第16話「ヒーロー、来訪す」
「まあ、大変! 王太子殿下からの使者ですって!」
「急いで最高のお茶の葉を用意して!」
「エリーゼお嬢様のドレスは、一番新しいものを!」
その日のローゼンシュタイン公爵邸は、朝から蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
使用人たちが廊下を走り回り、家中がどこか浮足立っている。
(……王太子殿下からの、使者?)
私は、マリーに着替えさせられながら、その言葉を頭の中で反芻していた。
どうやら、先日届いた夜会への招待状とは別に、わざわざ使者をよこしてきたらしい。
一体、なんのために?
「お嬢様、お聞きになりましたか? いらっしゃるのは、近衛騎士団のクラウス・フォン・シュミット様ですって!」
「クラウス……フォン……シュミット……?」
(……え?)
その名前を聞いた瞬間、私の思考は完全に停止した。
聞き覚えがある。
いや、ありすぎる。
だって、その名前は……。
(『煌めきのソネット』の、メインヒーローじゃないのぉぉぉぉ!)
私の脳内は、大パニックに陥った。
クラウス・フォン・シュミット!
文武両道、才色兼備、冷静沈着にして完璧主義!
そして、何よりも不正や欺瞞を嫌い、悪役令嬢であるエリーゼを断罪する、正義のヒーロー!
(なんで、なんで彼がここに来るのよ!?)
ゲームのシナリオでは、彼と出会うのは貴族学院に入学してからのはず。
まだ早すぎる!
心の準備が……いや、悪役令嬢としての準備が、まだ整っていないのに!
「……ふふっ」
いや、待ちなさい。
これは、むしろ……。
(最高のチャンスじゃないの!?)
私の思考は、絶望から一転、歓喜へと切り替わった。
そうよ!
私の家族や領民たちは、皆、わたくしに都合の良いフィルターを通してしか、わたくしを見てくれない。
でも、彼なら?
あの、正義感の塊で、融通の利かない完璧主義者のヒーローなら?
私の性根の悪さを、きっと見抜いてくれるはず!
(よし、決めたわ!)
今日この日、この場所で、彼に徹底的に嫌われてみせる!
そうすれば、将来の断罪イベントは、より確実なものになるわ!
私の悪役令嬢計画、最終章の幕開けよ!
◇
一階の応接室。
そこには、お父様、お母様、お兄様、そしてわたくしという、ローゼンシュタイン家の全員が揃って、お客様の到着を待っていた。
やがて、執事が恭しく扉を開ける。
「クラウス・フォン・シュミット様、お成りです」
入ってきたのは、一人の青年だった。
寸分の乱れもない白銀の髪。
知性を感じさせる、涼しげなアイスブルーの瞳。
背筋は、まるで鋼のように真っ直ぐに伸び、その立ち姿は、一分の隙もない。
ゲームの立ち絵から、そのまま抜け出してきたかのような、完璧な美貌と威圧感。
彼こそが、クラウス・フォン・シュミットだった。
「王太子ジークハルト殿下のご名代として参りました。クラウス・フォン・シュミットです」
彼の声は、その見た目通り、冷たく、そしてよく通った。
「本日は、近頃、王都でも噂になっております、エリーゼ嬢に、一度お会いしたく」
クラウスの視線が、私を射抜く。
それは、まるで獲物を品定めするかのような、鋭く、冷徹な眼差しだった。
(……いいわ、いいわよ!)
その目!
わたくしを、全く信じていないその目!
これなら、きっとうまくいく!
「まあ、シュミット様。遠路はるばるようこそおいでくださいました。さあ、こちらへ」
お母様が優雅に席を勧める。
お父様も、満面の笑みだ。
「はっはっは、いやはや、うちの娘の噂が、王太子殿下の耳にまで届いていたとは! 光栄の至りですな!」
(さあ、わたくしの出番ね!)
私は、ソファにふんぞり返ったまま、クラウスを顎でしゃくった。
「あなたが、クラウスですの?」
「……いかにも」
「ふん。王太子殿下の使いだからといって、わたくしに指図できると思わないことですわ」
「わたくしは、今、あなたとお話しする気分ではありませんの。お帰りなさいな」
どうだ!
初対面の、しかも王家の使者に対する、この無礼千万な態度!
これには、あの潔癖なヒーローも、きっと眉をひそめるに違いないわ!
「こら、エリーゼ!」
お父様が、慌てて私を諌める。
「シュミット様に、なんて失礼なことを言うんだ!」
(そうよ、もっと叱って! そして、この子の性根は腐っていると、彼に伝えてちょうだい!)
しかし、お父様は、次の瞬間、困ったように笑いながら、クラウスに言った。
「いや、申し訳ない、シュミット様。この子は、少し人見知りなところがありましてな。本当は、あなたのような立派な騎士に会えて、嬉しいはずなのだが……はっはっは」
(……は?)
「まあ、エリーゼったら、照れてしまって。可愛らしいですわね」
お母様が、うふふと微笑む。
「そうだね。自分より優れた相手を前にすると、素直になれない。エリーゼの悪い癖だ」
お兄様まで、謎のフォローを入れてくる。
(違うのよおおおおお!)
私の完璧な悪役ムーブは、またしても家族の超絶ポジティブフィルターによって、「人見知り」「照れ隠し」という、可愛らしい行動に変換されてしまった。
私は、恐る恐るクラウスの顔を盗み見た。
彼は、表情一つ変えず、ただ静かに、私を見つめている。
そのアイスブルーの瞳の奥で、確かな軽蔑と、そしてより深い疑念の色が、渦巻いているのが、私にははっきりと見えた。
(……よし!)
家族には通じなかったけれど、彼には、ちゃんと私の悪意が届いている!
私の悪役令嬢計画は、まだ終わっていなかったのだ!




