげに睨みつけ、後でヒロインに嫌がらせをすること!
断固拒否! 絶対拒否!
そう叫ぼうとした私の口は、しかしお父様の次の言葉によって完全に塞がれてしまった。
『そうか! エリーゼ! お前はついに、社交界にその圧倒的な才覚を示す覚悟を決めたのだな!』
『素晴らしいぞ! さすがは我が娘だ!』
(違うのよ、お父様! わたくしはただ、家でゴロゴロしていたいだけなの!)
私の心の悲鳴はもちろん、誰にも届かない。
こうして私はローゼンシュタイン家の最終兵器か何かのように、仰々しくこの魔窟へと連行されてきたのだった。
「まあ、あの方がローゼンシュタイン家の……」
「なんと、愛らしい……!」
「あの幼さで、数々の奇跡を……」
ひそひそと。
遠巻きに私を観察する貴族たちの囁き声が聞こえてくる。
その視線は好奇と嫉妬、そして得体の知れないものを見るような畏怖が入り混じっていた。
居心地が悪すぎる。
(お願いだから、放っておいてちょうだい……!)
私はただひたすらに気配を消すことに、全神経を集中させた。
そうよ、わたくしは壁。
壁に飾られた花の絵画。
誰にも気づかれず、この悪夢のような時間が過ぎ去るのを待つだけ。
「これは、デューク・ローゼンシュタイン。そして奥方様も。今宵はおめでとうございますな」
しかしそんな私の儚い願いを打ち砕くように、次から次へと挨拶にやってくる貴族たち。
彼らの本当の目当てが私であることは、火を見るより明らかだった。
「おお、マーキス・ハミルトン。息災かね」
「ええ、閣下のおかげで。例の通信機を導入してからというもの、我が商会も業績がうなぎ登りでして」
「全てはそこにいらっしゃる、女神様のおかげですな、はっはっは」
(やめて! わたくしを見ないで! 話しかけないで!)
にこやかに笑みを浮かべながら、内心で全力で拒絶する。
完璧な外面と内面の乖離。
もはや芸の域に達しているかもしれない。
そんな地獄のような時間が、どれくらい続いただろうか。
ふと、会場の一角がざわめいた。
人々の視線が、一斉に入り口へと注がれる。
そこに立っていたのは。
(……うわあ)
思わず心の声が漏れた。
そこにいたのは、淡いピンク色のドレスを身にまとった、一人の少女。
リリアーナ・フォン・アウグスト。
控えめながらもその可憐な美しさは、このきらびやかな会場の中でも決して埋もれることはなかった。
さすがはこの世界のヒロイン。
圧倒的な存在感だ。
そして彼女の隣には。
純白の軍服に身を包んだ、氷の貴公子。
クラウス・フォン・シュミットが、エスコート役として控えていた。
絵に描いたような美男美女。
まるで物語のワンシーンが、そのまま現実になったかのようだった。
(よし! 主役は揃ったわね!)
私の役目はここからだ。
あの二人を遠くから見守り、そして嫉妬に狂った悪役令嬢として、完璧な舞台装置となるのだ!
私は深く、深く椅子に腰掛け直し、気配を完全に消した。
さあ、物語をお始めなさいな。
わたくしは特等席で、見物させていただくわ。
しかし神は、どこまでも私に意地悪だったらしい。
ヒロインとヒーローはあろうことか、まっすぐにこちらへ向かって歩いてくるではないか。
(……え? なんで? こっち来ないで!?)
私の心の悲鳴も虚しく、二人はついに私の目の前で足を止めた。
周囲の視線がさらに突き刺さるように、集中するのが分かる。
もう私のライフはゼロよ。
リリアーナが嬉しそうに微笑みかける。
その天使のような笑顔が、今は悪魔の微笑みにしか見えない。
「エリーゼ様! 今宵、またお会いできて、本当に嬉しいですわ!」
隣でクラウスが無言のまま一礼する。
そのアイスブルーの瞳が、またあの面倒な”謎”を探るように、私をじっと見つめていた。
(……もう、本当に、勘弁して)
私の悪役令嬢としての平穏な壁の花ライフは、今、音を立てて崩れ去ろうとしていた。




