第11話「聖女様、領地を巡る」
「エリーゼ、準備はいいかい?」
執務室に呼ばれた私に、お父様は満面の笑みでそう問いかけた。
その手には、領地の地図が広げられている。
「準備とは、なんのことですの?」
「はっはっは、照れなくてもいい。お前がこの領地にもたらした恩恵は、計り知れないからな」
お父様は、地図の上を指でなぞる。
「民がお前の顔をひと目見たいと言っている。今日はお前に、”聖女”として領地を視察してもらうことにしたのだよ」
(……せいじょ、ですって?)
その言葉を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。
悪役令嬢を目指しているはずが、ついに聖女様として公式行事に参加させられる羽目になってしまった。
「嫌ですわ、お父様! わたくし、そんな面倒なこと……」
「まあ、そう言うな。お前の謙虚さは知っているが、民の想いに応えるのも、上に立つ者の務めだぞ」
お父様は、私の反論をまたしても謙虚さと勘違いし、有無を言わさず私を豪華な馬車へと押し込んだ。
(……こうなったら、やってやるわ)
馬車に揺られながら、私は新たな決意を固めた。
民衆の前に、直接出る。
これは、私の悪評を広める、またとない機会じゃない!
行く先々で横暴に振る舞い、わがままの限りを尽くして、聖女の化けの皮を自らの手で剥がしてやるわ!
◇
馬車が領地の中心街に入ると、道の両脇には、信じられないほどの人だかりができていた。
皆、私を一目見ようと集まった領民たちだ。
「エリーゼ様だ!」
「我らが聖女様が、お見えになったぞ!」
窓から顔を出すと、割れんばかりの歓声が沸き起こる。
(ふん、今だけ喜んでいなさいな。すぐにあなたたちを、絶望させてあげるから)
最初の視察先は、商業地区だった。
活気に満ちた市場の中心で、私を待っていたのは、商業ギルドのギルド長だった。
「おお、エリーゼ様! この度のご視察、誠に光栄の至りにございます!」
彼は、私の前に深々とひざまずくと、感涙にむせびながら語り始めた。
「あなた様のおかげで、この市場はかつてないほどの賑わいを見せております! 皆、あなた様に心から感謝しているのです!」
「ふん、当然ですわ」
私は、腕を組んで、ふんぞり返ってやった。
「わたくしは、あなたたちのことなど考えていませんわ。すべては、わたくしの気まぐれに過ぎませんのよ」
どうだ!
民への感謝の気持ちなど微塵もない、自己中心的な支配者の姿!
しかし、ギルド長は私の言葉に、はっと目を見開くと、さらに深く頭を下げた。
「なんと……! 我々の成功に驕ることなく、さらなる高みを目指せという、お嬢様の深遠なるお考え……! この身に、しかと刻み込みまする!」
「「「おおーっ!」」」
周りの商人たちからも、なぜか感動の声が上がる。
(違うのよ! ただの暴言なのよ!)
◇
次に訪れたのは、領地のはずれに広がる農地だった。
そこには、庭師の長であったトーマスが、農民たちを代表して待っていた。
「聖女様! ようこそお越しくださいました!」
彼は、太陽のように輝く巨大なカボチャを、誇らしげに指し示した。
「これも全て、聖女様が我々にお授けくださった、新しい農法のおかげでございます!」
「こんなもの、わたくしの目には、ただの大きな野菜にしか見えませんわ」
私は、カボチャを冷たく一瞥する。
「もっと珍しいもの、美しいものでなければ、わたくしの心は満たされませんのよ」
農民たちの努力の結晶を、鼻で笑う非道な令嬢。
これには、さすがに……。
「……なんと、お優しい」
トーマスは、その目にじわりと涙を浮かべた。
「このカボチャを、ご自分のような高貴な方が独占するのではなく、飢えている民に分け与えよと……そう仰ってくださるのですね!」
「聖女様は、我々農民だけでなく、貧しい者たちのことまでお考えだったのだ!」
「ああ、我らが聖女様!」
農民たちは、次々とその場にひざまずき、祈るように私を見上げた。
(だから、違うんだってば!)
私の悪意は、またしても完璧な善意に変換されてしまった。
そして、ついに。
「「「聖女様! 聖女様! 聖女様!」」」
どこからともなく始まった聖女コールは、波のように広がり、領地全体を揺るがすほどの大合唱となった。
その熱狂の中心で、私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「はっはっは、すごい人気だな、エリーゼ!」
隣で、お父様が心底誇らしげに笑っている。
(……もう、帰りたい)
私の悪役令嬢への道は、今日、完全に断たれたのかもしれない。




