第19話「ヒロイン、会いに来る」
(……なんなのよ、あの男!)
クラウス様が客室へと下がった後、私は一人、応接室のソファでクッションを顔に押し付け、声にならない叫びを上げていた。
あの、最後の笑み! 絶対に、わたくしのことを見透かしている!
いいえ、見透かしているというよりは、何か面白いものを見つけた、というような……まるで、わたくしを弄んでいるかのような、そんな余裕すら感じられた。
(許せない! 許せませんわ!)
悪役令嬢たるもの、ヒーローに恐れられ、憎まれ、軽蔑されなければならないのよ!
興味を持たれるなんて、あってはならないこと!
こうなったら、次の一手でもっと強烈な悪意を叩きつけて、彼のその完璧な顔を、絶望と嫌悪に染め上げてやるわ!
私が一人で息巻いていると、執事が静かに入室してきた。
「お嬢様、お客様がお見えです」
「お客様? 今日はもう、お父様も誰も招待していないはずでは……」
「それが、エリーゼお嬢様個人に、ぜひお会いしたいと……」
個人に? 誰かしら、面倒だわ。
私は、不機嫌さを隠しもせずに尋ねた。
「どなた?」
「アウグスト男爵家のご令嬢、リリアーナ様でございます」
(……りりあーな?)
その名前を聞いた瞬間、私の頭の中で、何かがプツリと切れる音がした。
(なんで、なんであなたが来るのよおおおおお!)
ヒロイン!
この物語の主人公にして、私の破滅フラグの根源!
今、一番会いたくない人物じゃないの!
しかも、よりにもよって、あのヒーロー様が滞在している、このタイミングで!
まずいわ、まずすぎる!
もし、二人が仲良くしているところなんて見られたら……わたくしの悪役令嬢計画は、開始五分でゲームオーバーよ!
「……お、お通しなさい」
私は、震える声を必死で抑え、執事に命じた。
これは、ピンチ。絶体絶命のピンチ。
だけど、見方を変えれば、最高のチャンスでもある。
そうよ。
あのヒーロー様の前で、このか弱きヒロインを、徹底的にいじめ抜いてやればいいのよ!
まず、お礼を言われても、冷たく突き放す。
次に、そのみすぼらしい身なりを、思いっきり馬鹿にしてやる。
最後に、「二度と顔を見せるな」と、追い出してやるのよ!
完璧じゃない!
そうすれば、一気に二人に嫌われることができるわ! 一石二鳥じゃない!
(ふふふ……わたくしって、なんて頭がいいのかしら!)
私の脳内は、絶望から一転、完璧な作戦を思いついた天才軍師のそれで満たされていた。
◇
しばらくして、応接室に通されてきたリリアーナは、少し緊張した面持ちで、しかし、その瞳には確かな喜びの色を浮かべていた。
淡いピンク色の髪が、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いている。
うん、何度見ても、完璧なヒロインだわ。腹立たしいくらいに。
「エリーゼ様! あの、先日は、本当にありがとうございました!」
リリアーナは、私の前に立つと、深々と頭を下げた。
「あの時、エリーゼ様が助けてくださらなければ、わたくし、きっと、悲しくて……」
「……なんのことかしら?」
私は、わざと冷たく言い放った。
「わたくし、あなたを助けた覚えなど、ありませんわ」
(そうよ、この調子よ! 恩を仇で返す、最低の悪役令嬢!)
「え……?」
リリアーナは、戸惑ったように顔を上げる。
その時だった。
応接室の扉が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、クラウス・フォン・シュミット。
彼は、室内の様子を静かに一瞥すると、何も言わずに壁際に立ち、私たちのやり取りを観察し始めた。
まるで、舞台の幕が上がるのを待っていたかのように。
(来たわね、ヒーロー様!)
観客は揃った。
さあ、ショーの始まりよ!
「わたくしは、ただ、足が滑って転んだだけ。あなたがどうなろうと、わたくしの知ったことではありませんわ」
「そ、そんな……」
「そもそも、あなたのような下級貴族が、わたくしに気安く話しかけないでくださる?」
私は、リリアーナの健気な瞳を、真っ直ぐに見据えて言い放った。
どうだ!
この、身分差を笠に着た、典型的な悪役ムーブ!
これには、正義感の強いヒーローも、そして純粋なヒロインも、ドン引きするはず!
しかし、リリアーナは、私の言葉に怯むどころか、その瞳を、なぜか、うっとりと潤ませ始めた。
「……ああ、やっぱり」
「は?」
「エリーゼ様は、やはり、お優しい方なのですね」
(……なんで、そうなるのよ!? わたくしの言葉、どの部分を切り取ったら『優しい』になるの!?)
「わたくしが、他の貴族の方々から、あなた様と親しいと思われて、また嫌がらせを受けないように……」
「そのために、わざと、冷たい態度を取って、わたくしを遠ざけてくださっているのですね!」
(違う! 断じて違うわ! ただ、あなたと関わりたくないだけなの! 破滅フラグが怖いだけなのよ!)
私の心の絶叫をよそに、リリアーナの勘違いは、ますます加速していく。
そして、壁際でその様子を見ていたクラウスの、あの完璧な眉が、またしても、コンマ一ミリほど、ぴくりと動いたのを、私は確かに見た。
その瞳に宿るのは、疑念でも、軽蔑でもない。
それは、まるで、解けない謎を前にした数学者のような、深く、そして厄介な、探究の色だった。
(……なんか、もう、めちゃくちゃだわ)
私の悪役令嬢計画は、ヒーローとヒロインという、最強の勘違いコンビを前に、完全に崩壊しようとしていた。




