第15話「王家、動く」
王都アステリアの中心にそびえ立つ、白亜の王城。
その一室、国王の執務室は、紙の山が発する乾いた音と、一人の男の深いため息に満たされていた。
「……信じられん」
玉座に深く腰掛けた国王、アルフォンス・フォン・アステリアは、こめかみを揉みながら唸った。
「一体どうなっているのだ、ローゼンシュタイン領は。毎日毎日、まるでお伽話のような報告ばかり寄越してきおって……」
机の上には、報告書というにはあまりに現実離れした羊皮紙の束が、小さな山を築いている。
国王は、その中の一枚を忌々しげにつまみ上げた。
「『豊穣の聖女』、これはまあいい。新農法で収穫が上がったのだろう。『技術革新の女神』、これも魔導通信機の件で理解はできる。だが、これは何だ?」
国王の指が、ある項目をトン、と叩く。
「『芸術の革命家』? 曰く、五歳の令嬢が描いた絵が、既存の価値観を破壊する新しい芸術様式『エリーゼイズム』として、領内の貴族の間で高値で取引されている、だと? 馬鹿げているにも程がある!」
国王は、別の報告書を手に取る。
「今度は”剣の女神”に”知の女神ミネルヴァ”か……。我が国には、いつの間にギリシャ神話の神々が降臨なさったのだ?」
その皮肉に満ちた独り言に、静かな声が応えた。
「父上。お言葉ですが、その”お伽話”の結果として、ローゼンシュタイン領からの税収が、この半年で三倍以上に跳ね上がっているのも、また事実です」
音もなく執務室に入ってきたのは、金の刺繍が施された豪奢な軍服に身を包んだ、怜悧な顔立ちの青年。
この国の王太子、ジークハルト・フォン・アステリアだった。
「ジークハルトか。見たまえ、この報告を。もはや笑うしかないぞ」
「拝見しました。ですが、笑い話で済ませられる問題でもありますまい」
ジークハルトは、冷静に父の言葉をいなす。
「結果が出ている。それも、驚異的な結果が。だからこそ、我々はこれを看過できないのです」
「うむ……」
国王は、難しい顔で顎をさする。
「農業、技術、経済、芸術……そして軍事。一公爵家が、これほど短期間に国力を増強させるなど、前代未聞。ローゼンシュタイン公は、一体何を企んでいるのだ? 一歩間違えば、王家を脅かす力となりかねん」
国王の懸念は、もっともだった。
ローゼンシュタイン家の急成長は、喜ばしい反面、国のパワーバランスを崩しかねない危険性を孕んでいた。
「全ての始まりは、公爵家のご令嬢、エリーゼ嬢が五歳になった頃から、と」
ジークハルトは、報告書の一枚を手に取る。
「噂の真偽はともかく、彼女が何らかの”特異点”であることは、間違いないでしょう。ローゼンシュタイン公が、己の娘を神輿に担ぎ、何かを画策している可能性も」
「うむ。だからこそ、今度の夜会に招待した。まずは、我々の目で直接確かめてみる必要がある」
「はい。ですが、父上」
ジークハルトは、静かな、しかし強い意志を宿した瞳で、父である国王を見つめた。
「夜会のような華やかな場では、狐も狸も、完璧な仮面を被っております。それでは、真実を見抜くのは困難かと」
「……では、どうすると言うのだ?」
「事を荒立てず、しかし確実に真実を見抜くための”目”を、送り込むのです」
ジークハルトは、迷いなく続けた。
「いかなる権力にも、甘言にも、噂にも惑わされぬ、曇りなき忠誠心と、鋼の意志を持つ男が」
国王は、息子の意図を察し、静かに頷いた。
「……シュミット侯爵家の、あの若者か」
「はい。我が近衛騎士団が誇る、最高の頭脳と刃。クラウス・フォン・シュミット。彼であれば、いかなる虚飾も見抜き、真実のみを我らの元へともたらすでしょう」
クラウス・フォン・シュミット。
若くして近衛騎士の地位に上り詰め、その完璧な仕事ぶりから『王太子の懐刀』とまで呼ばれる、当代随一の傑物。
そして、ゲーム『煌めきのソネット』における、メイン攻略対象の一人。
正義感が強く、不正や欺瞞を何よりも嫌う、完璧主義のヒーロー。
「……よかろう」
しばしの沈黙の後、国王は決断を下した。
「王太子の名において、クラウス・フォン・シュミットを、ローゼンシュタイン公爵領へ派遣することを許可する。かの”神童”が、本物か、あるいは巧妙に作られた虚像か、その目で見極めさせよ」
「はっ。必ずや」
◇
その頃、王城の練兵場では、鋼がぶつかり合う音が響き渡っていた。
その中心で、一人の青年が、他の騎士たちを赤子のようにあしらっていた。
寸分の狂いもない剣筋、一切の無駄がない体捌き。
彼の周りだけ、空気が違うかのように、張り詰めている。
「そこまで!」
模擬戦の終わりを告げる声が響き、青年――クラウス・フォン・シュミットは、静かに剣を鞘に収めた。
汗一つかいていないその姿に、周りの騎士たちは畏怖の視線を送る。
その時、一人の伝令兵が、彼の元へと駆け寄った。
「クラウス・フォン・シュミット騎士! 王太子殿下より、直々のご命令です!」
クラウスは、表情一つ変えずに、恭しく命令書を受け取った。
そこに書かれた『ローゼンシュタイン』と『エリーゼ』の名を見ても、彼の瞳は揺らがない。
ただ、その完璧に整った顔に、ほんのわずかな、しかし確かな闘志の色が浮かんだだけだった。
(神童、か。面白い)
偽りならば、この俺が、必ず暴き出す。
クラウスは、命令書を握りしめ、静かに空を見上げた。
エリーゼが最も嫌われたいと願う、”ヒーロー”の来訪。
それは、もう、すぐそこまで迫っていた。




