第10話「悪役令嬢、感謝される」
(……最悪だわ)
王宮から帰る馬車の中、私はずっとその言葉を繰り返していた。
私の華々しい社交界デビュー、そして悪役令嬢としての第一歩は、これ以上ないほど最悪な形で幕を閉じた。
ヒロインをいじめるどころか、救ってしまった。
しかも、周りの大人たちには「なんて素晴らしいご令嬢様」と褒めそやされ、ヒロイン本人からは、キラキラと尊敬の眼差しを向けられる始末。
(これじゃ、破滅フラグ回避どころか、ヒロインとの友好フラグが立ってしまったじゃない!)
ゲームのシナリオにおいて、ヒロインとの友好フラグは、攻略対象との恋愛フラグに直結する。
つまり、私がリリアーナと仲良くなればなるほど、ヒーローであるクラウスに嫌われるどころか、逆に興味を持たれてしまう可能性すらあるのだ。
それだけは、絶対に避けなければならない。
「お嬢様、お顔の色が優れませんわ。お疲れになりましたか?」
隣に座るマリーが、心配そうに声をかけてくる。
「……ええ、少しだけ」
私は力なく頷いた。
心労が、五歳の身体には重すぎる。
◇
自室に戻り、ベッドに倒れ込んでいると、コンコン、と控えめなノックが響いた。
入ってきたのは、筆頭メイドのアンナだった。
彼女はいつも通り、無表情で私に一枚の封筒を差し出した。
「アウグスト家のご令嬢、リリアーナ様より、お嬢様へお手紙でございます」
「……なんですって?」
その名を聞いた瞬間、私の心臓は氷水に浸されたかのように冷たくなった。
リリアーナから、手紙……?
(まさか、お礼の手紙!?)
最悪の予感が、脳裏をよぎる。
アンナから手紙を受け取ると、そこには可愛らしい文字で「エリーゼお嬢様へ」と書かれていた。
(ダメよ、こんなもの!)
これは、私とヒロインを繋ぐ、呪いのアイテムだわ!
こんなものを持っていることが知られたら、二人が親しい仲だと思われてしまう!
「アンナ、もう下がっていいわ」
「かしこまりました」
アンナが部屋を出ていくのを確認し、私はベッドから飛び起きた。
(破り捨てないと!)
この手紙は、誰にも見られる前に、この世から消し去らなければならない。
暖炉で燃やしてしまうのが一番確実だけど、今は火がない。
ならば、手でビリビリに引き裂いて、粉々にしてやるわ!
私は封筒に指をかけ、力いっぱい引き裂こうとした。
その、瞬間だった。
「エリーゼ、入るよ」
ガチャリ、とドアが開き、お兄様、レオナルドが入ってきた。
「――っ!」
まずい!
見られた!
私は咄嗟に、手紙を背中の後ろに隠した。
「どうしたんだい、そんなに慌てて。何か隠しているのか?」
お兄様の鋭い目が、私を捉える。
さすがは次期公爵。妹のこととなると、些細な変化も見逃さない。
「な、なんでもありませんわ、お兄様!」
「ふぅん?」
お兄様は、にこやかに私のそばにやってくると、ひょいと私の手から手紙を取り上げた。
「あっ!」
「……リリアーナ嬢からか。今日のお茶会での礼状だろうね」
お兄様は、手紙の差出人を見ると、優しく微笑んだ。
「良いことをしたんだね、エリーゼ。父上も母上も、とても喜んでいたよ」
「ち、違いますわ! これは……!」
(どうしよう、どう言い訳すれば……)
その時、お兄様は、私が手紙を破ろうとしていたことに気づいたようだった。
封筒の端が、少しだけ裂けている。
「……エリーゼ。君は、もしかしてこの手紙を、破ろうとしていたのかい?」
お兄様の声のトーンが、少しだけ低くなった。
(来たわ!)
これよ!
人からの感謝の手紙を破り捨てる、非道な妹!
これには、シスコンのお兄様も幻滅するはず!
「そうですわ!」
私は、ふん、と胸を張って言い放った。
「こんなもの、わたくしには不要ですもの!」
さあ、軽蔑するがいいわ!
この性悪女を!
しかし、お兄様はしばらく黙って私を見つめた後、ふっと、優しく、そしてどこか誇らしげに、微笑んだ。
「……そうか」
「君は、自分のしたことを、誇るつもりはないんだね」
「は?」
「人知れず善行をなし、感謝されることすら望まない。当たり前のことをしただけだと」
お兄様は、私の頭を優しく撫でた。
「なんて、謙虚なんだ、エリーゼ」
「その気高い精神、お兄様は、心から尊敬するよ」
(……え、なんで?)
私の非道な行いは、なぜか「気高い謙虚さの表れ」として、完璧に変換されてしまった。
◇
その夜の食卓で、お兄様は、今日の出来事をそれはもう嬉しそうにお父様とお母様に語って聞かせた。
「……というわけなんだ。エリーゼは、自分の功績を誇るどころか、感謝の手紙すら受け取ろうとしなかったんだよ」
「おお……!」
お父様は、感動に打ち震えている。
「人事を尽くして天命を待つ、か! まさに為政者の鑑だ! 我が娘ながら、末恐ろしいぞ!」
「まあ、エリーゼ。なんて奥ゆかしいのかしら。その謙虚さ、わたくしも見習わなければいけませんわね」
お母様も、うっとりと微笑んでいる。
私の悪役令嬢計画は、またしても家族の絆を深める美談となり、ローゼンシュタイン家の歴史に、輝かしい(迷惑な)1ページを加えてしまったのだった。




