第12話「悪役令嬢、噂になる」
領地視察という名の公開処刑から帰還した私は、自室のベッドに死んだように倒れ込んでいた。
耳の奥では、まだあの熱狂的な「聖女コール」が鳴り響いている。
(……もう、おしまいだわ)
私の悪役令嬢計画は、完全に、そして見事に、破綻した。
領民たちのあの目。
あれは、もはや領主の娘を見る目ではなかった。
奇跡を目の当たりにした信者の、狂信的な光が宿っていた。
「お嬢様、お顔の色が優れませんわ。わたくし、何か温かいお飲み物でもお持ちしましょうか?」
マリーが心配そうに声をかけてくれるが、首を横に振る力も残っていない。
(違うのよマリー。わたくしに必要なのは、温かい飲み物じゃなくて、誰からも嫌われる悪評なのよ……)
もはや、この領地で私の悪名を轟かせるのは不可能だ。
私が何を言おうと、何をしようと、すべては聖女様の深遠なるお考えとして、美しく変換されてしまうのだから。
こうなったら、もう領地から一歩も出ず、誰とも会わず、静かに忘れ去られるのを待つしかない。
そう、決意した矢先のことだった。
◇
王都の中心に位置する、一等地のサロン。
そこでは、着飾った貴族の夫人たちが、扇子を片手に優雅な午後のひとときを過ごしていた。
もちろん、その会話の中心は、今、社交界で最も熱い話題についてだ。
「ねえ、奥様。お聞きになりました? ローゼンシュタイン公爵家のご令嬢、エリーゼ様のこと」
「まあ、もちろん存じておりますわ。あの”豊穣の聖女”様でしょう?」
「聖女様だなんて、大げさですわ。まだ五歳のお子様なのでしょう?」
一人の夫人が、少し意地悪く口を尖らせる。
しかし、すぐに別の夫人から熱のこもった反論が飛んできた。
「大げさだなんて、とんでもない! 私の遠縁の者がローゼンシュタイン領におりますの。彼が言うには、エリーゼ様が大地に触れると、枯れたはずの畑が一瞬で緑に蘇ったそうですわ!」
「まあ!」
「それだけではございませんわ。あの魔導通信機も、エリーゼ様が一晩で設計図を描き上げたとか」
「先日、社交界を追放されたグリム家のヴィクトール様も、エリーゼ様の神がかり的な知略の前に、赤子のようにひねられてしまったと……」
次から次へと語られる、にわかには信じがたい伝説の数々。
噂は、人々の口を渡るうちに尾ひれがつき、もはや現実離れした神話の域に達していた。
「芸術にも革命を起こされたそうよ。”エリーゼイズム”とかいう、新しい流派を打ち立てて」
「まさに、神童。いいえ、”生ける伝説”ですわね」
サロンにいる誰もが、その存在に畏敬と、そして少しばかりの嫉妬を抱かずにはいられなかった。
ローゼンシュタイン家に現れた、恐るべき子供。
その存在は、良くも悪くも、王都の貴族たちの間で、無視できない最大の関心事となっていた。
◇
「……お嬢様、王家より書状が届いております」
アンナが、銀の盆に乗せた一通の手紙を、私の前に差し出した。
その封蝋には、王家の紋章がくっきりと刻まれている。
(……王家から?)
嫌な予感しかしない。
震える手で封を開けると、そこには、流麗な文字でこう書かれていた。
『ローゼンシュタインの神童、エリーゼ嬢を、近々開かれる王太子殿下主催の夜会へ、特別に招待する』
(……ほら、やっぱり)
私のささやかな願いも虚しく、その噂は、ついに王家の耳にまで届いてしまったらしい。
しかも、”神童”という、また新しい不名誉な称号までついて。
静かに忘れ去られるどころか、私は、この国の中心へと、否応なく引きずり出されようとしていた。




